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ガッカリされないために生きているのではないと、今さら気づいて~親子の会話から~

 いったいいつからなんだろう。
 その夜、今までの53年をふり返って、自分の人生が自分のものでない気がして、急に恐ろしくなってしまった。


 11月に誕生日があり、お互いの誕生日しか連絡し合わない兄からお祝いメッセージが入った。

 兄とは特別に仲が良いわけではない。むしろ私が幼い頃から、大人になっても、多くのトラウマを抱えてしまっていて、仲良くしようという気が起きない。何度か、人生の中での重要な危機を救ってもらった記憶もあってすごく感謝しているけれど、どうしても相性が良くないのかもしれない。

 お祝いメッセージと共に、「子育ても一段落したし、そろそろ皆で会う機会を作ろう」と書かれてある。

 息子が今、人生の休養中なので「子育てに一段落も何もないのだよ私には」と少し腹を立ててしまった。でも兄には何も話していないから、姪っ子の手が離れつつある兄にとっては当たり前の言葉なのだろうと、現状を簡単に説明しておいた。

 すると「教えてくれてありがとう。夫くんもかせみちゃんもつらいだろうね」と返ってきた。

 兄がそんなことを書いてくるなんてという驚きと、わかったのは私がそんなふうな言葉をとてもかけられたかったということだった。胸がいっぱいになった。

 

 息子の現状を、両親にわかってもらいたくて、何度も説明してみる。でもなかなかそのまま伝わらない。実際に見ていないし話していないから、よくわからないのは仕方がない。世代差もあるだろうけど、発達障害への考えが他の障害と混同していたり、それによって引き起こすウツ症状自体についても多分昔の偏見がそのままあったりする。

 仕方がないよなと思う一方、わかってほしいとどうしても思ってしまう。

 でも伝わらないから伝え方が強くなっていく。

 伝え方が強くなると「腫れ物に触るかのように接するしかなくなる」と言われ苦々しい気持ちになる。そしてその後は、しばらく絶望感におそわれる。

 私にも息子にも、いつもの接し方で話してほしい。でも息子の苦しみがまるで何でもないかのように「そんなのこうしたら乗り越えられるでしょ」「こうすれば良い」と自分たちに当てはめて、簡単に言わないでほしい。気合いで変えられるなら、息子もだけど、私だって持ち前の気質や体質は変化しているはず。努力だってしてきている。ずっと。それでも特性なのだから、とっさに出現するのだよ。
 自分や周りに甘えず、がんばれば1、2年で変えていけるものならここまで苦しまないのが、その人の持つ特性なのよ。

 その辺りの伝え方が難しすぎる。
 そもそも「わかってほしい」なんて思わない方が良いのではと、自分の考え方を省みる。いったい両親にどうしてほしいんだ私は。そう思っていた矢先の兄の言葉だった。 

 そうか。私の不安や辛さや悲しみをただねぎらってほしかったんだな。

 気持ちがいったん落ち着いた。

 すると今度は、親戚で精神状態が良くなかった人たちや、「両親の思う、人生がうまくいかない人たち」が思い出されるようになった。
 「親が甘やかしたからだ」が二人の認識だったと、その時の言葉の調子まで思い出す。

 今の息子を見てどう思うのだろう。

 私が甘やかしたからとか、息子が甘えていると思っているのだろうか。

 

 幼少期から息子のかんしゃくに悩まされ、息子の大号泣と私の怒りをくり返してきてしまった。夫とも何度も話し合った。小学校の先生は理解がなく、学校とさほど連携できていないスクールカウンセラーだったけど話を聞いてもらった。本を読んだり講座を取ったりしながら、自分の接し方に不安と苦しみを抱えながら、息子は中学生を経て高校生になり。
 そして希望を持って大学生になった。息子は帰省の時は、窮屈に感じるからとできるだけ一人暮らしに戻りたがった。その生活を謳歌している息子に、母親の存在としての私はもう必要ではないと感じ、自分の人生を歩んでいかなければと思っていた。

 甘やかしたとか厳しすぎたとか振り返ると、よくわからない。
 ずっと甘やかしと甘えさせるのちがいを意識するようにしていたし、怒ると叱るを混同した時には謝ったり、謝られたり、とにかく言葉を交わすようにした。息子の要求には、中身と息子の交渉次第で考えた。全部をのめるわけないし、でも耳は傾けてきた方だとも思う。
 今思えばがむしゃらにがんばってきた。それがあっていたとかこうすべきだったんじゃないかとかまちがっているとか言われるとしたら。心がもし肉体なら、血が出るような痛さがある。

 その後、再び「今の息子くんに何と声をかけたら良いのかわからない」と親から伝えられた時。

 そんなの私だって知らないよと思った。一番つらいのは息子本人だろう。親の困惑まで私たちには背負えない。
 周りにいる私たちが、息子の態度に一喜一憂して、日々の生活を振り回されて、媚びてみたり叱ってみたりして、良いことなどないだろう。
 きっと何か励みになるような言葉をかけなければと思うのかもしれないし、気持ちはありがたいけど。

