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7月19日 「痛みレベル」と友人間コミュニケーション

先週土曜日。クリニックから帰って家でくつろいでいると、近所に住む友人から電話があり、近くのタリーズで30分ほどお茶をした。彼女と冷戦状態だがチョコケーキを買って仲直りしたいという話だったので、新宿伊勢丹地下のジャン=ポール・エヴァンを薦めたら、相談に乗ってくれたお礼にと、わたしにもアソートを買ってきてくれた。仲直りはできたらしい。話のネタ的にはおもんないけど、まあよかった。好きでもない男友だちの恋愛相談ほど、世の中にしょうもないものはない。

幸福が4粒も…

日曜日。癌のことはもちろん、母にお金を借りたことや一日中降り続ける雨など、いくつかのトリガーがあって気持ちが落ちていた。夕方の「けっこう無理かも」というタイミングで、11年前に北海道で出会って、その後沖縄で1年ほど一緒に暮らして、今はマルタ共和国に住んでいる友人から連絡があった。ここぞとばかりにZoom飲みの提案をしたところ、実現の流れに。わたしは度数の低い果実酒を飲みながら生存の話を、彼女は赤ワインを飲みながら恋愛の話を、それぞれ同じ熱量で話した。

テンポよくて助かります

月曜日。海の日。友人夫婦がドライブに連れて行ってくれる約束があって、前々からこの日を楽しみにしていた。アクアラインからの海ほたる、ゲーセンでたくさん取れたちいかわのぬいぐるみ、久しぶりに食べたかったチーズバーグディッシュ、友人の体調不良により向かった病院、夜の首都高とSTAY TUNE。車内では話したり話さなかったり、流れる景色をぼーっと見たり、気の置けない関係は最高に楽で、それでいて、どの瞬間を切り取ってもキラキラしていた。病院を受診した友人が調剤薬局へ行っている間、もう一人の友人に、予備のストーマ装具の面板(お腹に貼るパーツ)を切ってもらった。

いつからグラム表記じゃなくてS・M・Lのサイズ表記になったの?

腸閉塞による入院から退院して、闘病生活という名の新しい日常が始まったあたり、関係性の深さを問わず友人たちとの間に壁を感じていた時期があった。彼らの仕事や恋愛、人間関係といった話を聞きながら、わたしは時々、どこか上の空だった。わたしたちのコミュニケーションから「わかる」がどんどん失われていく。来年、再来年の話で悪意なく盛り上がる彼らは、もう同じ世界の人間ではないのだと思った。

あるとき、北海道に住んでいる11年来の友人とZoomを繋いで飲んでいた。友人はわたしを心配してくれているがゆえに、今までのようにくだらない話をしていいものか悩んでいたことを打ち明けてくれた。わたしたちは関係を続けるために「今まで通りにくだらないLINEをしよう、でも、わたしが本当に無理なときはこのサインを出そう」というコミュニケーションルールを設け、無料Zoomミーティングの3度目の制限時間を迎えて話を終えた。

MacBookをパタリと閉じて思った。このままじゃまずいな。それは確固たる危機感としてあった。わたしがコミュニケーションについて悩むように、友人たちもまた悩んでいる。

「生きるとか死ぬとかそういうんじゃなくて、今までみたいに普通に話したいんですけど」
「いやいや、こっちはいつまで生きていられるかもわかんないのに悠長なものですねぇ」
「なんか正直めっちゃ気ぃ遣うし、どうしたらいいかわかんない」
「そんなの、わたしだってわかんないよ」

口に出しこそしないものの、この時期の友人たちとのコミュニケーションにおける互いの本音なんて、せいぜいこんなものだっただろう。

これを解決するソリューションですぐに思い浮かぶものは、2つしかなかった。1つはわたしの癌が完全に治ること。もう1つは、友人にも癌になってもらうこと。ついでにストーマも造設していただいて。無論、その2つは現実的ではないし、特に後者はまったく望んでいないので、第3の策を考えなければならない。相容れない悩みを持つ人同士が、互いにストレスなく話せる方法なんてあるのだろうか。あれこれと模索した結果、わたしは「痛みレベル」で話ができないかと考えるようになった。

