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子供は年齢で成長が決まるのではない~息子が通った小学校での奮闘~

 学校での事件がある度に、小学生の頃の息子のことを思い出す。又、ツイッターで様々な発言を読んでいると、何とか今のシステムを変えようとしている方たちもいて、応援したい。
 息子の通っていた小学校の話を書いておこうと思っていた。

 最初に書いておきますが、小学校と言っても、各学校によるし、その時の校長先生の手腕もあるだろうし、担任の先生の力もある。その時と運による。でもそんな風に運まかせなのは、残念なのです。すべての先生が自分の子供と相性良いわけではないし、先生方の仕事をする環境も良いものとは言えないかもしれない。でもどうか子供一人一人にその人生があり、子供たち自身が主役である当たり前のことに想像力を持っていてほしいのです。

 息子は、しつけの方面が他の「一般的」とされる成長を遂げる子供たちより遅かった。しつけ以前に対応しなければいけないことが多すぎた。
 気性が激しく、かんしゃくは0歳代から始まり、「早いわね」と保育士さんに笑われるほど。そんなものの成長が早くても全然嬉しくないですが。とにかくそれが9歳くらいまで続きました。10歳で別のタイプの反抗期があったため、結局10年近く、息子の激しい気性に振り回されました。
 何が困った、って、「僕にはできない」に対し、強い反発を表すことだった。一緒に楽しもうと促しても、親が楽しそうにやってみても、あらゆる手段を取っても、自分ができないことは、やりたがらない。大号泣して抵抗する。
 注意したことを全然覚えられないので、それも段々気になっていった。覚えられないのは、気持ちをあちこちに向けられないからのようだった。学校に入って困ったのは、物を落とすことであった。授業中、机の周りに物が散乱していることに気づかない。気づく時があっても、気づいたその一つだけで、その周りにも自分の物がたくさん落ちているのにそれには気づかないので拾わない。でも授業には率先して参加し、かなり集中していた

 「何度言ったらわかるの」と言わないようにしていたけれど、それでも「この前(何なら前日)言ったところなのに」と何度か言ってしまったことはある。すると「だけど忘れちゃうんだよ」と真顔で言われる。時には泣きながら訴えていた。

 小学校3年生から卒業するまで受け持たれた先生は、外からどう見えるかを気にするタイプ。そのため物を落とすことを強く叱り、皆の注意を引いてしまった。それだけ落としていたら元々注意を引いていただろうけど、対処の仕方が他にやりようあったのは友人の子供の例で見てきて思う。さらに中学生の先生方には大変感謝している。これは事務的に伝えるしか方法はないのではないかと今でも思う。ウチの中でも事務的に伝えるやり方をひたすら続けた。時々私もつい爆発してしまう時もあったけれど。その後悔たるや……。彼は注意されたところですぐに直せない。

 他に小学生の頃、息子は爪かみが学校でひどかったらしく、先生に言われた。どうやら学校が退屈で仕方なかったらしい。中学入ってからしなくなったようで、中学一年生の時点で先生に聞くと「へえ、そんな場面、見たことないですよ」と驚かれた。でも小学生のその先生はその度に「ばい菌つくからやめなさい」と言い続け、クラスメイトに「○○(名前の一部)菌」と言われるようになった。先生に話しに行って、クラスメイトたちに話してもらった。皆が謝りにきたらしいけど、そのうち先生は「ヨダレ臭くなるからやめなさい」と言い続け、次第に息子はクラスメイトに「臭い」と言われるようになった。「僕、臭い?」と何度も気にして聞いてきた。
 息子は吃音もあった。これもあれこれと本を読み、幼稚園の先生と度々話し合い、相応に対処していたが、小学校のその先生は「ゆっくり言いなさい」「慌てないで」と盛んに言ったため、息子にはむしろプレッシャーになったようだった。クラスメイトは息子の真似をするようになった。これも中学生以降、ほとんどなくなった。

 5年生の頃、クラスメイトの暴力が問題になった。暴力を振るわれた側も隠すようになり、他の保護者たちと相談して先生に話しに行ったが、何も変わらなかった。校長先生にも話したが「その暴力振るわれた男の子たち自身は、あなたに何も言っていないんでしょう? じゃあ憶測なんじゃないですか」と言われた。夫も同行してくれたり、何度か担任の先生と話したりけど、ある日突然「騒がないでくれ」とヒステリックに言われてしまった。
 私はモンスターペアレンツの類に入れられたのだろうか。
 それでも構わなかった。息子が他人に殴られることを黙っているなんて我慢ならない。臭いと言われることも、どもっているのを真似されることも。息子はどんな思いだったか。

