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痛note往復書簡六通目

内澤 崇仁さま

 秋ですね。ねえ秋でしょ? 九月、しかも下旬なんだから。と汗だくでソイアイスを食べながらこのお手紙を書いております。

 とはいえ、あっちーなはやく涼しくなんないかな、とか言っていたらいつの間にか師走になっているのだからあらまびっくり!

 秋、どこいったねん! 

 ってこの台詞を毎年言っている気がします。学習しない、わたくし。

 というわけで、今回はそんな短い秋をもっと楽しめるような内澤さんのエッセイをテーマにしましょう。

当時、南郷村と呼んでいた同市南郷には祖母の家があった。車で向かう途中、夏は深い緑だった山道が、燃え上がるように紅葉色に変わっていくのが好きな景色だった。(…)
 そこは、約280本のモミジが真っ赤に染まり、落ち葉が積もれば地面も染まる。

『音は空から言葉は身から』vol.4

 さあっと冷えた空気がすり抜け、眼前に赫耀とした景色が広がっていくようです。美しいですね。

 さて、そんなモミジですが、なぜ赤く染まるのでしょう。私は知りません。

気温が低くなると、クロロフィルが葉っぱから減り、昼間の暖かさや太陽の紫外線でアントシアニンがつくられてくると、真っ赤な葉っぱになる

『植物「超」入門』(サイエンス・アイ新書)田中修著

 だそうです。へー。ちなみにイチョウが黄色くなるのは、気温が低くなると同じくクロロフィルが減り、もともとあったカロテノイドという色素が目立ってくるから。

 そうそう、紅葉といえば私は北野武監督の『Dolls』という映画を思い出します。四季折々の美しい景色、そして自然の美しさと調和した衣装。芸術的な作品です。

 北野武監督といえば、彼の小説を映画化した『アナログ』。あの作品の劇中曲は内澤さんが担当され、しかも映画にも出演されていましたね!


 劇中曲を聴いたとき、心に襞があるのではと思えるほど感動で震えました。そして映画自体は、優しい気持ちになれる純愛作品でしたね。ちなみに私は陰キャなのに『アナログ』のようなラストは心が救われるので好きです。

 紅葉に映画、美しい世界を見ることで、心が豊かになります。

 そういえば、「見る」ことについて内澤さんはこんなことを書かれていましたね。

人間の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)の中で視覚から得られる情報は87%と言われ、そのほとんどの割合を占めている。

『Image/Word』(BARFOUT!)

 えっ、そうなん!? 知らんかったわ!
 ちなみになぜ内澤さんが視覚の話をされたかは下記に続くわけです。

インターネット成熟期で、ソーシャル・ネットワークが登場したり、音楽の届け方が多様になり始める今から約8年ほど前。andropを結成し、その音楽の届け方を考えた時、見た目や情報で判断されたくない、音楽だけで判断してほしいという想いが強かった。

同上

 な、なんて思慮深い。「頭の中はいつだって空っぽさ」でお馴染みの私とは大違いです。

 ということで、少しでも内澤さんのことを理解できるように、視覚について今回は調べてみることにしました。

外界の景色が眼に入って、光が角膜の表面や水晶体で屈折し、網膜の上に焦点を結ぶしくみや、近視、遠視、乱視などの屈折異常については、中学や高校の教科書にも書いてあるから、みなさんはすでにおなじみだと思う。

『どうしてものが見えるのか』(岩波新書)村上元彦著

 ちなみに、私はひどい近視とひどい乱視なのでコンタクトをしていますが、実はぼやけて世界が見えているのです。いやあ、鏡に映る自分がぼやけるのはありがたいことですね(ぼやけているため、ぼんやりと丸く黒い目と小さな口があるだけなので、自分では自分の姿を何かのゆるキャラみたいだと思って生きております。ポジティブ!)。

陸上にすむ脊椎動物では、光は空気中から角膜に入るときに大きく屈折する。角膜の曲率(湾曲の度合い)は変えられないから、外界の像を網膜の上に正確に焦点をあわせるには、屈折力を変化できる水晶体でさらに微調整する必要がある。

同上

 角膜は眼球の一番外側(外気に接する部分)にある薄い膜です。薄いですが五層にもなっており、光を取り入れるだけでなく、眼球を保護する働きも担っています。角膜の奥には前眼房、虹彩、そして水晶体となります。人間の目の屈折力は三分の二が角膜、残りを水晶体が担っていますが、角膜は形状や位置は常に一定です。そこで、ピントをあわせるためにカメラのレンズ前後するように毛様体で水晶体の厚みを変化させているのだそうです。

 へー、人間の目ってすごいな。

 ところで、紅葉を楽しむことができるということは、モノクロではなくカラーで世界を見ているということになります。では、どのようにして私たちは色を見ているのでしょうか。

 そもそも私たちには可視光線内の色しか感知できません。

何と言っても、人間には特定の波長の光しか見えないことは誰もが知っている。具体的には、およそ四〇〇ナノメートルから七〇〇ナノメートルの範囲だ(一ナノメートルは、一ミリメートルの一〇〇万分の一)。そして、短い波長の光はスミレ色や青に見え、波長が長くなるにつれて、緑、黄色、オレンジと変わり、最後は赤に見える。知覚と物理の間のこの反応は、虹を目にしたときにいちばんはっきり見て取れる。

