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発達の特性のある子の難しさと、話の聴き方を考え続けている

 息子が帰省した。 

 発達障害の診断は、2つがしっかりと下されたそうだ。 
 今後息子がそれらにどう対応し、どう生かし、どんな風に暮らしていくかが大きな課題。

 息子はコミュニケーションに特に問題がなく、穏やかで周りもよく見ている。と思っていたけど、少しちがった。

 私たちが会話をしながら感じる行間のようなものを、息子はあまり感じられず、それまでの経験や思考力で補っているのだそう。今回息子が打ち明けてくれた。
 たくさんの会話を経験したことで、後天的に人とのコミュニケーションに不自由しない方法を身につけてきたと言う。

 つまり会話をしている時、息子の脳はフル回転しているわけで。会話をマルチタスクと認識していれば、そりゃあ脳疲労が甚だしいよ。HSP(highly sensitive person)で様々に感じすぎるのも疲れるけど、全部を考えて瞬時に対応するのも大変そう。

 又、発達障害とうつとは相関関係があるらしく、どちらもがどちらをも悪化させる場合がある。息子は深刻ではないものの、ちょっとした悪循環に陥っている。
 大きなきっかけはないらしいけど、この2月入った辺りから調子悪いとのこと。
 片づけやら基本的なことができなくなったと打ち明けてきたのが3月の終わりから4月にかけて。


 息子の発達の特性については今までちょこちょこ書いてきた。息子の場合は、私がそうじゃないかと感じていた2歳の頃から少しずつ少しずつ私なりの対応をしてきた。一般的には何か月かで「言えば身につく」しつけを、何年も何年もかけた。10年以上かかって身についたこともある。時には私が爆発して怒ってしまって、その度に自分を責めたり本を読んだりしながら夫と話し合いながら。学校の先生に、私も非難されながら。 
 運動機能も高校3年生くらいになってようやく平均の範囲内になって、本人も喜んでいた。
 いばらの道をかきわけ、踏みしめ、痛がったり、切り落としたりしながら、ゆっくりゆっくり一緒に歩んできた。

 でも様々なことが、息子にとってその時の対応でしかなかった。家の中でどうにか身についたことも、環境が変われば息子は対応しきれない。

 もっと詳しく書ける日が来るかもしれないけど、様々なことは複雑で、今はまだここに書く気持ちにならない。息子も今は大変な時だし、私も不安がないわけじゃあない。

 皆さんの思う大学生よりずいぶん偏っていて、できることは驚くほど秀でており、夫や私を含めた多くの人たちが当たり前にできる事の中にできないことはたくさんある。
 それは想像の範ちゅうを超えていて。私たちの「それ、あるあるだよね~」のしたくないことや失敗、ていどではない。そんなだから、特性に理解がないと、注意が足りないとか怠けているとか誤解されてしまう。生活のことだけじゃないよ。大学生としてやらなければならない学業も。ただやる気がないだけとかじゃない、脳に発生する物質にも問題あるんですって。見たり、ちょっと接したりだけではわからない。

 一般的な反応や平均的な成長とはちがうから、多くの人たちの言ったり書いたりする「大学生」や「親子関係」に、私は時々心を乱されてしまう。
 だってそっちの方が「普通」とされているんだものね。
 大人がこう言えば子供側がこう反応するなんて、親自身の身の振り方やすべき言動がわかりやすくてうらやましいなと思ってしまう。
 もちろんそれぞれに何かを抱えていたりするものだと、周りの親子を見ていて垣間見える。自分の学生時代を振り返れば、実際はそれが簡単なわけでも、ラクでもなかったのもわかっている。親を戸惑わせたり、悲しませたり、怒らせたりしたこと。
 それでも夫も私も「自分たちは大人たちにとってわかりやすい方だったんだよな。そうはずっと思ってこなかったけど簡単な側だったと思う。息子君は大変そうだもんな」と、お互いに話す。
 息子の特性は、ずっと難しかったし、他の人にはないそれらの対応について相談できる人はわずかだった。一番つらかったのは小学校の先生に責められたこと。4年間、同じその先生で。何度話し合っても、理解はなかった。それでも学校に通い、私も夫や友人たち、カウンセラーなど周りに支えられながら息子と何度も何度も言葉を交わし、話し合い。先生の対応が、どれだけ苦しかっただろう。心にひっかかってしまった言葉が山のようにある。
 中学や高校でだいぶ落ち着き、なのに大学生になってより顕著に出るなんて想像していなかった。 

