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そりゃそんな風に育てられたら良かった~子供がグレーゾーンなのかなと苦しんでいる人も読んでほしい~

 息子が1歳になる前から、札幌で行きつけだった保育所の保育士さんに「反抗期かな? 早いですね」と笑われたのを覚えている。
 札幌では週に1~2回、数時間だけ見てもらっていた。夫の両親は市内だったけど遠かったし、見てもらう間柄でもなかった。私も身体が丈夫じゃなく、息子の夜泣きは0歳4か月頃から始まっていて、昼間に少しでも良いから休みたかった。
 
 1歳半頃に今の田舎に引っ越してきた。閉鎖的で、考え方もとても保守的な土地。子供は祖父母が見ている世帯が多い。3歳まで預けられる保育所はないに等しく、公園に行っても誰も遊んでいない。泣きながら夫の仕事場に電話したこともあり、夫も心配して、6時半頃の帰宅を心掛けてくれた。晩御飯を一緒に食べて、お風呂に入れてくれる。それだけでずいぶん助かった。出張も減らしてくれていた。

 でも息子はとにかくよく泣いた。


 先日、テレビで有名人の家庭が映されていた。
 幼い男の子が二人いる。
 食事中、下の子が泣き出した。

 お父さんが椅子から下ろす。
 「どうして泣いているの?」と聞く。
 子供も何だかよくわからなくなっている。
 しばらく話し合ったら、「食事中に泣くのはダメだよ」と諭す。「わかった」と言って一件落着。

 何て素敵。私もこんな子育てを心掛けていた。だけど。

 息子の泣きはこんなもんじゃなかった。
 夫や私が「どうして泣いているの?」なんて聞くスキも与えないくらい大号泣。暴れて、こちらの耳が痛くなる大声で泣き喚く。何だかよくわからなくなっている、どころじゃないのだ。ほぼパニック状態。一度だけほっぺたをペチ。とやったことあるけど、私は手を挙げたことはその時だけ。肩をつかんで揺らしたり、押したりしたことはある。「ちょっと! 我に返ってよ!」の気持ちで。
 パニック状態からさめると、少し落ち着いてきてサッと泣き止む。泣き止みさえすれば、いつまでも引きずらない。
 そう書くと少しは聞こえが良いけれど、パニック状態は30分は続いてしまうのだ。抱きしめてみても、なだめてみても、気を逸らせようとしても、何か言って聞かせようとしても全然ダメ。結局、泣かせたまま家事など進める。
 夫も色々手を尽くしたけど、次第に諦めて、そのまま息子が落ち着くのを待つのみ。

 そりゃ当時の私も怒鳴ってしまうだろう。怒鳴らないで済むなら怒鳴りたくなかった。
 息子の感情に引きずられてパニックになった私を、夫が抱きしめることもあった。

 発達障害なのではと疑った。各都道府県の形、それを裏や逆さまから見ても当てられた。県庁所在地も全部覚えたし、言葉がちゃんと喋れるようになる前から数字を読み、計算をし、漢字を読んだ。本来なら素晴らしいはずなのに、発達障害の項目に該当する部分が当てはまる度、私の心はざわざわした。

 スーパーマーケットで大号泣も、物をねだったりごねたりするのではない。理由はわからない。皆が「なにごと?」と注目する。「大変よね」と同情して下さっていた方も中にはいただろう。でも、「毎回」だったのだ。毎回大号泣。あらゆる手を尽くしたけど、とにかく私は一人で対処していた。帰りの車の中で私が大号泣したり、怒鳴ったりしていたこともあった。

 当時、手を挙げないようにしていたから、「叩いてしまう」と言う友人を受け止めることができなくて、離れてしまった。

 でも。怒鳴ってしまう私がいたように、彼女もきっと孤独だったのだ。心の中のSOSは、子供だけじゃない、親もあげていた。自分が律しているからと言って、疲弊している彼女にどうして寄り添えなかったのか。心の狭かった当時の私を「ちっちゃいな」と思う。

