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自由人が誓いの言葉に込める思い

 確か、映画「キスへのプレリュード」だったはず。たしか。
 かすかな記憶の中にある。主人公の二人が挙式の中で言葉を交わす。

for better or for worse,
for richer or for poorer,
in sickness and in health,
to love and to cherish……
(I promise to be faithful
until death do us part.)

良い時も悪い時も
豊かな時も貧しい時も
健康な時も病気の時も、
大事にし、愛する
(ーことを誓います
 死が二人を分かつまで)

 カッコでくくられた台詞にはパターンがあるようで、あちこち調べて、当時覚えたのがどうだったのか、うろ覚えながら載せてみた。この映画でどのように言っていたかは覚えていない。


 20歳くらいだった私は、このありきたりの言葉に惹かれた。リズムが良くて歌みたい。主演のメグ・ライアンが可愛かった。
 彼女の言い方もあまりに可愛くて、言葉のリズムが素敵で、その台詞を、予定もないのにやたらに何度も繰り返し、そのうちそらで言えるようになった。

 その数年後、夫と私は出会い、ニューヨークで式を挙げる。

 宗教関わらず、どなたでもどうぞと、おおらかな教会。
 そこと提携している日本のウエディング会社に頼っていたので、式当日の朝にたった一度の打ち合わせ。

 神父さんが簡単に式の流れを説明してくれる。
 こんなことをしますよ。
 誓いの言葉は、古語を使いますよ。
 
 大学で多少はシェイクスピアを勉強した時に、「thy」や「thee」といった、「あなた」の意味の言葉を勉強したなあと思い出す。英語で仕事をしていた夫も、さすがに古語は知らなくて「なんて?」と何度か聞いて言い直す。

 「汝の」と言えば、誓いの言葉っぽく聞こえるだろうか。

 そして「thy」だの「thee」だの神父さんと練習しているその時に、出てきたのだ。
 あの誓いの言葉が。

 わあ。

 気分が高揚したのを覚えている。

 大好きな一節ではあるけれど、実際に式で、神父さんの後を追って言葉にしながら、夫はどれほどこの言葉の意味を考えているのかなと思っていた。このありきたりな内容を、本当に「誓い」と捉えられる?

 私は胸がいっぱい過ぎて、メグ・ライアンとはかけ離れた低い声になってしまった。

***

 それまでは毎日のように会い、週末ごともほぼベッタリの私たちだったけど、結婚生活はまた少し違った。新発見は、山のようにあったし、23年が経とうとする今だってある。
 何しろ50年超えた母だって、父との関係の保ち方には発見があるようだ。「やっと最近ね……」などと話してくれる。
 23年もまだまだなのだ。

 一番戸惑うのは、夫の自由さ加減。

 ただし、この「自由さ」は、子供ができるまでの約5年と、子供が大きくなってきて以降。
 子供ができてから小学校5~6年生になる頃までは、ずいぶん頑張って子供に生活を合わせて家事、育児に協力してくれていた。
 夫の名誉のために一応、書いておこう。
 そして、またあの頃をちょっとは取り戻してくれないものか。定年後に期待している。


 自由ってどんなかと言えば、例えば日常生活。
 朝食を作っても、嬉しそうにして食べる時もあれば、一部だけを選んで食べる時もある。「時間がないー!」とまったく食べない時もあれば、自分で勝手に用意したものを食べる時もある。

 通勤時間も仕事上、仕方ないとは言えバラバラ。「○時に出る」と前夜に言っても、その通りに出る時もあれば出ない時もある。少し遅くて良いなどと言って、パソコンで仕事や会議をしている。歩いて行く日もあれば「車で送ってほしい」と言ってくる日もある。私が起きたらもういつの間にか仕事に出ている日もある。

 帰宅時間もそう。基本的に遅い。でも突然早くなる日もある。
 うまくはかどらないと、晩御飯とお風呂のために帰ってきて、また出かける。朝方4時頃、ヘトヘトになって帰宅してくる日もあるし、数時間寝てまた「行かなくちゃならない」と仕事に出る日もある。そうなるとこちらは夫の身体が心配であまり眠れない。寝ているけど眠りが浅い。
 土日は基本的に休み。だけど、平日の仕事が残っていたら出て行くし、残っていなくても、好きでやっている仕事だから気になって行く日もある。その頻度は決して低くはない。出張も多い。
 唐突に出張が入る日もある。車を使う使わない、送迎の時間で少しもめる。

