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人間失格

人間失格とは、なんだろう。

太宰治の人間失格を読むとそう考えてしまう。

あらすじ

「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも、男が不在になると、彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う

人間失格とは

人間失格の主人公の葉蔵は、人間社会の中で上手に生きることができないために破滅の道を進んでしまう物語である。

葉蔵と関係する女性たちとはそれぞれの幸せをつかめたはずなのに、平穏な生活を営むことができない。

内容的には、不快、いらいらする、胸糞悪い等と感じてしまうかもしれません。

しかし、人間の弱さを見ていると、自分の弱さを重ねてしまうはず。

「道化」のままではいられない、自分の生き方で生きようともがき苦しむ葉蔵は人間の在り方の不安定な部分を表しています。

この作品は、作者自身を表しているのかもしれません。

作者である太宰治は、実際に心中未遂を繰り返し、女性関係が多い作家でした。

太宰治は、最後に山崎富栄という女性と心中して命を落とします。

そのため、この作品は、自分の姿を投影して執筆したのでないかと考える。

太宰治は、自分自身の生き方が「人間」という動物にとってふさわしくない生き方であると感じたために、人間失格と踏んだではないか。

太宰治は享年38歳である。38年という私たちから見て短い歳月から自分という人間に不満を持っただろうか。

そう考えると、人間失格とは、何だろうと感じてしまう。

太宰治の人生史において、女性関係の問題や服毒自殺の問題が多かったが、その罪が重くあったために、人間失格と思ったのだろうか

人間には、完璧な人間は存在しない。

平凡であることも難しい人間に、完璧を求めるのは難しい。

太宰治の罪は重たいが、彼よりも罪が深い人間はこの世に存在するかもしれない。

人間失格とは、自分自身で認識し、罪に際悩まれる時に感じるものであるのだろうと考える。

太宰治は、自分自身の存在を罪深い人間と認識し、人間失格を執筆し自殺したのだろうか。








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