見出し画像

確かに愛を感じた~ソー:ラブ&サンダー~

 「ソー」シリーズは、4作目。
 3作目「ラグナロク」から監督を引き受けているタイカ・ワイティティが、今回も担当。彼が担当になってから、一気にコミカルなムードへ。

 ソーは、北欧神話で雷の神様。
 北欧神話を読めば、みんな愛憎にまみれて、人間くさい。まあ神話つくったのが人間だからなのか。にしても、そんな昔の昼ドラみたいにドロドロしなくてもってくらい。
 神話ってだいたい人間くさいものだけど、時々急に魔法みたいな力が発揮されたり、急に「こうなりましたとさ」と語り手の都合よく、だれかが悪くなったり良くなったりする。

 ソーも一応神さまだから、成熟した大人(?)の設定だと思っていたけど、見かけが青年なだけで、たいへん未熟なところから始まるのだ。

 アベンジャーズとしては戦闘力として活躍する。最初は神様だし強いし、大人だと思って見ているんだけど、まあわりと早々に気付く。

 「ソーって人間にたとえると、もしかして思春期?」

 それが「ソー」シリーズの中でも「アベンジャーズ」シリーズの中でも、少しずつ大人になっていく。

 彼は「アベンジャーズ」3の「インフィニティ・ウォー」で自分への失望と絶望の、これぞ「どん底」ってところまで落ちる。

 愛する家族や仲間を目の前で殺されて、精神的に落ち込まないわけがない。しかも最強の敵であったサノスを仕留めかけたのだ。どこを攻撃するか、とっさに違う部分にしていたら皆の悲劇も軽減、回避されたかもしれない。と、自責の念にかられ続ける。(実際は回避されないって、ドクターストレンジは未来を見越していたので、「とっさに違う部分」にはならないのだ)

 だから4の「エンドゲーム」の彼は、引きこもってゲーム三昧、アルコールが手放せず、激烈に肥満体型となっている。なんならフリッガ(お母さん)に泣きついて甘えちゃう。ヨシヨシって慰められる。

 それを今回の「ソー ラブ&サンダー」の冒頭で説明される。


※ネタバレあります


 彼は心の傷を、脂肪という鎧でおおった。
(序盤のそんなようなセリフで、夫は「オレのための映画だと思った」と心ゆさぶられたようだ)

 だからもう一度きたえ直した彼は、昔の彼をさらに超えていた。
 強すぎやしないか。イルミネーションばりにやたらにビカビカ光って派手すぎるし。
 
 そんな気がしないでもないのだけど、タイトルから「ラブ」と「サンダー」なんだよ! って知らされているからまあ良いのだ。

 で。1「マイティ・ソー」で恋人だったジェーンと再会したら、ジェーンもムジョルニア使いの「ソー」になっていた。

 二人のソーは、アスガルド王のヴァルキリーと、親友とも言えるコーグとの四人で、さらわれた子供たちを救うべく戦いに挑む。

 ちょっとね、子供たちが洗脳されて戦わされている感じが、良い気分ではなかったのだけど。

 ただアベンジャーズの3で殺されてしまったヘイムダルを継ぐべく、その息子アクセルの活躍シーンは良かったなあ。ヘイムダルはすべてにおいて素晴らしい役どころだったので、息子アクセルが今後活躍してくれたら楽しいなあ。


 一貫していたのは、「愛する人を失っても、(心の中から)いなくなるわけではない」。

 それが苦しみや怒りをもたらすこともあるけど、その人からの愛も自分の中にあるその人への愛も、ずっと存在しているはずなのよね。それをちゃんと見ましょうよって言われ続けている感じ。

 ジェーンのお母さんも、ロキも、ゴアの娘も、みんないるんだ。そして。

 ……それ以上はさすがに書けないか。

 だけど、ヴァルキリーが静かに一人で、ジェーンがソーに言葉で、ソーが背中で(本当に背中で)、そしてゴアが。
 みんなが「ラブ」を教えてくれた。
 復讐することでは、愛情は満たされないんだものね。

 
 ソーは今回、やっと大人になったんだなと思えた。


この記事が参加している募集

映画感想文

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。