 この前は息子が、まったく問題にもならないようなことで「僕がこの家にいることが基本的に迷惑をかけている気がする」と言ってきた。「生活のスケジュールを調整したり、家事が変わったりもする。でも迷惑なんて思っていないし、どこで暮らしていようと息子くんが元気になってくれることが何よりもうれしいんだよ」と伝えた。
 いつも通りの生活を送るしかないよ。いつも通りの中で、日常の会話を交わす。
 時々心境について耳を傾け、感想を言う。

 焦らないで良いから。と伝えているけれど、本人の焦りや不安はついわいてくるものみたいだ。

 そして「何と言葉をかけて良いかわからない」と、改めて親に伝えられた日の夜。

 何故その言葉に、私がそんなに悲しみを感じているのかを探れば、少し気持ちが落ち着くかなと思った。

 すると行きついたのは、「親を失望させたくない」私の気持ちだった。私が両親にガッカリされたくないと思っていたんだ。「残念」とか「ガッカリ」って、親からの言葉の強さや重たさを子供は全力で感じる。きっと誰だってそうだよ。



 だけどこんな年齢になった今でも?

 


 えっ。

 

 いつから?

 

 私は「親を失望させたくない」が数々の場面でモチベーションになっていたの? たくさんのことをそれで選択してきた?

 

 急に恐ろしくなってしまった。私はちゃんと自分の考えで自分の人生を生きているのだろうか。
 頭がガンガンしてきて、それ以上考えるなと言われているようだ。頭痛薬をのんで横になった。目をつぶると、体質や気質から時々起きるように、ガガガガとまぶたの裏が揺れる。

 考えない方が良い。
 必死で頭から振りはらおうとする。考えない方が良いんだ。私は感じすぎるし考えすぎるんだ。

 いやむしろ、今までそれについて気づこうとせずにいたツケなのかな。

 いや今考えたら、明日目覚めた時にメニエールが起きそうだ。

 

 短い睡眠時間だったけど朝起きると少し落ち着いていた。


 自分の人生の選択は自分の意志でしてきた方なんじゃないだろうか。と思う。
 ただ自分の選択についての説明が、ガッカリしたとか残念だとか親に言われないように、必死だった気がする。
 実際に両親がどう思ったかは別として、そう言われるのが怖くてできるだけ言い訳ざんまいで、バリアを張ってきたみたいだ。
 思いの丈をぶつけることについては、相手が親だからこそ私にはなかなかできない。

 少しスッキリして、少しモヤモヤした気持ちのまま時間を過ごす。 

 その日、息子に、私の子育ての印象について聞いてみた。
 「格別甘やかされた気もしないし、厳しすぎた気もしないよ。自分が基準になっているからよくわからない」と笑う。

 周りにいる人たちを見てとか、友達と話して「自分のとこは……」って思うことなかったの? と聞くと「どちらかと言えば自由にさせてもらってきたかな」と言う。

 母さんは、両親に失望されないように、の気持ちが強かったと気付いてショックを受けているよと話すと「僕にそれはない」と言う。それを甘やかしだと思うか聞くと「僕は頑固なところがあって自分を確立してきたからそうは思わない」と言う。

 そこからたくさんのことを話し合った。

 今年に入ってからの心の動きについてようやく細やかに聞けた。いつの日か「そんなこともあったね」と笑いながら書けると良いな。

 息子には「僕についてのことだけどね。おじいちゃんおばあちゃんに対して、お母さんがわかってもらおうとしなくていいんだよ」と言われた。それは私の気持ちをおもんぱかるというより(だって息子についてどんな話をしているかなんて、息子にくわしく話していないから)、自分の気持ちや特性は周りに簡単にわかってもらえるとは思っていないといった考えで。
 息子がこの一年弱、どんなふうに苦しんできたか、その言葉にも表れている気がした。

 今思うのは、私がこんな風に勝手に気付いて勝手に衝撃を受けて勝手に考えこんでしまったために、息子といろいろ話し合えた。だから親から何かを言われて自分を振り返ることが無駄なんかではなかった。
 きっと親子関係はどこかつながっていて、必要だから考えて、必要だから次の会話につながるのだろう。そう思いたい。そう思うしかない。

 息子は自分の考え方はよくわかっていて、ちゃんと言語化できているようだった。20歳頃の私はこんなに自分の気持ちを言語化できていなかった。言語化できていたとしても、親にこんなハッキリと伝えられなかった。
 もっと息子を信じて、この先時間がかかっても見守ろう。

 そして不安になった時や、何かを選択する時は、自分で自分に聞いてみよう。

 「ガッカリさせたくないから、わかってもらおうと、必死になってしまっているの?」
 「誰のための人生だと思ってその行動や言葉を選んでいるの?」

 あと自分に確認しておきたいのは、親が心配で親のために行動することは、親をガッカリさせることかどうかとは関係ない。両親とはそれなりに楽しく、ほど良い距離感で付き合えていると思う。

 私が自分の判断について迷った時。
 大人になった息子のことについて考えた時。
 それは誰や何を大事に考えているのかを時々振り返ろうと思う。

 また何度も考えてしまうかもしれないけど、きっとその度に少しずつ気持ちの揺れは落ち着いていく気がしている。



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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。

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