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クローン04 第13話

  十三 彼女の決意が

日が沈み、夜はふけゆき、月が高く昇った。
 この近辺は歓楽街のような不夜城というわけではない。一軒、また一軒と営業が終わり、通りは暗くなっていく。
 街中が店じまいして人通りが少なくなるのを待って、リンスゥはシロウの部屋の窓からそっとぬけ出した。
 となりの建物との間隔はせまい。逆にそれを利用し、壁に背中をつけ、向こうの壁に両足を突っ張って、体を支える。腕を使い、少しずつずらしていくようにして移動する。
 これはロッククライミングで、体が入る大きな裂け目、チムニーを登っていくバック&フットという技術だ。ただ、今回は屋上に登ろうとしているのではない。そのまま横に移動して、ビルの隙間を伝っていく。
 店の表にも屋上にも、監視の目があるはず。ちがう建物の裏通りへ出て、それを出しぬくのが、「表の」ねらいである。
 ほどよくはなれた所で下に降りたい。それはもう少し先だ。リンスゥは器用に建物の角を曲がる。
 シロウは午後に一度ぬけ出し、対決の舞台を用意してきていた。実は店の奥から地下へ脱出路がある。店の前の道路は地下に川がある暗渠になっていて、そこを使えばさとられずに店をはなれられる。
 けれどリンスゥはその道ではなく、わざわざ手間のかかるルートを選んだ。これはシロウとも打ち合わせ済み。「裏の」ねらいがあるのである。
 一見相手に見つからないよう行動していると思わせて、実は見つかることを期待している。なぜなら、リンスゥ自身が、相手に投げられた餌だから。食いついてくれないと、むしろ困る。
 それは追っ手を気にするそぶりを感じさせつつ、相手にこちらの位置を確認させる、たくみなルートだった。表通りや屋上、念のために裏路地も使わず、壁伝い。何軒かはなれた所から道へ出た。襲撃を準備している集団とは逆方向。目視では確認できていないだろう。
 だが、そうして密かに脱出しておきながら、リンスゥは自分のテレメトリに見せかけた信号を発する発信機を身に付けている。「逃走ルート」はわざと、この近辺では数少ない生きているセンサーポストのそばを通るように設定している。信号はすぐにつかまり、周囲を電子的にも監視しているはずの追っ手に、リンスゥの所在を知らせるだろう。
 ターゲットに逃げられたことを知った襲撃班は、戦力を分散するしかない。
 シロウはどうやってか『暁里(シャオリ)生物科技』の社内ネットワークに潜り込み、相手の事情をつかんでいた。昨日、他社との大規模衝突が起きていて、そちらの対応に戦力を取られている。こちらに回せた増援は、戦闘用クローン二体とサポートチームのみ。
 新型をふくめた三対一なら、リンスゥを倒すことは容易だ。だが今、リンスゥが逃げ出した。追っ手に三体は送れない。事情を知っているかもしれない店の者も、速やかに処理しないといけないからだ。取り逃がすリスクをさけるためには、表と裏から同時に突入させたい。
 つまりリンスゥを追えるのは一体だけ。性能的に、それは九十六号になるだろう。昨日仕留めそこねたのは、シロウの援護と建物に張りめぐらされたセンサー網のため。今なら、そのどちらも存在しない。九十六号一体で、十分勝ち切れる。そう判断するはずだ。
 それがリンスゥとシロウのねらいだった。一対一の近接戦闘に引きずり込むのだ。
 リンスゥに付けられた発信器は、追跡者に追われ緊張しながら逃げる人間にふさわしいバイタルを送信していた。
 しかし当のリンスゥは落ち着いている。刷り込みが外れたとしても、彼女はやはり戦闘用クローンだった。
 緊張はあったがそれはよく知った感覚。おびえではなく、これから向かう作戦への張りつめた集中。
 実際のところ、危険な作戦であることは承知していた。シロウはリンスゥを気づかってか、軽い口調をくずさなかったが、戦闘行為に関してはリンスゥもプロだ。
 クロックアップによる反応速度の差はうめられたかもしれない。しかし、相手は最新型だ。その他の性能で、上回られることはあっても、こちらが優位に立てることはないはず。強敵であることに変わりない。勝てる可能性の方が下回る。
 その事実をリンスゥは冷静に受け止めていた。
 リンスゥはそれを、いつもの作戦行動前と同じ、戦う道具として感情を排除した結果だと思っていた。
 だがリンスゥは気づいていない。
 守らねばならぬ者を守る彼女の決意が、事実を乗りこえたのだということを。
 決意によって支えられ、振るまいは餌として相応しく。
 リンスゥは夜の街を進んだ。