入院中、よく「痛みレベルはどれくらいですか?」と看護師さんに尋ねられた。痛みレベルは、当事者が過去に経験した最大の痛みを10として「5……いや6くらいキツいかもです」のように表すことで、看護師さんが患者への対応を判断するために用いられる。たとえば、骨折して痛みレベル5のわたしと、内蔵をやられて痛みレベル3のお隣さんがいたとする。それぞれの痛みを取り出して可視化したら、もしかするとレベル3のお隣さんの痛みのほうが、5のわたしの痛みより大きいかもしれない。けれど、当人たちはそれぞれ「5です、めっちゃ痛い」「3だからまだ大丈夫」と言っている。この状況で強い痛み止めが投入されるのは、5のわたしとなる。

わたしもお隣さんも相手の痛みなんてわからない。ただ、相手がどれくらい痛がっているのかはわかる。日々のコミュニケーションにも、これが適用できるのではないかと思った。

わたしだって癌に罹患したからといって、心の痛みレベルはずっと10なわけじゃない。むしろだいたいは1、2程度で安定して低空飛行できている。わたしはとても忘れっぽいのと、今は本当に、癌に起因する以外のストレスが一切ないので。だから、友人が悩みを持ちかけてきたときは「今この人はわたしより心の痛みレベルが大きそうだな」と思うことで、全然聞くよー!という心持ちになれるようになった。何だったら、痛みレベルがいくつか、直接尋ねることもある。ただし、わたしも常に1、2くらいは痛いし、トリガー次第で痛みが増大することは忘れてくれるなよ、という感じだ。

この方法でどこまでやっていけるのかはわからない。けれど、すべての人間は、同じ人間ではないゆえに伝え合う。時には互いに伝え方を間違えてしまうかもしれない。それでも。

「ねー、わたし癌になってから本っ当になんもない。好きな人もいない。こんなの初だよ、初」
「そんなん当たり前やん、今は“生きる”に注力してるんやで!衣食住みたいなベースが整ってない状態で恋愛なんてできひんやろ!」

マルタの友人は、地中海の太陽を浴びてこんがりと焼けた腕でワイングラスを持ち上げながら、画面の向こうでぷりぷりと怒った。わたしは、まあたしかに、と笑った。最もだと思う反面、そのベースが整う日なんてもう二度と訪れないのでは、とも思う。1、2程度の痛み。

「なんか、また○○と一緒に住みたくなっちゃった〜」
「リモートなんやからこっち来たらええやん!マルタええとこやで、小さい島やから30分も車走らせたら朝日も夕日も見れんねんで」
「それはいいけど行かないよ、時差あるし」
「夜働いたらよくない?」
「いや行く意味」

ふたりで笑った。楽しかった。そうだった、思い返せばずっと、わたしの友人たちはわたしにとって世界一なのだった。一人で闘病生活を送るわたしに、しょうもない話ばかりを繰り広げながら、あの手この手で支えようとしてくれている友人たち。彼らなくして、今のわたしは絶対にいないことだけはたしかだ。


まだあるからね!!!!

癌になってから、頼んでもないのに定期的に食品を送ってくる友人カップルが大阪にいる。最近は「スープ定期便」としてサービスの落ち着きを見せている。定期便は、退院から今日まで合計6回も届いている。

  1. 沖縄そばとタコライス

  2. タコライス

  3. うどん乾麺

  4. ドライスープ

  5. レトルトスープ

  6. レトルトスープ

いや、どういうこと?落ち着きを見せている場合じゃないのよ。まじで困りものです。いつもありがとう。大好きよ。

それにしたって、どういうこと?

トップ画像は月曜に行った海ほたるにて、写真を撮る友人の後ろ姿。今度は新宿のドンキーに行こうね。笑


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