 とにかく今回は、よくSOSを出してくれた。
 
 最初は息子を責めそうになってこらえた。
 そして時を置かずに私は自分を責めるようになった。

 でもそれもちがう気がしてきた。
 大人側が自分を責め過ぎるのは、自分が子供のすべてをコントロールできると思っているからだ。子供の特性を自分がどうにかできるなんて、子供の人格を無視して、親である自分を何様だと思っているのだろうと思い直す。
 自分が言って聞かせれば子供が変わる年ごろでもなくなった。

 それでも油断するとすぐに自分を責めそうになる。

 じゃあどうすれば良いのだろう。
 不安だけど、私の気持ちはきっとそれほどのものではない。だって息子の方が不安でいっぱいだろうから。

 自分の特性を受けいれるしかないと言う息子は「それでも、変わらないんだからと思ってしまいたくないんだ」とも言う。「変わらない、と最初からあきらめてしまうと、越えられる段差も越えられなくなってしまうかもしれないでしょ」。
 息子は変わろうと焦るタイプでもないので、その加減は息子を信じたい。
 そしてHSPを受けいれてきた私とは考え方がちがうけれど、その気持ちを応援したい。若いからまだこの先の暮らしも長いのだし息子には希望も自分への願いもあるだろう。

 今の私にとって大事なのは、息子の言葉に耳を傾けること。
 話を聞いていると、聞き終えたにしても、つい「お母さんもね…」と自分の話を持ち出してしまう。
 その話によって息子の気持ちを軽くしたいのが目的。でも今は他の誰かの話をしているんじゃないよね。息子が息子の話をしたいんだ。
 そしてつい「こうすれば」良くなる、「ああしたら」良い方に行くんじゃないか、と言いがちな自分にも気づく。

 でもそれでは、今がまちがっていると教えていることになってしまうじゃないかと気づいた。それに本当に「こうすれば」息子にとって正しい道なのだろうか。

 息子の鼻白んだ表情を見て申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 その申し訳なさは「そんな先のことまで考えられないんだ」の言葉でいっそう強いものになった。

 そんなことを聞きたいんじゃないし、それを聞いたからって僕ができるわけでもない。息子がそう話す。「誰かがそのやり方で良くなるとしても、僕がそうなるとは限らないでしょ」。

 そうだよね。息子を簡単にわかった気になっちゃいけないよな。簡単にわかったフリもしちゃいけない。

 話し合ううち、息子の話を、ちゃんと聞けていないのではと気付かされた。自分のこれまでの接し方をふり返った。次々と場面が思い出され、喉の奥が苦しくなる。息子とだけでなく、たくさんの人との関わりも。

 私は人の話をちゃんと聞いてきただろうか。
 人の心配をしながら、自分の気持ちを言いたいばっかりなんじゃないか。

 他の人と話している時だってそう。誰かがつらいと思う気持ちが伝わってきた時に、聞いてあげるフリをしながら、自分の気持ちを押し付けてはいないだろうか。


 私は、誰と話しているのだろう。



 息子によって私は、多くの人の気持ちを考えさせられて、人として成長させてもらっている。今までだって。そんな風に思うことは数えきれないほどあったけど、今回ほど自分を省みたことはなかったかもしれない。
 あまりにも気づいていなかった自分の、未熟な部分。

 救いは、息子が全力を注いでしまうほど好きなことが見つかっていること。
 そして「言葉をそのままとらえ過ぎて苦しくなりそうなことがある度、‘いいかげんで良いのよ’と言ってもらったことで、僕は比較的伸び伸びいられたよ」と言ってくれていること。「いい加減」が特性上、難しいのだとも言っていたけど。
 あとはたくさんの会話の経験が、息子のコミュニケーションを手伝っていると知ったこと。

 実は今回、発達の特性を調べるにあたって、IQも調べ、全体の数値に関しては、ギフテッドの域だとわかった。
 ある項目に関しては、そのお医者さんが「実際には見たことがなかった」と言った高い数値で、息子にいかに偏りがあるかがよくわかった。
 本来ならもっと早く知るべきだったし、知るチャンスだってほしかった。
 息子の可能性をこれからもつぶさないようにいたいし、どう生かしたら良いか息子自身が元気を回復して考えられるようになると良い。


 息子は今は休みたいと話している。これからの時期は夏休みだけど、それをきっかけに人生の長めのお休みに入る。
 幸い、ひどい更年期を過ぎてほんの少し元気になってきた私は、それに伴って料理が少し楽しくなってきている。好物も作りつつ新しい物にも挑戦しようと思うから、楽しく食べてもらって元気回復に少しは貢献できると私もうれしい。あとは、夫も私も日常を過ごすしかない。
 そして夫と息子と時にはじっくり話したり、今まで通り笑ったりしながら過ごせる日があると良いな。
 特別なことなんかできないけれど、家族で過ごすこの夏を楽しみにしている。
 


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。