 海に程近い臨海地区にクロサキと九十六号は立っていた。
 温暖化による水位の上昇で水没し、ライフラインが寸断され、廃墟となった高層建築群。明るい月明かりにその姿を浮かび上がらせている。舗装路をおおう波も月の光を反射して、幻想的なおもむきさえある。
「ここか」
 そのビル群の中の一つに着く。
 この建物は土台が高くなっていて、一階フロアは浸水していない。他のビル同様、人も住まない廃墟となっているが、もとは豪華な造りの高級ホテル。床や壁には大理石が使われ、柱は太く、天井は高い。柱や壁の高い位置には、彫刻もほどこされている。
 一階のロビーは広い。外向きの壁面はすべてガラス張りだったと思われるが、頻繁に発生する暴風雨と高波で割られたようで、その姿は残っていない。
 追跡対象の反応は、この建物の中へと消えていた。
 クロサキは立ち止まり、考える。
 夜になってあの店をぬけ出して移動。人目に付かないようにしているが、センサーポストにはつかまっている。
 これは対象が戦闘モードで活動している証左だ。『暁里生物科技』の製品は、戦闘モードに入るとネットワークにリンクするように設定されている。それを利用して『暁里生物科技』は戦闘記録を取っている。そのデータをリモートメンテナンスに反映させるのだ。
 そのリアルタイムデータを、クロサキはながめる。
 これを我々から逃げていると考えるか、わざとセンサーポストにつかまえさせておびき寄せようとしていると考えるかで、こちらの取るべき対応はちがってくる。ここに至る行動パターンは我々から逃げているように見えるし、バイタルもその傾向だが、そもそもセンサーポストの少ない地域で「幸運にも」見失っていないのが気になる。ここもぎりぎり範囲内だ。
 ターゲットのサポートに入っている人物も考慮しなくてはいけない。以前偽装工作に手を貸していることから、事情はある程度わかっているだろう。その人物と検討した結果として、単純な逃走を選んだのか、それとも……。
 だが、大規模な罠を張る時間はなかったはずだ。ターゲットがぬけ出したあの家も、ふつうの飲食店兼住居の雑居ビルで、たいした武器は常備されていないはず。
 さらに個体の能力なら九十六号が上回る……。
 クロサキは結論を出した。
「行くか」
 振り向かずに九十六号に声をかけ、銃の安全装置を外す。九十六号も同様にしていることはわかっている。一階ロビーへふみこむ。
 外は明るい月夜だが、中に入るとさすがに暗い。着けているバイザーを赤外線モードへ変更する。フロアがぱっと明るく映る。輝度を調節して、ちょうどよいコントラストにする。
 センサーポストからの情報は、リンスゥの所在を二階と示している。警戒しながら進む。
 玄関正面奥の位置に、二階フロアへと上がる階段があった。ロビーはふきぬけとなっており、そこを上階の通路が取り囲んでいる。そこへ上がる幅広の階段だ。
 ここは攻撃を受けた時に身をかくす場所がない。奥へ回って他の階段を探すべきか。しかし赤外線画像なら、相手の行動も見えやすい。ある程度視野の取れるここから上がった方がいいかもしれない。
 上の様子を見る。
 その時。
 パアンとかわいた音が弾けた。
 銃声?
 一階の奥からだ。
 二人は反射的に物かげへ飛び込む。見晴らしのいいロビーで、そちらからの攻撃の遮蔽物となるのは、受付カウンター。かがんだまま、攻撃手の姿を確認しようと、その角から様子をうかがう。
 その時、赤外線画像で、右手に構えた銃がぽうっと光った。
 九十六号が即座に事態を把握。クロサキの銃をむしり取ると、後方に思い切り投げ捨てる。
 ロビーに転がる銃。
 暴発した。
 しかも一発だけではなかった。立て続けに炸裂音がし、跳弾が床の上をはう。
 さけるために、二人はカウンターの奥へ体を押し込む。