『ヒトの目、驚異の進化』(早川書房)マーク・チャンギージー著 石田英敬解説 柴田裕之訳

人間の目の網膜には、光に反応する錐状体というニューロンが三種類ある。この三種類の錐状体(SとMとL)はそれぞれ特定の範囲の波長に敏感で、その範囲の光が当たったときに発火する傾向がある。

同上

 錐状体Sは短い波長、つまり青色系に反応します。Mは中くらいで緑、Lが長い波長、つまり赤となるわけです。

 とはいえ、紅葉を「見る」ためには目だけでは不可能です。

 てなことで、せんせ、出番でっせ。

 脳の大せんせー。

「見ること(視覚)の本質は、眼底に映った像を網膜の細胞が生体の電気信号に変換したあとにやってくる。脳が、網膜から送られてきた情報にもとづいて、目の前にどのような世界があるかを知る過程が視覚の重要な部分である。そこには、人工システムがいまだに模倣できない多くの機能、しくみ、秘密がある。

『「見る」とはどういうことか』(DOJIN選書)藤田一郎著

 人間は目で世界を見ているというより、目が受け取った光の情報を脳で再現し、その世界を見ているのですね。さらに、脳大せんせすごいぞ話は続きます。

わたしたちが3次元の実世界に目を向けることにより、網膜像が作られる。網膜像は2次元である。3次元の実世界からこの二次元網膜像が作られる過程は、物理学(光学)によって説明されるが、脳は逆に、得られた二次元網膜像から3次元の世界を推論し、視覚イメージを形成しているのである。(…)一般に、2次元のデータから3次元の構造や状態を推論することはできない。しかし、われわれはそれをいとも簡単に、また正確に推論することが可能なのである。

『感情とはそもそも何なのか』(ミネルヴァ書房)乾敏郎著

 二次元の情報から三次元を推論するって、どんな超人技やねん! 只者じゃないな、脳よ!

 こんな複雑なことを日々、しかも瞬時に目と脳の連携プレイによって私たちはこの世界を「見て」いるわけです。

 ただ、どうやって二次元の情報から脳は三次元を再現しているのでしょうか。ここはが鍵となるようです。

脳が、網膜像から三次元構造を決定する際に用いているヒントとはいったい何であろうか。それはひと言でいえば「世界の構造に関するルール」である。私たちのまわりにある物理世界は一定の法則で成り立っている。これらの法則を、脳は、二次元網膜像から三次元構造を復元する情報処理過程に前提条件として組み込んでいる。

『「見る」とはどういうことか』(DOJIN選書)藤田一郎著

 いったい「世界の構造に関するルール」とは何でしょう。

「世界の構造に関するルール」とは具体的には何なのかを、代表的な例をあげながら説明していこう。

同上

太陽は頭上から照り、足元から照ることはない。(…)光が上から照ると、でっぱりの上部分はあかる下部分が暗くなる。一方、くぼみでは、上側が暗く下側ら明るいという光の分布を示す。(…)
 したがって、脳が網膜情報を読み解く際の計算過程に、「光源は上にある」という前提をおけば、光の分布から凹凸は一義的に決まる。

同上

 脳は太陽(あるいは光源)は常に上にあると言う前提で二次元の網膜像から三次元世界を推論し、わたしたちに世界を「見せて」います。

 ただし、この前提が覆されると脳は混乱し、目の錯覚というものがおきます。

 下記の図をご覧ください。


 この不細工な立方体は川勢によるフリーハンドです。なので、そもそも立方体に見えなかったすんません。ゆるして。

 ところで、いまデスクトップのパソコンあるいは大型のノートパソコンでご覧になっていたら、ぜひともスマホに変えてください。

 変えましたね(強引)。

 さ、では画面を上下逆さまにして立方体をしばしじっと見つめてください。

 どうですか? 立方体ではなく、窪んだ四角に見えませんか。あるいは、黒い壁に囲まれた白い床。

 見えましたね(強引二回目)!

 じつは、目の錯覚の原理を知るまでわたしはずっと人間の目って騙されやすいんだなくらいに思っていたんです。でも違ったんですよね。とんでもないスピードで脳が計算をしているのでこんな意地の悪い錯覚が起きるようなデータを送っちゃいかんって話ですよ。

人間の脳の半分は視知覚(視覚による知覚)に必要な計算を行うために特化しているので、エネルギーの半分ほどを視覚に費やさなければ、脳を研究することはできない。

『ヒトの目、驚異の進化』(早川書房)マーク・チャンギージー著 石田英敬解説 柴田裕之訳

 さて、最後に。

 視覚のすごさを知ったわたしたちはその視覚をせっかくなのでコミュニケーションに使っていこうじゃないですか。人がより生きやすくなるためのコミュニケーションに。

眼には視覚情報を得る以外に、コミュニケーションツールとしての役割があります。
「目は口ほどに物を言う」といいますが、眼にはヒトが他者に感情を伝える、あるいは他者の感情を推し量るための重要な道具です。(…)
ヒトには白目と黒目があるため、視線というメッセージが他者に伝わりやすいのです。

『まんが人体の不思議』(ちくま新書)茨木保著

 いやはや、『ヒトの目、驚異の進化』にも書いてあったことですが、人間は誰しも超人なのかもしれません。

 どんなに自分が無力で惨めで自分を大切に思えなくても、よく考えてみたらこの体は驚異の連続で「生きて」いるんですよね。

 そんなことを気づかせてくれる

「世界が退屈な日でも踏み出せば記念日になるよ」

という素敵な歌詞の『Ao』で今回は締めるとしましょう。

 では、また。


 


 



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