今回はケーキ特集です!
あっ拝見内澤 崇仁さま
内澤さんへの手紙を性懲りもなく書いておりますが、読んでもらえそうにもないので、姑息にも撒き餌をしてみました。
内澤さん、ケーキお好きですよね!
特にチーズケーキ。
なるほど。わかりました。
今回はそんな内澤さんのためにチーズケーキ特集としましょう。
いまではチーズケーキはケーキ屋だけでなく、コンビニでも買える身近な菓子ですね。
ではチーズケーキの起源はいったいどういったものなのか、まずはさっとネットで調べてみました。
ん? プリン? ちょっとこれはケーキとは言い難い。これでは内澤さんに納得していただくことは難しいでしょう。なので自分の書棚を物色してみました。
すると『古代ローマの饗宴』に大カトーによるチーズケーキに似た「リブム」というパンと「プラケンタ」という菓子を見つけました。
プラケンタは読んでいるだけでよだれが垂れそうです。おいしそう。蜂蜜とチーズのパイに近い感じでしょうか。リブムは本書にもはっきりパンと書いてあるようにケーキではないようです。
と言いたいところですが、何とケーキとパンの境界線はとても曖昧なのです。
ケーキの歴史の本なのにのっけからケーキとは何か、それが問題だ、となっています。うお、やべえ。調べものが大変なやつや、これ。
このplacntaと呼ばれるケーキ、どうやら上記の『古代ローマの饗宴』大カトーのレシピにあるプラケンタのようです。
さらにこの『世界食物百科』は上記のリブムにもふれています。
リブラ(リーヴル)のグラム換算が書によってまちまちなのは置いておいて、『古代ローマの饗宴』ではリブム(リバム)はパンとあり、『世界食物百科』には菓子とありますね。さらに
うーん、菓子とパンを区別するのはやはり難しいですね。とはいえ、チーズケーキのご先祖さまと呼べそうな菓子が大カトーの時代(前二三四〜一四九)からあったようです。
では、大カトー以前のチーズ菓子はあったのでしょうか。
このように古くから愛されてきたチーズケーキ。ちなみにチーズ最古の直接証拠はエジプトで発見されたそうです。
紀元前三〇〇〇年頃にはすでにあったと思われるチーズ。す、すごい歴史です。では日本におけるチーズの歴史はどうだったのでしょう。
古代の日本人には牛乳を飲むなんて考えられないことだったようです。ただそんな日本に変化が訪れます。
『日本書紀』欽明天皇の一四(五五三)年春正月の条によると、百済より医博士、易博士などの交代来朝がはじまり、医薬の知識の導入が盛んになりました。
また、同天皇二三(五六二年)に、大友連狹手彦が勅令によって高麗を破り、そのとき『名医別録』や『神農本草経』を持ち帰ったそうです。
ここから、日本でも牛乳は薬として一部の貴族階級(そのなかでも仏教に関心をもつ人)には知られていたと考えて良いようです。さらにその後も牛乳がいかに貴重なものかが外から伝えられます。
本書では釈尊が難陀婆羅(スジャーター)から白牛の乳の喜捨を受けた話がでてきます。これはあまりに有名な話ですね。
上記にある酥とは『日本古代食事典』によると
と、書かれています。ただ『和名抄』には具体的な製法は記載されておらず、平安時代の『延喜式』に作り方があるようです。そして著者の永山さんは実際に酥を作ってみたそうなのですが
と書かれています。おお! チーズケーキ! もしかして平安時代の人はそれとは知らずにすでにチーズケーキの味を知っていたのかもしれません。
とはいえ、日本ではチーズはあまり普及されませんでした。
明治まで牛乳も牛肉も一般の人たちには浸透していなかったようです。
では、日本ではじめてチーズケーキを食べたのは誰なのでしょう。明治まで誰も口にしていなかったのでしょうか。
これらの書にはコンペイトイやボーロ、カステラなどが書かれているのですが、そのなかにケジャトというお菓子がでてきます。これがポルトガルのチーズケーキ「ケイジャーダ」ではないかと吉田氏は書いています。
そしてさらに、西欧のものなら何でも興味を示した織田信長なら口にしていたかもしれない、と吉田氏は予想しています。
ただ織田信長が口にしたという資料は見つかっていないようなので、あくまでも「かもしれない」話ですが、考えるだけでチーズケーキの味に深みが増しそうですね。
ちなみに、ケイジャーダなら現代の私たちでも口にすることができます。時折忙しい合間をぬってケーキ屋さんに足を運ばれると仰っていた内澤さんならご存知かもしれませんが、ナタ・デ・クリスチアノのケイジャーダ、これがおいしいのです。ちょっとトースターで焼くと皮がぱりっぱりでバターの良い香りが漂って、濃厚で最高です。
ケジャト以降日本におけるチーズケーキらしき文献が見当たらないようですが、明治に入ると『食道楽』にチーズソフレー(スフレ)が登場します。ただ、当時チーズは好まれていなかったようです。
さて、では現代のチーズケーキ。これは日本においてアメリカの影響が大きいのではないでしょうか。それにしてもチーズもピザもベーグルも、いまやアメリカのイメージが強いですよね。
アメリカでクリームチーズの消費が拡がった一九二〇年代、その頃日本では『チーズケーキ本』(昭文社)によると若林ぐん子さん『歐米の菓子と料理』が刊行されました。そこにはチースケーキが紹介されているようです。チーズではなく、チースなのですね。そして『チーズケーキ本』に一九四六年には銀座「ケテル」にてレアチーズケーキと焼きタイプチーズケーキが販売されたとあります。なんと一般の人たちに浸透したのは昭和になってからの話だったんですね。
と、今回もやたら食の話ばかりになってしまいました。
内澤さんは音楽家なのでやや申し訳ない気持ちになるのですが、インタヴューで『You』の歌詞や音作りを厨房で仕込んでいるみたいと言われたあと内澤さんは
と仰っていましたね。今回のケーキの話、内澤さんの音楽や歌詞に少しでも何かお力になれたら、と勝手に思っております。
さてさて、今回もまた長くなってしまいました。今日のケーキ話、ずっとチーズだったので、内澤さんの弟さんがお好きな(そして内澤さんご自身もお好きな)チョコの曲で締めましょうか。
この歌を聴くとまるで伴名練さん『なめらかな世界と、その敵』(早川書房)にある、真夏なのに窓の外は雪景色、なんてイメージが浮かびます。
寒い冬の歌なはずなのに、甘くあたたかい『C』で締めましょう。
では、また。