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いつか懐かしくなる子供の涙

 先日テレビを観ていた時、まだ10歳にもならない子供が、お父さんやお母さんの胸に顔を埋めて泣いている姿があった。
 家族で、テレビや映画を観ていても平気で泣いてしまうが、何だかわからないけどこの時は、ひどく動揺してサッと席を立ってしまった。「あれくらい」で泣きそうになった気持ちを落ち着けたかったのかもしれない。
 
 高校生の息子は、中学一年生の途中まで、とにかくできない物事が多かった。

 かんしゃくが強くて喜怒哀楽が激しく、毎日のように、ちょっとしたことを自分で見つけ出しては「大」号泣を繰り返した。

 小学三年生の秋頃だったか、あまり泣かなくなったので、何故なのか聞いてみると「いやだーと思って泣くより、泣くのを我慢する方がラクだと思うようになった」と自分で言っていた。それでも時々こらえきれず泣いてしまう息子。私も泣くこと自体をダメなこととは言わないように接してきた。それでも息子は「お母さんは僕が泣くのがいやだったというのは感じていたよ」と数年前に話してくれたけれど。もうそれで充分だ。「泣くな」としつこく言ったり、泣くのをただひたすら我慢させたりしないで良かったと思っている。

 でも当時の息子が感じていたように、早く大号泣から解放されたかった。二人で大げんかになる時もしょっちゅうあったし、息子は私が泣くことを許さなかった。ケンカの最中や息子の涙を見て私も泣くと、息子の情緒が不安定になるのが見てとれたし、実際に「母さんは泣かないで!」と言われていた。なので、息子の前では同じ映画やテレビを観て感動したなど、息子と同じ気持ちを分かち合う時以外は泣かないようにしていた。こちら側の感情のコントロールは、否が応でも頑張らなくてはいけない毎日。
 息子が悪くても、それによって私が傷つく言葉をぶつけてしまった時は、後から「傷つけちゃったね、ごめんね」と謝るようにしていた。息子も、喧嘩した後、私を傷つけたら謝るようになっていった。 

 でも親の立場も子供の立場も経験して思う。子供に傷つけられて怒りや悲しみを覚えても、あまり引きずらない。子供が親に傷つけられる方がよほど辛い。だから子供が謝ってくると、その気持ちだけで充分だ。ウチは謝りあってその時に子供が許せるようなら、「仲直り」と言ってギュッとハグし合う。

 幼少期のそれが愛おしくも思っていた。膝の上で胸に顔を埋めてしばらく泣いた後、「お母さんの目を見て。ちゃんと話せる?」と聞くと、悲しそうな顔をして、うう……とまだ涙を流す。それが可愛くて「涙拭き拭きしようね」と拭いてあげていたが、どうしても喧嘩で腹が立っていることもあった。そんな時、息子は「まみだ(涙)、ふきふきして」と自分から言う。腹が立っているので、ほんのちょっとだけ乱暴に拭く。
 そうやって拭きながら「早く泣かなくなってほしい」と願っていたのに。

 テレビで、親の胸に顔を埋めて泣く子供を見て、可愛い、と愛おしくなり、息子の泣き顔を長い間見ていないことに気が付いた。もう何年も見ていない。映画を観て号泣しているのは最近、いつも私の方だ。息子は泣いているとしても、映画を観た後の目の大きさを見て「あれっ泣いたのかな」程度でよくわからない。
 またあの精一杯の悲しそうな顔で、ぽろぽろと涙をこぼし、「まみだ、ふきふきして」と言われながら、涙を拭いてやりたい。
 あんなに毎日毎日泣かれて、あんなにウンザリしていたのに、こんな風に息子の涙をまた見たいと思うようになるなんて

 若い親御さんたち。泣かれて大変な思いをしていても(ウチの息子ほど激しくないとしても)、いつかその泣き顔と涙の粒が愛おしく懐かしくなります。本当です。
 子育てがあっという間なんて、言いません。
 年上の子供を持つ先輩お母さん方にそう言われる度「ええ~……でも今しんどいから信じられない」と思っていました。日々子供に振り回されて大変ですよね。思索せざるを得ない瞬間が面白くもあり、疲れる時もあるでしょう。どうか今、疲弊していても、「いつか見せてくれなくなる顔や涙」を、時々で良いから客観的に楽しんでくださいね。

#エッセイ #子育て #泣き顔 #涙

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。