 すると今度は九十六号の銃が、赤外線画像で明るくかがやき始めた。すぐさま九十六号は銃を捨てる。今度はさらに大きく投げて、安全な距離を取れるようにする。銃は床をすべって玄関から飛び出し、水面に沈んだ。
 その時、じゅわっと金属の冷やされる音がした。
「ヒートトラップか!」
 クロサキも状況を把握した。銃をにぎっていた手がひりひりとした痛みを伝えてくる。グリップにはプラスチックが使われているが、一部は金属で手と接触していた。金属が加熱され、やけどしたのだ。
 連続射撃などで銃身が熱を持ったとき、薬莢内の火薬が自然発火し、暴発が起きることがある。ただ、その場合暴発するのは銃の薬室に装填された一発だけだ。今、クロサキの銃は全弾暴発した。右手の火傷の通り、銃全体が加熱されたからだ。では、その原因は……。
 カウンターの側面の角が少し浮いている。そこに手をかけ、一気に引きはがした。
 現れたのは、一面の誘導コイル。偽装がほどこされ、シートがはられてコイルをかくしていたのだ。原理は料理に使うIHヒーターと同じだ。高周波の交流電流を流して、相対する金属に誘導電流を発生させ、加熱する。
 シロウが部屋にある電子部品を使って、昼間のうちにしかけておいた即興の罠だった。
 しかし、この罠が機能するためには、機器の構造よりも、設置場所とタイミングの方が重要だ。つまり設置者はクロサキたちの行動を予測し、このカウンターのかげに誘導したことになる。
 回路をたどると、カウンター奥に押し込められたバッテリーにつながっていた。EV用の大容量のもの。コードを引きぬき、罠を無力化する。
 九十六号がクロサキの腕をつつく。ロビー奥の開いた扉を指差している。
 銃はやられたが、身に付けた電子機器類は戦闘用の電磁シールドがほどこされていて無事だった。バイザーの暗視機能が暗がりの様子を映し出す。
 部屋にはクロサキたちをこのカウンターに誘導したトラップが置かれていた。とても簡単な、お手製の装置。銃ではなく、火薬で音を鳴らしたらしい。
 こんな安いギミックで、対象の行動を誘導するとはお見事だ。クロサキは思わず小さく舌打ちをもらす。
 しかも誘導電流を発生させるコイルの設置場所が絶妙だった。銃声の方をのぞき込む時、右手に構えた銃がちょうどコイル正面に来るようになっている。
 まるでクロサキの体格を測ったかのようだ。
 設置する時間はないと思っていたのに、手のこんだ罠を用意する手際のよさ。そしてその罠に込められた緻密な計算。焼却所の遺体の偽装工作に気づいた時にも思ったが、サポートについているのは本当に優秀な人物だ。
 その時、ふきぬけのロビーに面した二階通路に動きがあった。九十六号が即座に気づいてクロサキを引き倒す。カウンターを階上からのぞける位置にリンスゥが姿を見せ、銃撃を浴びせた。
 するどい射撃音がロビーにこだまする。ねらいすました、計画通りの奇襲。
 しかし、九十六号はそれを当然のようによける。最小限の動きで、紙一重で。
 銃弾が床をうがち、その破片がクロサキの右腕を切りさいた。
 弾がつきて、リンスゥは姿を引っ込める。
 一方的に攻撃できる有利な状況で、再装填の様子がない。やはりあの店舗兼住居に武器のストックはなかったのだろう。そう判断したクロサキは指示を出す。
「追え!」
 クロサキ自身は動かない。右腕に破片を受けた。重傷というほどではない。ただ、戦闘用クローン相手の戦力には、もうならないだろう。
 九十六号は振り返り、クロサキの様子を確認してうなずくと、カウンターから飛び出し一気に階段をかけ上る。
 二階のフロア。
 一階ほど天井は高くないが、ここも広いロビーになっていた。波にさらわれた一階とちがい、ここには手すりの側にテーブルとソファーが残っている。喫茶スペースだったようだ。
 その向こうにリンスゥが待ち構えていた。
 よく似た二人。
 同じ顔。
