見出し画像

数十年経っても、それなりに楽しいよ

 ニュージャージーでまた暮らしたいと思ったのは、7歳で帰国して以来、大学の卒業旅行でまた行ってから。

 帰国子女って、快活で自己主張がハッキリできて、いやむしろ強いくらいで、カッコいいとかそんなイメージあるでしょうか。7歳の私は、帰国して入った小学校の教室で、あっという間に日本の学校の雰囲気にのみ込まれました。すごく怖かった。
 周りにことごとく言動を否定されてしまった私は、その頃から私は自分のニュージャージーでの記憶をできるだけ消していった。そこでの暮らしを、日本には合わないやり方だから良くない経験だったのだ、と思うようにした。残念な考え方だけど、そうやってそれまでを否定しないと、その頃の無理している自分を肯定できなかった。7歳になった私にとって、当時の精一杯の知恵。

 それが当たり前になってから15年ほど経ち、再び訪れてみると、少しの期間暮らしたいと思うようになった。こちらの私も本当の私で、経験は宝だったと目がさめたようだった。

 中学の頃から親しくしていた友人がいて、彼女も幼い頃、ニュージャージーの、私が住んでいた場所からそう遠くないところに住んでいた。彼女は、ニュージャージーの大学に通い始めていた。彼女の申し出で、私たちはルームメイトになった。

 その彼女が紹介してきたのが、私の夫となる人物である。

 暮らし始めて3日目のことだった。友人である彼女は、彼女なりの考えがあったため、夫と私が親しくなれば良いと思って、できるだけ早く出会わせたかったようだ。

 最初の印象は、全然何でもない。むしろ感じが悪かった。夫となる彼も、眠たくて機嫌の悪い私を見て「時差ボケかな」くらいしか思わなかったらしい。世の中の「会った瞬間に鐘が鳴る」だの「ビビッとくる」だの、私にはさっぱり縁がない出会いの種類です。

 だから友人が、私と遊べない日に彼とのデートをセッティングした時は「余計なお世話だなあ」と思っていた。それでも友人の顔を立てて「一度くらいなら、退屈しているよりは良いか」と、昼から待ち合わせて彼の運転で出かけた。数時間したら帰るだろうと思って。

 で、記憶が正しければ、帰宅すると確か10時半頃。初めてのデートでいきなり10時間くらい時間を共にするなんて。ずっと一緒だったのに、別れ際、「あー楽しかった」と思った自分に気が付いた。

 ニュージャージーでの当時の私は、解放された私で、鎧をまとっていなかった。しかも「退屈しているよりは良いか」くらいの心構えだったから、肩の力が全然入っていない。外見に関しても、まったく頓着せず。オシャレなんかも全然していない。当時にしてはショート丈のパンツはいて、迫力の太い脚を出し、さらにはすっぴん。
 そんな力の抜けっぷりに関わらず、退屈しなかった。

 初めてのデートの時に男性によく言われる「おとなしいね」も言われなかった。
 私が静かにしていても彼は気にしていないようで、静かに時間を過ごすこともあったし、でも基本的に、彼はよく喋っていた。私にも適度に話を振ってくれていたので私も好きなように喋った。そう。「適度に」。自分にとって「適度に」感じるって、相性が良いんじゃないの? 一緒にいた時間が、まったく長く感じなかった。

 それから私たちはちょこちょことメールを交わし、毎日のように会って電話で話し、その出会いから1年以内に結婚しちゃいました。今月は入籍した記念日がある。場所柄、入籍した日と挙式日に数か月のズレがあるもので。

 あれほどまでも気構えのないファーストデートから23年。

 結婚して22年。

 気構えが全然なくて良かった。あの頃のデートの前は、毎回ドキドキバクバクと動悸が激しかったけれど、会えばそんなドキドキもすっかり忘れて気楽でいられる夫。もちろん時にはケンカもするけど、夫とは、おかげでずっとラクな関係。

 大きいことのような小さなことを、たくさんたくさん積み重ねてここまできた。

 さすがに22年経つと、扱いは多少ぞんざいになっているかもしれないけれど、老い始めても可愛い夫のことは、まだ好きなままです。

 そろそろ互いの体は老いのために、白髪やシワだけでない、あちこちが若い頃のようではない。体の老化を思いやり合い、いたわり合う日々がもう始まっている。まだしばらく仕事で忙しい夫と力を合わせながら、これからも、少しでも多く時間を楽しめますように。

#エッセイ #夫婦  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。