 仲の良い友達が数人いたし、下校班の子たちと普通に話したり仲良くしていたりしたのが救いだった。それに家では学校での嫌なことをつい忘れちゃうんだと言っていて、そこは楽天的というか息子の特性もあって、基本的に学校に通っていた。一度だけ、精神的にもういっぱいになってしまっていると感じた時、学校を休ませて、幼稚園の頃にとても親しく親交が続いていた友人のところに遊びに行った。実家にも行き、あなたのことを大事に思っている人たちがたくさんいるよと伝えたことがあった。

 実は中学一年生の頃も、まだ物を落とすので、女子生徒たちに汚いと言われ、先生に相談したことがある。
 でも男子生徒たちがみんな優しくて、息子を受け入れてくれた。息子の良さや面白さを理解してくれる子たちだった。彼らもまた、各小学校で辛い思いをしてきた子たちが多かったようだ。でもこのころの方が休みたがって、又体調をひどく崩しがちで、週末になると吐き、熱を出し、月曜に休むことが多かった。私もそれまでの自分の接し方を責めた。

 中学二年生の担任の女性の先生が特に素晴らしかった。若くてあたふたしていたけど、明るくて男女問わず生徒たちに人気があった。その先生が、息子の良さを積極的に楽しんでくれた。息子の失敗も中二病的な発言もおおらかに対応し、おかげでそのクラスの女子たちも、息子にどのように接するかが伝わり、失敗も面白さも受け入れてくれるようになった。

 高校生になって、息子は物をあまり落とさなくなった。中学生の頃から他の教科で関わっていた担任の先生が「落とさなくなったよな!」と嬉しそうに言ってくれた。そうはいってもやっぱり物を落とすし、食べ物をこぼす。でも「普通よりちょっとこぼす」程度の範囲におさまった。

 小学生のあの先生は何だったのだ。と今振り返って思う。
 「しつけは小学校3年生いっぱいまでですよ!」と強く言われた。私は息子の情緒や感受性の方が大事だと思っているけど、間違っているのかもしれないと不安でいっぱいだった。葛藤もとても強かった。その先生は「私の方が親たちより接している時間が長いから、私の方が子供たちのことをわかっている」「一人っ子だから甘やかされている」「男の兄弟いたら、こんなもんじゃない」「ケンカくらい男の子なんだから当たり前」などと言っていて、私の心配を過剰だと何度も伝えてきた。でもクラスメイトに一方的に暴力振るわれても、そうやって済ませようとすることを私は見過ごせなかった。隠そうとするのは、先生だけでなく、殴られていた生徒たちも、ということはおおいに問題だったと今でも思う。当然、授業の様子はひどく、ウロウロする子がいたり、テストでもざわついていたりもしょっちゅうだった。何も改善しないまま、卒業する時に先生は「終わりよければすべてよし!」と言い放ち、ひどくて泣けた。

 今の息子は友達たちに囲まれ、苦手な子との距離も客観的に上手にはかって受け入れ、楽しく学校生活を送っている。気持ちを言葉にすることも豊かで、考えていることを表現できる。やりたいことがとても明確で、サボることもあるし、熱心に取り組むこともある。

 小学校の頃の私たちの苦しみ、あれがあって良かったと、プラスになるものはあるのだろうか。人生に無駄なことはないから、きっと意味のあることだったと思うしかないけど、あれが正しかったわけでも優しかったわけでもなかった

 先生としては、大勢いるから枠に当てはめるとラクなのだろうけど、何歳だから、何年生だからと、皆同じように成長するという考えを押し付けるのはやめてほしい。子供には、一人ひとりの育つペースがある。

 待つことは大変だし、管理しづらい。息子のように何年もかかる場合もある。だけど、根気よく接していれば子供が自分の力でやらなければと思える日は来る。(根気よく接することができず、つい手を貸してきたことはやっぱりできないままですが。)ある程度の秩序が保てるようにしておけば、何歳までに何かができるようになる、できない、はそこまで深刻に考えなければならないものだろうか。

 少なくとも、「できない」ことを先生が積極的に責めるようなクラス作りはどうかやめていただきたい。大事なのは、自分を客観的に見つめ、気持ちを言葉で表現し、お互いを受け入れる寛容さではないのか。きっとそれは、どこの世界にいても必要なことのはずだ。

#エッセイ #小学校でのこと #先生 #子育て #できる 、できない  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。