 同じように伸縮性の高い、身体にフィットした上下。
 ナイフをぬいて向かい合う。
 リンスゥは落ち着いていた。
 最初から銃撃には、あわよくばという程度の期待しかしていなかった。相手の新型戦闘用クローンがマリアの銃撃をよけたのをこの目で見ている。一人だけでも戦闘不能にできたのは幸運だ。
 銃を捨てさせ、接近戦に持ち込む。一番のねらいが達成された。
 だが、まだそれだけだ。このあとリンスゥが新型を倒して初めて、意味が出る。
 慎重に間合いをつめる。シロウの説明を思い出す。
「いいかい、クロックアップした者同士の戦いは、手の内の読み合い。チェスや将棋のようなものになるはずだ。最初に攻撃パターンを選んで起動する。そうすると意識はもう追いつかないので、身体と切りはなされる。だから相手の回避パターンも織り込んで、攻撃を二の手三の手とつなげておくことが重要だ。反撃がきた場合、自動的に回避パターンが起動して、防ぎながら一度距離を取る。そこでもう一度攻撃パターンを選ぶ。これのくり返しだ」
 相手を見すえ、クロックアップを起動させる。
 一瞬すっと、血の気が引くような感覚がおそった。
 だがそれは身体に影響をおよぼすものではなかった。身体の方は、即座に動く。一気に間合いをつめる。
 リンスゥが突きを入れる。九十六号が体をかわす。
 それはリンスゥの予想の範疇。外側に逃げる九十六号を追うように、身をひねって刃先を突き出した。
 それをよけ、九十六号はリンスゥの脇を目がけてナイフを突き出す。肋骨の下、肝臓のある所。深くさされば出血多量で死に至る急所だ。
 リンスゥの自動回避パターンが発動、ナイフをはらい、その勢いで身をひるがえし、距離を取る。
 それは不思議な体験だった。
 最初の動作は自分の意思で動き始めるのに、その後「自分」は傍観者になる。
 勝手に身体が動いていき、それをながめている感覚。また、動きが速く、認識の方が遅れているのも傍観者気分に拍車をかける。
 まるで、自分で自分のセコンドについているみたいだ。
 傍観者であるならその立場を利用して、冷静であろうと心がける。
 反応速度はほとんど同じ。心配していた身体能力は個体差の範囲内でほぼ互角。シロウの言う通り、彼のメンテナンスの腕は確かで、リンスゥの身体は今までにないほど調子よく、新型の能力によくついていっている。
 さらにソフト面で図られた新型の性能向上に対して、シロウが組んだリンスゥのプログラムはうまく動いていて、そちらの差もうめている。
 能力差はほぼない。ならば。
 
 この勝負、相手の動きを読み切った方が勝つ。
 
 次の先手は九十六号が取った。正面からの突きが入る。リンスゥがそれをさばく。そのさばいたリンスゥを追って、突きからの連続攻撃。リンスゥにガードさせ、その空いた所をねらう、よく計算された攻撃パターンだ。
 リンスゥの自動回避が発動する。大きく身を返して後退する。
 しかし、九十六号は下がるリンスゥに合わせるようにふみこんできた。下がる歩幅よりふみこむ歩幅の方が広い。追い込まれる。
 このまま九十六号の攻撃パターンがリンスゥの自動回避を飲み込むのかと思われた瞬間、リンスゥが身をかがめ、足払い。九十六号はそれを跳躍してよけた。
 その隙にリンスゥは、ぱっとはじけるように距離を取る。
 攻防は一進一退となった。
 常人では目で追えないほど迅速で連続した攻防。リンスゥは強化されているはずの自分の身体が悲鳴を上げるのを感じた。
 能力はプログラムの出来をふくめてほぼ互角。決着は簡単にはつきそうにない。
 このままどこかが先にこわれた方が負けるのだろうかと、長い戦いを覚悟した。
 しかし最後は唐突に訪れた。

〈最終話に続く〉

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