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大切にしたい思い、過去のこと、最近のこと

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親子関係や友達とのことじゃなくても、自分の中で大切にして残しておきたい思いがあります
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#夫婦

すべてわかり合えなくても

 これからのことなんて、当たり前だけど誰にもわからない。つい不安を感じてしまうのは、きっとずっとだし、でも四六時中、不安を抱えてもいられない。  細く長く考え続けることは増えている気もするし、生き方や考え方については折り合いをつけられるようにもなっていく。  年齢重ねているだけだから自信があるわけでもないし、こうした方が良いなんて一つも言えないのにね。  若い彼らの曲を聴いていると、世の中への歯がゆさや、自分との葛藤がこめられていた。愛や恋でも行ったり来たり。  若いころっ

誰かの不機嫌に、自分を巻き込まなくて良いし、自分の不機嫌に誰かを巻き込まなくて良い

 モラハラされている人の相談をちょくちょく受ける。だいたいパターンが似ているのでピンとくる。  正確に言うと「相談」ではないのよな。全然アドバイスを求められていなくて。「客観的にどう見える?」と聞かれて正直に答えても、彼女たちにとっては、こちらの意見も意見ですらない。  もしかすると「そっか。そう見えるのか」と思うきっかけになったり、何かの後押しになったりするかもと一応正直に感想は言うけれど。  初めて話を聞いた時は、「なんで?」だらけだった。  「なんでアナタがそんなに

久しぶりに両親と会う

 数えてみてまあまあおどろいた。  3年半。両親に会ってなかった。  幸い、パソコン画面を通じて話せるようになって、度々顔を見て会話できていたので、「久しぶり過ぎて胸にこみ上げてくるものが……」みたいにはならなかった。  「いっつも喋ってるもんね」と笑い合ったけど、会って最初に母が「かせみ、大きくなった? 私が2センチ縮んだのが影響してる?」と聞いてきた。  確かに母がちっちゃくなった気がする。  存在が、とか印象が、とかじゃなくて、本当に背が小さくなったのだ。  私の両親

結婚25年で思う祖父母のこと、両親の仲

 70歳で絵を始めた人の、90歳になって描いた作品をこの前見たのよ。かせみもまだまだこれから大丈夫。楽しんで!  この歳になって絵だの歴史の一部だのを学び始めたのに、今年入って間もなく心身共に調子をくずしてしまい、「休む」を心がけている最近の私。  落ちこみがちな私に対して母はそんな話をしてくれる。「楽しんでね」の気持ちにウソがないのを私は知っている。  一昨年に祖母が亡くなり、母は少し変わった。  髪型を初めて自分で決め、服装を自分で選ぶ実感があると言う。  祖父母の

一緒にいてもその人にはなれないと実感して、愛に気付く

 結婚する時に「これからはずっと一緒だね」と夫となる彼は言った。  アメリカ東海岸のニュージャージーと日本とでは遠すぎて、当時は通信手段も今よりずっと乏しい頃だったから、ビザが切れる度に離れるのは寂しくてそれだけでエネルギーが消耗した。いちいちグズグズと彼に愚痴を言って困惑させた。  もうお別れしなくて良いと結婚の喜びを感じていたけど、夫は出張が多くて、別にずっと一緒でもない。  笑われてしまいそうだけど、なんなら毎朝「行ってらっしゃ~い」と見送るのが名残惜しい。  もう

日常の中で感じる言葉や表現の面白さ~ウィスキーってそうやって楽しむのね~

 ヒライテクル?  なにそれ。と聞きかけるけど、なんだか不思議なもので、ぴったり来る。  「わかるそれ!」って、言葉の感覚できっとみんな経験ある。  だから若い人たちは、よりしっくり来る言葉を使い、その概念を年上の人たちに説明するのに四苦八苦する。  私にも若い頃があって、それほど流行りの言葉を使わない地域で使わない学校で使わない私だったけど、それでも使った。  当時も、それまで盛んではなかったのに使われた言葉、ぴったり来た表現はたくさんあった。  例えば名詞に「して

与えられただけじゃなかったのかもしれないなあ

 「今日学校どうだった?」  って聞かれ方を親にされた経験、私の世代なら特に多かったんじゃないだろうか。  私はよくそんな風に聞かれた。  質問の仕方が漠然とし過ぎて答えにくいのよね。兄は話が面白い、とよく褒められていたし、私は面白かった出来事を面白く話せない。話したところで怒られちゃうことかもしれない。それに多くのことがあり過ぎてどれを話したら良いかわからないとかさ。だって「今日」色々あったもの。  だから小学校低学年の頃から「別に」と、女優でもないけどそう答えていた。

結婚24周年を迎えて~夫の表情~

 夫とお喋りをしていると、よく止まらなくなる。  結婚した当初、寝ようと天井を見上げながら、下らない話をしているうちに、深夜2時や3時にまで及んでしまう日も度々だった。  息子が独り暮らしを始めた最近、時々寝る間際に話をしていると、当時を思い出す。もちろん時間はもっと早く寝ちゃうけど。  まだこんな(下らない)話をしてるんだ私たち。  結婚してから変わらない24年間な気もするけれど、「こういう面もあるんだ」と気づく瞬間はまだある。  今月は、息子が独り暮らしを始め、結

自由人が誓いの言葉に込める思い

 確か、映画「キスへのプレリュード」だったはず。たしか。  かすかな記憶の中にある。主人公の二人が挙式の中で言葉を交わす。 for better or for worse, for richer or for poorer, in sickness and in health, to love and to cherish…… (I promise to be faithful until death do us part.) 良い時も悪い時も 豊かな時も貧しい時も 健康

数十年経っても、それなりに楽しいよ

 ニュージャージーでまた暮らしたいと思ったのは、7歳で帰国して以来、大学の卒業旅行でまた行ってから。  帰国子女って、快活で自己主張がハッキリできて、いやむしろ強いくらいで、カッコいいとかそんなイメージあるでしょうか。7歳の私は、帰国して入った小学校の教室で、あっという間に日本の学校の雰囲気にのみ込まれました。すごく怖かった。  周りにことごとく言動を否定されてしまった私は、その頃から私は自分のニュージャージーでの記憶をできるだけ消していった。そこでの暮らしを、日本には合わ

「それでダメだったら、最初からダメだったんだし、これからもダメなんだよ」の真意を知る

 結婚して22年ちょっと経つのに、今さら「あれ? 夫って、話せばわかるんだ……」と思い始めている。  好きなミュージシャンが一緒だった、から始まって、好きな音楽のジャンル、好きな曲、好きな画家、好きな色が似ていた。面白いと思う映画、可笑しいと思うお笑い芸人、テレビ番組。いまだに話が尽きない。新婚の頃はよく深夜3時ころまで、それぞれ自分の布団で天井を眺めながら話し続けた。  たくさんの共通の好みがある分、ちょっとした違いは「よく認識していたつもり」。  でもそうでもなかったの