繰り返してしまう心身の疲労~だいぶ元気になってきました~
おおう……助けてくれ……グルグル同じところをまた回ってきたよ。
書きたいことも、あれもこれもそれも頭に浮かんでは消えていくじゃないか。
「書きたいこと」をメモっても、後からそのメモを見て「うーん」とうなるだけじゃないか。
うーん。
ここ5日くらいそんな感じ。書きたいテーマはどんどん出てくるけど書き始められないし、書き始めても書きながら整理していくはずなのに、まったく収拾がつかない。
きっかけは、少し久しぶりに体調を崩してからだと気づいている。
もうホルモンの周期はめちゃくちゃなのに、一ヵ月に一回くらい起き上がれなくなるくらいの倦怠感が強くなる。1日で終わる時もあれば、5日くらい倦怠感に悩まされて、家事もギリギリになる時も。
それはいつやってくるかわからない。前日なんか、めっちゃ翌日の予定を立てて楽しみにしたり、そのつもりにして朝起きて動き出す瞬間からそのつもりで動いたりしている。
なのに、動けなくなる。
体が軟弱にできているため、もう若い時からこんな。特に子供ができてからはもっと頻繁にそんな日はやってきて、メニエールにも、以前以上におそわれた。
昨年は更年期症状がひどくて、春から半年くらいこんな感じだった。
今年は春がやってきたけど、そういう日が少なくて嬉しい。
嬉しいけど、50肩が辛いやら、息子の受験から解放された喜びやらで、できるだけ自然に自分のペースを作っていきたくて、今はまだ心身ともにリハビリ中。日々の時間を少しずつ自分の「充実してるなあ」に向けたいけど、18年間、子供に捧げた「時間のやりくりの仕方」は、うまく戻せない。強引に戻すエネルギーも全然ない。
元々自分の時間や空間が必要だったもので。強い癇癪とこだわりを持った息子と接しながら、もしかしたら私もこだわりが強いのかもなあと自覚したところはあった。でも息子に、気持ちを少しでも安定してもらいたくて、心を尽くしたのかもしれない。いや。まだよくわからない。
……いやあ。よくわからない。
とにかくここ数か月は、自分を安定させたい気持ちでいっぱい。
昨年より元気だからと調子に乗っていると、体調崩す。「ああやっぱり私ってこうか」と自分の、そもそものエネルギーの低さを思い知る。
こんな時はゆっくり休んで、好きなものを堪能すれば良いのに。
横になって休憩していると、ついつい手を伸ばすスマホ。
ついつい見てしまうnote記事。
時間があるからさらにのぞきに行くタイムライン以外の記事たち。
おススメとかツイッターとかほんと私にはしんどい。何でこんなに全員がそれを望んでいると思われているのか。
どうして人は「こうした方が良い」「こうするより、ああした方が良い」と思う時に何かと比較したり、どっちかを選ばなければならない気持ちになったりするのだろう。
そういう考えや記事が多くて、それに触れる度に、私は自分ができていないと、自分を比較し、そうはしたくないしできない、と無力さを感じてしまう。むなしくなる。
でもそれじゃあ私も一緒じゃないか。
何故人と比較してしまうのだろう。
元気な時は、そんな考えがバカバカしく思える。たとえ少数派でも私はその選択はしなーい、って明るくただそう思うだけなのに。こういう時は、明るく強く思う自分すら疎ましくなる。
だってしんどくて、明るくなれないんだもん。
てなる。
きっと身体が弱っているから、余計に卑屈になるんだ。
そしてそんな思いが、さらに自分をますます卑屈にさせる。
頭にはあれもこれも思い浮かんできているのに。
昔書いたあれについて、もう一度書いてみるのもありだな。と遡る。でも以前書いた記事、ひどい文。何故この文を自分で良いと気に入っていたんだろう。私は何を書いているんだろう。なんじゃこの内容は。
なんじゃこの内容は。
まで思考が来ると、今思い浮かんでいる題材まで「それを書いて何を言いたいんじゃ」に至る。
何を言いたいんじゃ。
って、あふれるように思い浮かぶ題材と共に、いちいちツッコミが入って、途中で手が止まる。
ああ。何が言いたいんじゃ。
って内容を、書いたって良いのに!
むしろ、人のそういう記事が好きじゃないか。何が言いたいんじゃなんて全然思わないよ。オチがなくたって良いのよ。
その人が書きたいことを書いて、のぞける日常が楽しいのよ。今日はどんな一日なのかな。最近どんなことに思いを巡らせている日々なのかな。
結論ありきで書かれた文や疑問を投げかける文は、完成していれば、なるほどねとか感心しながら読む。そもそもそういう文は読みやすい。けど、書きながら整理していこうと試行錯誤し、結局ぷつんと終わってしまう文も、私は好きなのよ。カッコよく伝えようとなんかしていない。素直でその人柄が表れている。
だって仕事じゃないんだから。こっちだって楽しみたくて読んでいるんだから。会いに来ているんだよ。みんなどんどん書いてね。って思っているのに。
不調が不調を呼び、もう前向きな文が全部しんどくなってしまった。言葉の強い文もしんどい。そんな風に思う自分も、自分の書いた記事もイヤになっちゃった。
でも。まあね。そんな日もある。
半日で終わる時もあるし、長くても1週間と続いたことがないから、また間もなく書き始める。読み始める。
体調も良くなってきて、どんどんまた歯車がかみ合い、回り始める。
しょうもない題材でも、結論が出なくても、駄文でも、楽しく書けたら良いんだよ。
毎回そういう所に落ち着く。
毎回同じなのに、毎回しんどくなる。
こういうのって繰り返すしかないのかな。みんな、大人になってからの思考に、らせん階段てあると思う? 私は自分のこういうところ、どうしても階段になっていると思えなくて。ただドーナツ型の通路をぐるぐる回っているだけな気がしてしまうのよ。あちこち歩いているけど、時々ドーナツ迷路の扉を開けてしまい、それから「あっシマッタ」って気づく。
そして一周するだけ!
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。