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親子のこと

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親のこと、子供のこと、その関係についての考察や自分の思い出話、などなど家族に関することなら何でも ※映画の感想については含めません
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#子育て

小包を送る喜び、受け取る楽しみ

 親からの小包。とかで検索してみて衝撃を受ける。  「要らない」。「送ってほしくない」。「欲しくもないものを」。「ストレスだ」。「愛なんかじゃない」。  そんな言葉が連なっていて、ちょっと慌てた。  自分が子供の側としてはどうだったっけ。  義母からの小包、困った時もあったよな。趣味の物と違ったり、要らない物が多かったり。  若い頃は「ホントに要らないから」って強く思っていた気がする。でもそれも遠い記憶で、いつの間にやら、段ボールが届くと「何が入ってるのかなあ~」と楽しん

親にも子供にも豊かな体験だったんだろうな~キャンプの思い出~

 もうずいぶん前の話になってしまう。  息子が小学生になった辺りから中学生になる頃まで、夏になると毎年キャンプに出掛けたものだった。川岸にタープ張って日帰りキャンプ。そして山の湖のほとりへ泊まりキャンプ。  車を1時間くらい走らせて山の中に行けば、真夏でもエアコン要らずの避暑地となる。 ***  息子は生き物に興味のないタイプだった。  夫も私も、息子を知ってから、子供に対する考え方がずいぶん変わった。  幼少期の私は、兄の友人たちと公園に虫捕りに行ったものだった。

子供への接し方を比較して、わざわざ伝えないで

 子供への接し方で、自信のある親もきっといるんだよな。  親から受け継いだ「何か」の、どこが悪いのかをわからないまま連鎖させていたり、良いと信じている部分を受け継いでいたり。  以前、その頃に人気の出始めたタレントが街頭インタビューをしていて。  マイクを向けられた人が「今、サークル(だったかクラブ活動だったか)の先輩が理不尽なことを要求してきて腹が立つ」みたいなことを言っていた。  それに対して「じゃあ今度入ってくる後輩に……」とタレントが返答を始めたので「そうだよね、自

育っていたと気づく息子の感性~絵本「よるくま」で~

「ちゅきま、白いねえ」  息子の視線の先には、白い月が空に浮かんでいた。 「おつきさま」を、その頃「ちゅきま」と言うようになっていた。  その後「黒、ないねえ。水色ねえ」って言う。  黒? 何言ってるんだろうと、息子と並んで空を見上げた。 *  今はよく喋り、気持ちを表現してくれる息子の、十五年ちょっと前。  言葉遊びや仕掛け絵本から、少しだけ文字が増えて、ストーリー性のある絵本に移行しようとしていた。  二歳くらいの息子は、人一倍かんしゃくがひどかった。周りの同

大人への第一歩、おめでとう~息子の独り立ち~

今どき便利でありがたいよね 電話でもメールでも気軽にね リモートで話せるし 何でも聞いたら良いよ 元気でね よく食べてね ドアを閉めるギリギリまで 笑顔でキミの顔を見て さあ帰ろう と背を向けて 階段下り始めてから 涙がどうにも止まらなくて 部屋に残ったキミは 不安いっぱいの表情で 私もキミも 寂しさよりも 心配が強いんだよね そんな表情のキミを 一人残して 帰らないといけないんだ マスクがあって良かった それでも涙を 吸い込んでくれるまでの距離が

自分の夢は子供に押し付けない、を前提に、親のエゴのラインを考えてみる

 全然深刻とかじゃないのだけど、すごく考えさせられた記事。  「おお……どうなんだろう」。ちょっと一息入れて考えましょう。と思ったらそのまま考え込んでしまって、コメントも残せず、記事にしてみようとの考えに至った。 どこまでが親のエゴで、どこからがエゴではないのか。  私も、子供の将来や性格に期待して、歩む道や自分の考えを押し付けるのはエゴだと思っている。そこに子供の意志を感じられないから。でも 「うちの子には自分で考える子になって欲しい。」 となると、それもエゴなの

順調な親離れと、全然順調じゃない子離れ

 息子の子育てを見てみたい。その時にいったん、自分の子育てを振り返るだろう。息子も、私の子育ての一部を、きっと無意識にでも評価するだろう。  そこまではまだまだたどり着いていない。  そもそも息子に子供ができるのか、もっと言えば結婚するのかもわからない。  まだ何もわかっていないから、今17歳の息子について「成長した!」とは、とても言いきれない。  ただ精一杯やってきた。それだけは胸を張って言える。ほぼ標準的な成長をしている子たちの親御さんたちには、賛同を得られない子育てか

