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「貧乏性」井伏鱒二著:図書館司書の短編小説紹介

 子供の頃、父からもらった「リンセン」こと「ちょっとしたお小遣い」の使い道を考えるのが楽しかったという記憶から、手元に小金が入ると落ち着かなくてすぐに使ってしまうという現在までの話を書く。
 短篇ながら、他にもいくつかの挿話が込められており、中でも興味深かったのは鯨の話だ。
 著者が尋常小学校(今の小学校の四年生までの学校といったところか)に通っていた時、学校に流れの商売人である香具師(やし)が鯨を見せに来たという。
 もちろん死んでいて、大八車に載せられたものだけれど、校長はその鯨を学術参考のために生徒たちに見学させたいと考えた。
 けれど、見物料を取るのが香具師の目論見であり生業なので、ただでは見られず、すぐに家に帰り父兄からの許可と見料五厘を貰ってくるようにとのお達しが出された。
 五厘というと現代の百円相当だろうか。鯨の見学料としては妥当であるように思える。死体とはいえ、生だし。
 言われた生徒たちは皆走って家に帰り、家族からお金をもらうと再び学校に馳せ戻った。
 この噂を聞いた猟師が、それならば自分は撃った狐を見せようと、同じように学校に運んで来た。腐りかけていたのか、狐は異様な臭気を発していたという。
 
 今思えば、子供を相手にした突拍子もない商売だ。現代で同じことをできるかというと、様々な規制規則があって不可能のように思える。衛生的な面でもアウトだろう。
 とはいえ、こうした法の網が緩く、社会の寛容さがあった時代の話は読んでいて面白く、また羨ましくもある。
 思えば私がまだ幼少時代の1980年代までは、こうしたおおらかさの残滓がまだ世に残っていたように思う。
 特にお祭りの屋台などは治外法権的で、そこでしか通用しないような商売が数多くあった。例えば絶対に倒れない射的や、大当たりのない紐くじなどなど。
 そんな中、妙に記憶に残っている屋台がある。店先に三十センチ四方の透明のビニール袋をいくつも並べ、そこで大学生くらいの女性が一人で番をしているのだ。
 ビニール袋の中には色とりどりの紙がぎっしり入っている。近付いてよく見てみると、それは『小学〇年生』などの雑誌の付録として入っていた、紙を折って作るおもちゃの台紙なのだった。
 何でこんなにいっぱいあるんだろう、小学校低学年だった私はそれをじっと見ていた。すると、店番の女性がいきなり「見ないで下さい!」と私に向かって叫んだのだ。
 見知らぬ女性から大声を出されたのも初めてだったし、ただ見ていただけでどうしてそこまで怒られるのかと、わけもわからずポカンとしていた私を、二人の姉が引きずってその場から引き離したのを覚えている。
 今考えると、あの雑誌のおまけが詰まったビニール袋屋台は、転売ヤーの走りだったのかもしれない。
 
本作は、このような何でもありだった少し昔の時代を思い出すことができる奇特な一編でもあった。

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