 言葉を話せるようになってからも、息子が泣く理由がわからない場合もあった。
 だから泣き終わってから「どうして泣いていたの?」と聞く。
 息子だってよくわからないけど、わからないなりの理屈を述べる。
 それに対して私も正直な感想を述べる。
 そして「だけど、息子クンを傷つける言い方をしちゃったよね。ごめんね」と言う。息子は「良いよ」と言う。「仲直りできる?」と両手を広げると、息子は飛び込んでくる。抱きしめる。

 このやり取りを何度! 何度繰り返しただろう。
 うまく話し合いが進まなくても、息子は「仲直り」と言って抱きついてくるようになった。まだ私の心が落ち着いていなくても、「まみだ(涙)、拭き拭きして」と寄ってくる。「そんな気分じゃないよ」と言っても、息子はもう落ち着いているのだ。仕方なく拭く。

 ぐぐーーっと凝縮すると、確かにテレビで観た親子のようなやり取りはしていたとも言える。でも過程が全然違う。
 あんな風に、グズグズ泣いていたってパニックなわけでもなく、こちらの言うことが聞こえていたら、落ち着いた話し合いができただろう。

 パニックの頻度も、ほぼ毎日。
 「毎日」、短くて30分、長くて1時間以上続く。それが10歳近くまであった。
 
 こんな子育て、みんながしているわけじゃなかろう。

 
 幼稚園の帰り、迎えに行くと、大抵の子は嬉しそうに親に飛びつくのに、ウチの子だけは大号泣する日も多々あった。
 幼稚園の先生は、「ずっと緊張しているタイプの子はこうなるんですよ」と理解があったので、大変助かったし、励まされた。でも情けなくて、帰り道、息子の手を引きながら、私が泣いて帰る日もあった。

 小学校一年生の頃は、宿題を見て指導もしてやって下さいと先生に言われる。息子はいまだにそうなのだけど、字のバランスがおかしくてとても下手なので、当時、横で「こうするともっと良いよ」などと声をかける。すると、その一言を放った瞬間に、バターンとひっくり返って大号泣が繰り広げられる。
 息子に宿題見なくて良いと言われて、早いうちから息子は一人で宿題をするようになった。
 三年生になると、先生が変わって宿題がとても多くなった。帰宅すると部屋にこもり、教科書やノートを部屋中に投げつけて暴れて大号泣していた。でも落ち着くと一人で宿題を済ませてスッキリした顔で「母さん」と話しかけてくる。
 その後「グズグズ泣いているストレスより、泣くのを我慢するストレスの方がマシだよ。泣いている方がしんどいって最近思うんだ」と言い出した。
 4年生の途中までは時々足を踏み鳴らして唸ったりしていたけど、大号泣はあまりしなくなった。

 4年生の終わり頃、ようやくすべてがおさまった。

 「気持ちを抑えてないだろうか。あんなに穏やかで大丈夫かなあ?」その頃、よく夫に聞いていた。夫は「今までさんざん大変だったじゃない。もう親子共々、充分やってきたんだよ」と言う。それでも何だか信じられなかった。5年生の頃には、穏やかで、自分の感情をコントロールできる少年が出来上がっていた。言葉もいっそう豊かになって、感情を表現し、何を考えたかなど話すようになった。

 中学一年生。宿題をためこんで「もうできた」と嘘をついていた時期があった。

 私の接し方がまずかったのだと、毎日毎日、自分を責めて泣く日々が続いた。頑張ってきたけど、やっぱり私はダメな親だったんだ。
 息子は週末になると熱を出し、吐いた。月曜は休む。よく物を落とし、こぼし、片づけられない息子は、女子たちに「汚い」とキャーキャー騒がれた。
 夫と話し合い、先生とも話し合って、息子だけ、教科書を入れるカバンや、何を机に置くか記されたファイルを置かせてもらえるようにした。
 小学生の頃も親子共々スクールカウンセラーのお世話になったけど、いよいよ発達障害の専門家のところに予約を入れた。診断してもらって何が良いのかと言えば、今後、大学や社会生活をする上で、周りからのサポートを得られる可能性が高いからだそう。