そりゃそんな風に育てられたら良かった~子供がグレーゾーンなのかなと苦しんでいる人も読んでほしい~

 息子が1歳になる前から、札幌で行きつけだった保育所の保育士さんに「反抗期かな? 早いですね」と笑われたのを覚えている。  札幌では週に1~2回、数時間だけ見てもらっていた。夫の両親は市内だったけど遠かったし、見てもらう間柄でもなかった。私も身体が丈夫じゃなく、息子の夜泣きは0歳4か月頃から始まっていて、昼間に少しでも良いから休みたかった。    1歳半頃に今の田舎に引っ越してきた。閉鎖的で、考え方もとても保守的な土地。子供は祖父母が見ている世帯が多い。3歳まで預けられる保育

子供への接し方に自信はないけど…

 息子が17歳になろうとする今の私にとって、「これで素晴らしい子に育つだろう」はもちろん、「まあこれで良いんじゃないか」と思っている時もほとんどない。  いつだって「これで良いのかなあ」「どうなるのかなあ」「心配だなあ」「この先大丈夫かなあ」。  ただ、息子を見ていて「今のところは悪くないよな」は、最近少し思えるようになっている。  幼少期はもっと心配ばかり。息子はとにかく気難しくてかんしゃく持ちで、1歳の途中から10歳くらいまで反抗期が続いていたようなもの。だから思春期の

絵が下手だって、楽しく描けたら良い

 noteをあげる時、フォトギャラリーからのイラストや写真選びに、とても時間がかかる時がある。夕方の日差しでnoteを書いて、さあ後はフォトギャラリー、となってから気がつけば暗がりの中、必死で探している。  イメージを検索するようになってからは、以前より、さっさと選べるようになったけど、それでも「決まらない~!」と疲れる日がなくもない。  たけのこさんの「写真から書いてみよう」を読んで、なにそれすごく楽しいアイディア! 面白い。と思った。毎日書き続けたからこそ浮かんだアイディ

「今のままでいてほしい」と思ったことがなかった子供に対して、心境の変化

 息子が生まれて数か月で夜泣きが始まり、その後も気質の激しさに振り回されていたため、「今のままでいてほしい」と思う経験が、最近まで皆無だったと言って良い。  良いように言えば「今までより今が一番可愛い」という感情を、ずっと中学一年生くらいまで持ち続けていた。  中学二年生くらいになると、急に黙る時間が増えて、一緒にいても楽しくなさそうだし、何かとイライラするようだし、ああ前は可愛かったなあと思うようになった。  それでも息子は機嫌の良い時や落ち着いている時にはよく話しかけ

いつか懐かしくなる子供の涙

 先日テレビを観ていた時、まだ10歳にもならない子供が、お父さんやお母さんの胸に顔を埋めて泣いている姿があった。  家族で、テレビや映画を観ていても平気で泣いてしまうが、何だかわからないけどこの時は、ひどく動揺してサッと席を立ってしまった。「あれくらい」で泣きそうになった気持ちを落ち着けたかったのかもしれない。    高校生の息子は、中学一年生の途中まで、とにかくできない物事が多かった。  かんしゃくが強くて喜怒哀楽が激しく、毎日のように、ちょっとしたことを自分で見つけ出し

子供は年齢で成長が決まるのではない~息子が通った小学校での奮闘~

 学校での事件がある度に、小学生の頃の息子のことを思い出す。又、ツイッターで様々な発言を読んでいると、何とか今のシステムを変えようとしている方たちもいて、応援したい。  息子の通っていた小学校の話を書いておこうと思っていた。  最初に書いておきますが、小学校と言っても、各学校によるし、その時の校長先生の手腕もあるだろうし、担任の先生の力もある。その時と運による。でもそんな風に運まかせなのは、残念なのです。すべての先生が自分の子供と相性良いわけではないし、先生方の仕事をする環

自分の子供が、思っていたのと違って良かった

 今日は風邪なのか熱が出てしまい、医者に行く以外は寝てばかりいる息子。今、高校生の彼は、機嫌の悪いこともまだまだ多いし、私をうるさく感じ、イライラすることもあるようで、言っていることを完全にスルーされていることもあるけど、穏やかな方だと思う。  でも何度か書いてきたように、息子は0歳代から小学5年生くらいまで、かんしゃくが激しくて大変だった。想像していた子育てとは全然違ったし、「男の子ってこうだろう」という概念を、ことごとく覆されてきた。  私には兄がいて、男の子ってこう、