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子供たちに対する大人の思いを感じた~ジョジョラビット~

 もっと後で載せようと思っていたけど、次々と感想やレビューが出ている。パクリだと思われそうだから、さっさと載せちゃう。


 戦争を描いた映画は、こんな私でも少しは観てきた。若い頃は特に「知らなくちゃいけないんだ」と、自分に課して観ていた。

 「火垂るの墓」で、戦時中、親のなくなった兄弟姉妹たちがどのような思いを抱えていたかに思いを馳せた。

 「プラトーン」で最前線の黒っぽい画面、気軽な殺人を目にし、絶望的な気持ちになった。

 「天と地」で、戦争が終わってからの、トラウマとの苦しみを知った。

 「シンドラーのリスト」で、ユダヤ人たちの収容所での扱いがリアルに描かれていてショックを受けた。

 他に、「チャップリンの独裁者」「愛と哀しみのボレロ」「7月4日に生まれて」「グッドモーニングベトナム」「フォーザボーイズ」「ライフイズビューティフル」。ザッと思い出せるだけでこのくらいだろうか。「サウンドオブミュージック」や「フォレストガンプ」では映画のメインではなくとも、要の一つとして描かれていた。

 20代半ばで、辛い内容を目にしたショックと、気質のために気持ちが抑えられなくなってきたため、その辺りでもう断念した。

 そして数年前、「この世界の片隅に」を観た。

 「ジョジョラビット」も、そうだったけど、とにかく画面の情報を処理するのに精いっぱい。途中で涙が流れたかどうかなどどうでも良くて、ほぼ垂れ流し。

 初めて「この世界の片隅に」を観た時には、観終わってから映画館を出るまでほとんど声を発せられなかった。声を出すとワッと泣いてしまいそうで。夫もほとんど黙っていた。

 気持ちが落ち着いた頃に二人で話し始め、しばらくあふれ出る感情が止まらなかった。

 今回もやっぱり、画面で起きている出来事に追いついていくのが精いっぱい。多分、あれもこれもショック過ぎて、感情が波立たないようにしているのだろう。泣いたって、それがどうしたとばかりに現実が流れていく。

 だから終わった後に緊張が緩んで感情がドッと押し寄せてくる。

 今回は、観た映画館が小さかったのが良かったのか悪かったのか。観終わってから夫への一言目を発するのがまだ早かったようで、たまらずに外で私はボロボロと泣いてしまった。ごめん、オット! 人通りが少なくて良かった。

 コミカルな点で批判される部分もあるようだけど、私にはあのくらいで良い。

 人々の暮らしがもっと大変で惨めで憎しみと悲しいものでいっぱいだったとしても。すべてを知り得るだろうか。戦争を実際に経験している母は、「戦争映画は辛すぎる。知ってるから良いの」と観ようとしなかった。でも日常や恋、穏やかな心の動きが描かれた「この世界の片隅に」はドラマでしっかりと観ていたと言う。

 様々に種類があって良い。戦争が起きた時。最中。あっち側。こっち側。悲惨さ。残酷さ。苦しみ。差別。飢え。生傷。殺し合い。病気。憎しみ。緊張。傷み。痛み。戦争が終わってから。虚しさ。寂しさ。激しいトラウマ。いびつな愛情。キリがない。

 そしてどの時代でも、どこかにあった日常。

 それぞれに違う日常。愛情。恋。自由な心。葛藤。当たり前だ。どこを切り取るか。どこに共感するか。どこに胸を打たれるか。何を想像し、何を感じるか。

 どんな状況でも人は泣いたり笑ったりしながら、目の前の出来事を何とか超えていかなければならない。次の世代に何とか伝えていかなければならない。

 そして日常を描いた時や笑いを交えた時。愚かさは、より際立つ場合がある。時によっては、辛くて衝撃的な画面よりも。

 母親のロージーが息子のジョジョに教えようとしたのもそうした意味だっただろう。ちゃんとこの愚かさを目にしなさい。日常の中の人々の、狂気になり得る意見だとか信念だとか。

 今の時点で私は、母親のロージーで頭がいっぱいだ。

*肝心なところは書いていないので、ネタバレはありません。でも内容には触れているので、気になる方は、映画を観てからどうぞ。

 クレンツェンドルフ大尉のジョジョへの言葉で、大人の、子供たちへの思いを感じた。耐えられない思いが湧き上がる。10歳の男の子が背負わなければならない現実に、胸が苦しい。ジョジョはその言葉に、ようやく気持ちを吐き出すように泣く。

 子供を思う多くの大人たちは、どこにいようと、この気持ちはあっただろう。

 ロージーも正気と、自由で強い心を持ち続けた一人だった。

 ロージーの姿を観て、親としての愛を胸に刻めたとしたら、そのすべての大人を称えたい。もちろん私自身に対してもだ。どんな状態にいても、無理な自己犠牲を感じさせずに、明るく子供を楽しませ、喜ばせる。彼女の心は、自分のためにも、息子のためにも、自由であり続けるのだ。

 息子が自分の思想と違う行動に出ても。批判せずに、感情的にもならずに、きちんと息子と議論する。

 靴ひもが結べなくても。焦らせずに結んであげる。息子が自分で結べるようになるまで。

 戦時中でも、大人たちは子供たちの成長を見守り、愛していた。

 そして、それぞれの大切な命は、いとも簡単に奪われ、それが日常の風景になってしまう。それが戦争。

 映画を観ている私たち以上に「起きている出来事に追いついていくのが精いっぱい。多分、あれもこれもショック過ぎて、感情が波立たないようにしているのだろう。泣いたって、それがどうしたとばかりに現実が流れていく」。

 愛と自由。それは素晴らしくて、そして日常のもののはずなのに。それを許そうとしない戦争。「この世界の片隅に」の時と同じように、観終わると、愚かさを感じ、虚しさで胸に黒い空洞がぽっかり空いた気持ちになる。この戦いはなんなのだ。愛する人、大切なものをただ失うだけの戦争ってなんなのだ。

 デビットボウイの曲が流れ、エルサと踊る場面。

 バカバカしい衣装を着て、ジョジョのドイツ軍服を脱がすクレンツェンドルフ大尉。

 ロージーに希望を教わるエルサ。
 
 ロージーと踊るジョジョ。

 ロージーの前で膝を抱えて座るジョジョ。

 心に強く残るシーンが多い。

 そして最後にリルケの詩。

全てを経験せよ 

美も恐怖も 

生き続けよ

絶望が最後ではない

 タイカ・ワイティティの、自身のルーツについても含めて、覚悟と彼の強い心を感じる作品だった。


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