 息子と毎日のように、真剣に話し合った。
 もうこのまま登校しなくなるかもと思って、周りのフリースクールを調べてもいた。
 
 でも段々息子が落ち着いていった。

 今週、毎日通えた。
 今週も。また次の週も。

 たまっていた宿題も全部こなし、皆に追いついた。反抗的な言葉や態度はあったけれど、人を傷つけるようなことは言わないし、幼い頃のように泣くわけでもない。息子が「やっぱり僕、専門家の診断は行かなくて良いや」と言ってきた。心配だから行きたいと言っていた息子が、必要ない、と言う。メリットデメリットについても話したけど、「もう大丈夫だと思う」と言う。

 中学二年生の時、若い女性の先生のもとで、息子はさらに見違えた。

 提出する日記のようなものに、いかにも中二病みたいなことを書いていたけど、先生は流してくれていた。参観日に授業を見に行けば、息子は先生やクラスの子たちに「面白い」と言われ、楽しそうに発表していた。
 クラスの誰かと会話の練習、という英語の授業でも、孤立していた過去の息子と違い、色々な子と喋っては笑っていた。

 先生、どうやってそんな風なクラスを作ってくれたのですか?
 
 直接聞いても、先生は笑って謙遜するばかりで答えてくださらなかった。

 見ていてわかったのは、先生が息子を可愛がっていたこと。物を落としたりしても大ごととして扱わなかったこと。色々皆に追いついていない息子に対して、先生がどのような対応をするかがモデルとなり、皆もそのように接するようになったのだ。

 中学三年生になる頃、息子は家でも学校でもすっかり落ち着いていた。

 高校一年生の時には、中学から知っているけど担任は初めての先生に、「物落としたり失くしたりが減ったよな! むしろ少ない方になったんじゃないか?」と言われた。
 適度にサボることも覚え、遊んだり怠けたりも意識的にするようになった。
 ただ、よく「勉強しなくちゃいけないって思うのに、やる気が起きないんだよ。甘えってわかってるけど、このままじゃ不安なんだ」と言うようになってきた。
 高校一年生の終わりに塾に行かせてみた。本人はあまり乗り気じゃなかったけど、お試し期間やってみなよ。イヤだったら、母さんが何とでも言って断るからと話した。

 これが息子が特定の勉強にハマったきっかけとなる。
 今は「面白くて仕方ない」と言って、夫に得意の数学や物理の話を聴いてもらっている。でも家ではほとんど勉強しない。スマホだってやり過ぎて夜更かししてしまう。どこにでもいる高校生だろう。片づけてと言っても片づけないけど、ゴミを捨てることと洗濯物を出すことだけはしつこく事務的に伝えるようにしている。

 幼少期からずっと一緒に楽しんできたお笑い番組は欠かさず観る。この夏からほとんど時間取れないけど、時には一緒に映画を観る。ゲームの話もする。甘えてくるし、機嫌悪い時もある。


 17歳の今からは、想像できない嵐のような10歳までの長い年月。

 私は穏やかな子育てを理想としていた。その約10年、心理学だの、精神科医の本だのカウンセラーの本だの、関連本だけで軽く100冊は超えて読んだ。
 自分の子供に対してでなく、自分の親としての姿勢を「こうありたい」と頑張るのは悪くないはずだ。でもそうなれないのが現実。自分の思う子育てを実践できる人がいるとしたら、単に子供がそういうタイプなのだろうと思う。

 私も、テレビで観たような対応ができたら良かった。
 あんな風に泣きながらでも、親の言うことが耳に入るような子だったら良かった。でも息子は違った。

 それに対して思う。

 ありがとう、息子。

 キミが私の所に来てくれなかったら、私はずいぶん思い上がった人間になっていただろう。

 人の苦しみも優しさも愛も、全部キミが教えてくれた。

 思い通りにならない子の方が良い。キミと私は違う人間。愛情とドライな接し方は両立できる。そして、発達にはそれぞれのペースがある。
 全部キミが教えてくれたんだ。
 
 今、苦しんでいる親子がいたら、上手く育てられなくたって良いから、どうか「人並みに普通になる」のをゴールとしないでほしい。その子を「受け入れて丸ごと愛する」をゴールとしてほしい。

 その先どうなるかは人それぞれで、私も自分の子育てに自信はないけど、でも何者かであるその子供の存在を、認めてほしい。その子が周りに怒りをためこまず、自分自身を「これで良い」と思えるまで。


#エッセイ #子育て #育児 #発達障害 #グレーゾーン

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。