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『たんぽぽのお酒』(晶文社)レイ・ブラッドベリ 著 北山 克彦 訳

 今年の夏が終わろうとしている。

 あまり良い思い出が残せなかった人もいるだろう、特に今年は。

「特に今年は」と言ってみたが、仕事以外引きこもりな私は、脳内の素敵な夏の思い出はよもや宇宙人より遭遇率が低い。

「海で彼氏とイチャイチャ」とかは、マチュピチュよりも遠方に感じる(心の距離感的に)。

 そもそも、それが一体どういう儀式なのか分からない。それでも考えようとすると、私の中のジャスティスが「やめておけ」と涙する。

 そんな私の話はさておき、

 例えば、数年後今年の夏を思い出して

「残念なことばかりだ」

「思い出したくもない」

 なんて、出来ればそんな風に考えたくはない。

 辛い思いに耐えたことだけを賞賛するのも、少し寂しいじゃないか。

 では、どのようにしてこの夏を脳内に「保存」するか。

 例えば、たんぽぽのお酒のように保存するのはどうだろう。

 袋いっぱいに摘んできたたんぽぽを絞り器に放り込み、流れ出る金色の液体をガラス瓶へと閉じ込めていく。

 雨、風、日差し、昆虫達との戯れ。たんぽぽが外界と接してきた全ては、瓶の中へ。当然、過ごした日々は穏やかなものばかりではないだろう。だが、それを希釈したり、変に加工したりはしない。

 そうしてたんぽぽという名の思い出を詰めた瓶は、地下室に寝かせておくのも良いだろう。時々日の光に当ててやり、黄金色の煌めきを眺めては、少しばかり舐めてみるのも悪くない。

 つまり、瓶の中身は自分が管理出来るものだということだ。

 どんな思い出も、それは「思い出」であり、過ぎた日々の産物だ。

 そんな過去の保存方法を教えてくれたのは、本書『たんぽぽのお酒』である。

 舞台は一九二八年、アメリカの小さな町グリーン・タウン。主人公は十二歳のダグラス。彼は、豊かな感受性と想像力、そして少年なりの哲学を持っていた。

 弟のトムとの戯れで開眼したように彼は「自分が生きている」と実感してみたり、夏が訪れると新しいテニス靴が必要だ(そこには魔法がある)と思い込み、タロット占いをする蝋人形に神秘性を見出したりする。

 大人になると忘れてしまうこういった感覚を自然に、時にはそれこそ魔法と思える幻想的な表現で著者のブラッドベリは書き綴っていく。

 自分が魔法使いだと信じていた子供時代をすっかり忘れてしまった私は、ダグラスの突拍子もない発想や言動に時折読み進めながら戸惑うこともあった。

 しかし、ブラッドベリが本書を発表したのは三七歳である。おや……随分と大人だ。それなのに、ダグラスは紛れもなく十二歳の少年なのだ!

『たんぽぽのお酒』はブラッドベリの自伝的小説だと言われている。どうして、こんなにもブラッドベリは少年の心を新鮮なまま、まるで今、そこで呼吸をしているダグが姿を現しそうな文章が書けるのだろう。

 つまり、これこそがたんぽぽのお酒が持つ力なのだ、と私は思った。

 物語の中で、ダグラスのおじいさんが酒を瓶へと流し込みながら彼に語る。

「……夏を味わいなおしてみて、びんがすっかりからになったときには、夏は永久に去ってしまい、おもい残すこともなく、感傷的なカスみたいなものがあたりに散らかって、これから四十年以上もそれにつまずいたりすることもないからな」

  おそらくブラッドベリは十二歳の時に仕込んだたんぽぽのお酒をずっと保存していたのだろう。何故なら飲み切ってしまっていたら「夏はすっかりからになってしまっている」からだ。ブラッドベリは時折蓋を開け、良い音をたてながら酒をグラスに注ぎ、舌で転がしていたに違いない。実際そのお酒があったのか、彼の頭の中だけで丁寧に保管されていたのか……まぁ、ただの私の想像だが。

 十二歳の少年ダグラスは、少年なりの悲喜をその夏と過ごす。そして、彼が暮らす小さな町の大人達もまた、悩みや家庭内の揉め事、残酷な運命、そして淡い恋心を夏と共に閉じ込める。

 きっとあなたもこの夏が生んださまざまなな感情や経験を持っていることだろう。

 さぁ、それを袋いっぱいに詰め込んで、ダグ達の協力を得ながらあなただけのたんぽぽのお酒を作ってみようじゃないか。酒を味わうのは、来年でも、ずっと先でも、毎年ちびちびとでも──それはあなたの瓶《思い出》なのだから、あなたが好きに味わえば良いのだ。

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