 夫はそんな日常だし、私も一人の時間が嫌いではない。
 休みの日でも、別々の部屋で、それぞれの趣味に興じている時間も多い。

 一緒にいる時間は短いけど、話が止まらない時もまだまだある。

 時間が合えば、ドライブに出たり、カフェや映画を一緒に楽しんだり。

 家で一緒にいると、主にテレビを観て楽しむ。お笑い番組や映画。他に音楽、趣味嗜好での感覚は似たところが多い。違うところももちろんたくさんあるけれど、感想を言い合い、「あの場面」「このフレーズ」について盛り上がる時は「感性が似ていて良かったあ」としみじみする。人に対しての好き嫌いも割と似ているから「あの人可愛いね~」とか「この人のこういうところがイヤ」とか気軽に言ってしまう。

 私がお笑い芸人の真似をすると夫は喜ぶ。夫が喜んでくれるから、ますます磨きがかかる。それほど似ていないけど。似ていないのに磨きがかかるってどんなだ。

 時々、夫は私をどう感じているのかなと思う。確認するけど、いまいち心に響かない。私は一生片想いなのではないだろうか。時々ふくれる。そしてその自由さに、本当は今でも時々イライラする。

 まあでも楽しいし、ラクだし、居心地良いから良いや~。と、結局この関係に甘んじる。


 ただどんな風に思い、振舞おうとも、私は身体が軟弱にできているため、よく寝込んでしまう。
 家事が全然回らなくて度々、迷惑をかける。
 息子には心配かけて夫や親の役割をさせたくないから、横になりながらでも、息子を笑わせようと躍起になる。
 でも夫には、自分の身体の症状も、不平も不満も心配も恐怖も心細さも、些細な一つ一つを報告する。

 そうやって寝込む時だけでなく、手術や入院の時も、親戚が近くにいないから仕方ないのだけど、夫がすべて付き添ってくれる。

 イヤな態度は一切ない。

 その代わり心配顔も全然しない。
 励ますとかもない。
 言葉を出し惜しみしない夫だけど、わかりやすい優しい言葉の一つもかけない。

 でも忙しいのに時間を割いてくれるし、それなりに世話をしてくれるから、「ごめんね。迷惑かけるね」心からそう思って言う。

 そんな時、夫は決まって言うのだ。


 「病める時も健やかなる時も、って誓ったでしょ」って。


 あんな一瞬のあの言葉を、夫はちゃんと大事に覚えてまだ言ってくれる。

 「そうか。そうだね」と笑う。

 夫が部屋を出ると、しみじみきて泣いちゃう。

***

 映画「キスへのプレリュード」では、メグ・ライアン演じる役柄は、おじいさんと身体が入れ替わってしまう。新郎の彼は、外見がおじいさんの彼女を愛せるか。って話だったっけ。
 おじいさんになる前は、「そのうち、私のお尻も垂れさがっちゃうわよ。それでも好きなままでいられるの?」とからかう場面があった。彼は「大丈夫だよ~」なんて言うが、お尻が垂れ下がるどころか、いきなりおじいさんだ。確か体も大きく太っていて、髪の毛も……。
 彼女はあんなに可愛く誓いの言葉を言っていたけど、あれは、その誓いの真意を問う映画だったのかな。


 夫は、いつだって自分のペースで、自由に暮らしている。自由過ぎて、私などいなくても何も変わらないのだろう。

 そうやって生活に象徴されるように、考え方も自由。自分の仕事にも誇りを持ち、その職自体に、客観性や批判の目も決して忘れない。
 いつも何かがすべてこうだと決めつけない。決めつけないために頭の中も自由そうだ。
 そうやって、きっと自分一人で考えて、あらゆる言葉を自分のものとしているのだろう。
 何が大事かを自分で決めて心に刻んでいるのだろう。

 だからこそ。
 あの誓いの言葉をいつまでも大切に思い、言葉にしてくれるのは、私にとってもかけがえのない、夫の気持ち。

 ずっと覚えていてくれるのかな。


 
#エッセイ #夫婦 #誓いの言葉

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。