心も体も、変えられない部分と上手に付き合いたい
疲れたら、当たり前だけどひと休憩。
「ちょっと離れていたい」という場所からも離れる。
こんな時、夫は「休め休めー」と言ってくれる。そして「やっぱりまたやる」と言ったら「やれーやれー」と言ってくれる。
ほんと。義務や責任のない場所なら無理せず好きにしたら良いのよね。
ネットでも、HSP(highly sensitive person)気質は発揮され、その気持ちの対応に追われてしまう時がある。
HSPをよくご存じない方のために、書いておこう。※以前の自分の記事から。
面倒くさいと思われるかもしれない。私たちはこの気質で生まれ育ってきて、ネガティブなイメージを持たれるのも知っている。改めて言われなくても、自分たちで「面倒くさいな」とも感じているし、努力を続けても根が変わらないのも知っている。
自分にダメ出しするくらいなら、受け止めて良い方に生かすのが良い。
とりあえず何かと「考えすぎ」と言われがち。
それに関しては「そっか。そうだよね!」と安心する場合もあれば、ただ感じ取っているだけなのに、そこから何とかしたいとがんばろうとしているのに、と傷つく場合もある。タイミング悪かったり言葉の裏を感じ取ったりするとトラウマレベルでショックを受ける。
でも悲しい思いも苦しい思いもしんどい思いもある分、喜びとか楽しさとか、感動などの心の揺さぶられ方も尋常じゃなく、幸せな感覚を深く味わえているとも思う。そして同じ気質の方を見るとその葛藤が愛おしく思える。
そうやってここ数年、ようやくこの気質が嫌いではなくなったけど。
だけど。私の場合は、中でも「圧倒される」が、どうにも不自由だ。
シチュエーションは様々にあるけど、例えば大勢でワイワイ賑やかな場はネットでも苦手。同じ場に集まるたくさんの人の、それぞれの意図だとかを感じて圧倒され息苦しく感じて疲弊してしまう。
最近の私はまた少しnoteで疲れてしまう場面と遭って、休み休み。自分のペースを取り戻し中。こういう時は書くのも気持ちが全然乗らないので、少し時間を置く。
体についても少し。
最近知り合った方は、ちょっと前に幼少期のことを書いた時に知ったかもしれない。
私は軟弱なのだ。
「体が弱い」と書いたり訴えたりすることを嫌悪する人たちがいるのもわかっているけど、これだって本当にもうもう、人に言わずに元気になれるなら言わないよ。そして言って元気になるものならもっと言ってるよ!
ちょっとだけ泣いて中途半端に感情を吐き出しただけの私は、クサクサした気分で起き上がった。
でも考えてみれば元気な日もあるから、こうやって悲しむのだ。本当に大変な人たちは、ずーっと元気じゃなくて、そっちの方が当たり前。私の日常には波があるから悲しめてしまうんだよな。それだけでも感謝しなくちゃ。
最近度々苦しめられるのは、頭痛。
頭痛と貧血だけは、軟弱者ながらあまり苦しめられないできたのがちっぽけな自慢だったのだけど、更年期に入ってから頭痛はすっかりおなじみだ。
生理痛がひどかったので、鎮痛剤との付き合い方はわかってはいる。前みたいに夜間救急病院のお世話になるとか失態はくり返さない。
この前、段々ひどくなる頭痛に慌てふためいて、ご飯を食べて胃薬と共に鎮痛剤をのんだ。
その2~3日前からずっと軽い頭痛があって。なるべく早く寝て、首や肩まわりを動かし、ひどくならないよう気をつけていたのだけど、全然良くならなかった。買い物もふらふらしながら済ませ。
食欲だけはあるから、またぽっちゃり度が増してくる。勘弁して。
更年期など自律神経によるものだろうから、あまり鎮痛剤に頼りたくなくて我慢してしまったけど、もう限界と思ってのんだ。その直後、たった15分くらい「あれ? 今私はどこにいる?」「今何時?」と焦るほどに爆睡。
起きて1時間もすれば元気になって座れる程度になった。
鎮痛剤に頼るのって、ひんぱんだと困るけど、以前は1か月に6錠ほどのまないと、乗り切れないくらい生理痛がひどかった。そして生理痛がおさまるころ、必ず頭痛が発生。
メニエールが起きる時も、治り際に毎回頭痛。
あれ。割とちょこちょこ頭痛あったのか。
今は更年期だから、薬の加減がよくわからないよー。
漢方薬をのんでいて、それは腸の痛みや精神的な揺れの落ち着きを与えるもので、更年期症状もやわらげるはずのものなのだけどー。
そんな中、かろうじて良いことも。
母に更年期で頭痛がつらかったころについて聞き、それを乗り越えられたころの話も聞いて、気持ちが元気になれた。
いつも私を元気づけさせてくれてありがとう、母。
そして、いつも休ませてくれてありがとう、夫。
※気持ちの方はまだですが、身体の方は先週や先々週の話なので、今の私は復活しつつあって、まあまあ元気です。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。