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大切にしようと思えた人たちは

 誰かが落ちこんでいる様子の時。どんな言葉をかけたら良いか元々励ますのが下手だった私は今も迷う。
 親しくなってくると、その人のパターンみたいなものがあるとわかる。場面や状況は変われど、「なるほど。この人はそこがポイントなのか」。

 私自身についても、noteで同じようなことを定期的に書いてしまうから、本質的には同じだなあと自分でわかる。そしてそれって消化できていないからでもあるよなあ。
 湧いてくる思いを無理に抑えつけていると返って長引いちゃう。

 前回書いたことも自分の中で長くなってきたから、そろそろ納得して気持ちをスッキリさせたいのだ。
 どうにかしようと徹底的に向き合うことにした今回。

 こんな風になった時の、皆さんの対処法みたいのがあればと聞いてみて良かった。

 まずそんな内容にスキつけてくれるだけで受け入れられた気がして、ホッと安心する。

 そしてコメントの一つ一つがありがたかった。
 お風呂に入って身をまかせてみたり、苦しくなった自分に声をかけたり。好きなことをしつつ、でもけっきょく何もしない気の持ち方も良いもんだなと思った。美味しい物食べるのも楽しい気分になる。意外と身体も弱っているから横になるのも良いな。
 自分を癒しつつなんとなく時が過ぎるのを待つしかないのだろうな。
 そして私にとっては、そろそろもう良いのではって。時が来ているよね。

 一晩明けるとふと思った。
 みんな優しいなあ。

 みんなも葛藤の波を感じながら親身になってくれたり、ひと時、思いをよせてくれたりする。
 そうだ。
 あの頃も、私を励ましてくれた人たちがいた。とは言っても、家族以外で話したいと思える人が少なかったから二人だけ。

 彼女たちのメールを読み返してみよう。

 ひどく落ちこんでいた私だから、なんとなく「ありがとう」の気持ちしか覚えていない。彼女たちは何と言葉をかけてくれていたのだろう。

良いことだけの人生なら、良いことだけ書けるけど、落ち込むことがあったら聞いてもらいたいし、仲良くしている人が落ち込んでいたら、励ましたい

 友人たちの返事を読んでいくうちに、落ちこんだ大元にたどり着いていった。たしかにあの頃、身体の不調を含め、たくさんのことが重なっていた。あんな言葉もこんな言葉も私には痛くて悲しくて。
 だけど落ちこんでいた私への、さらに大元となったいくつかの言葉を久しぶりにしっかり目にした。もう一度傷つきそうなものだけどそうじゃなかった。

 えええ。
 私、こんな横柄で無神経な言葉をかけられていたの。
 ひどくない?

 そんな感想だった。1年以上も経てば多少は客観的になれるらしい。その頃の私は気持ちが、あれもこれもに波立ちすぎていて、自分でわからなくなっていたようだ。
 親しくしている友人は気丈なタイプなのだけど「そんな言葉、私なら泣いちゃう」と書いてくれていたのに。その友人の気持ちも受け止められていないほど悲しくて。イヤな気持ちになる自分をも責めていた。そりゃしんどいわ。
 ちょっぴり怒りも感じた。でももうそんな激しい感情も湧いてこないな。月日が過ぎちゃったからかな。
 激しく怒らないための期間でもあったのかもしれない。

 読みながら感情が変化してきたのが自分でわかったので、そこまで来たらあとはちょっと。

 思いをよせて根気よく励ましてくれた彼女たちを優しく感じて、その友人たちを大切にしなくちゃなーと思った。
 それはこの前、スキやコメントで気持ちを表してくれた人たちを大切にしたいなーにつながった。すごくすごくありがたい。

 自分にとって大事なのはどういう人たちなのか。心を向けたい人は。
 軌道修正していこう。

 答えなんて簡単にたどり着くものじゃなく、人に教え諭されるものでもない。だけど聞いてほしい時ってあるじゃない。
 「かせみどんは、自分で自分の中に深く深くもぐっていくよね。そんなところを尊敬するよ」ずいぶん前に夫が言ってくれたこともあったっけ。うれしかったんだよな私。自分で解決したい気持ちと、人に聞いてもらいたい気持ちって両方あるものよね。

 似た状況や場面に出くわした時に、やっぱり私は悶々として書いてしまうかもしれない。でもきっと今回の気持ちの経験があるから、悶々としてもそれは少しずつ薄まっていくだろう。

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