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羽生善治が天才なら藤井聡太は神なのか? ※将棋※

かつて、あのマラドーナはかつて一時代を築いたペレについて聞かれ、こう答えた。
   “”ペレが天才なら、マラドーナは神だ“”

一応、これでもマラドーナはアルゼンチンのキリスト教徒だったものだから、チト問題になった。
それにしても、天上天下唯我独尊をいくマラドーナならではの発言だ。
1人称で自分をマラドーナと云うんだから、フィールド外でもメタ認知できていたワケよ。

どんなジャンル・洋の東西を問わず、
新たな才能が、かつての才能にたいし望む姿勢というのは興味深い。

本日はこうした新旧才能対比などを、少し掘り下げたい。


ニコニコとABEMA○

これはもう勝負付けが、完全かつ最終的についてしまった。
たかだか10年そこらの角逐だったが、昨今はビジネスコンテンツならびにプラットホームにおいて、発展スピードが速く栄枯盛衰も激しいことの好例だろう。



○ビートたけしと松本人志

これは今なら、ビートたけしの快勝譜だ。
もしかしたら、これからずっと勝ち続けるかもしれない。
こればっかりは、あと2度ほどフタを開けてみないとわからないが、ビートたけしのうっちゃり勝ちの線が濃厚じゃあないかな。



バイデンとトランプ○

これは同じことを延々と繰り返している、さしずめ現代のイゼルローン攻防戦だ。
もう、じいさん連中で勝手に操られて下さい、みたいなノリではないだろうか。
リバタリアン党からも大統領候補者みたいなのはいるのに、メディア大同団結でガン無視なのも面白い。




○落合博満と大谷翔平

これは大方の人々が、「大谷勝ち」で一致するんだと想う。
だがね、落合博満をなめちゃあいけないよ。
バットコントロール精度ならば、落合の圧勝も圧勝よ。

  落合カメラを壊す

こんなことがあった。
ロッテの落合博満がバッティング練習をしている。
それをテレビカメラマンが無断でうつし始めた。
テレビカメラを落合から7メートルぐらいのところに突き付けた。

落合が、「そこ、危ないよ」、と云った。
それでもテレビカメラマンは退かない。

落合の目の色が変わり、
バッティング練習のボール一閃。

狙い済まして、テレビカメラのレンズを直撃だ。

これは天下の大谷翔平でも出来ない離れ業だよ。

  落合、東尾に報復す

こんなこともあった。
ロッテの落合博満が、1打席目でデッドボールを頭に喰らった
対戦投手は西武の東尾だ。名球会だ。愛称はトンビだ。

落合はタンカで運ばれながらも一塁ベースに戻ってきた。
そりゃあ、トンビにやり返すためよ。

2打席目、意味ありげなピッチャー返しのセンター前ヒット。
落合、なぜか一塁ベース上で首をかしげる。


3打席目、トンビにドンピシャ、ピッチャーの頭に直撃。

頭にきたら、頭にやり返す、
この落合のバッティングコントロール精度は、大谷翔平だけでなく誰にも真似出来ないだろうね。
未曾有以上、不世出未満ってとこじゃあないかな。

  力の落合と技の落合

1985年
落合博満 打率.367、52本塁打、146打点

技の落合というイメージが強い。
だが、1985年に三冠をとった時の落合博満はまるで違う。
力の落合だ。
外角低めを引っ張りこんでレフトに軽々と持っていく。
この年の落合には誰もかなわない。ノスタルジー込みだがそう想うんだ。




◎デビル雅美とキューティー鈴木
 

これは、デビル雅美の圧勝だ。
デビル雅美はほんとっに、いい人だからね。




◎古代ローマ帝国と神聖ローマ帝国

これは文明の妙を感じられる比較だよ。
不思議なことに、
大昔の古代ローマ文明水準の方が、新顔の神聖ローマ文明水準よりも高い。
いわゆる、“”蒸気機関なしで到達できる上限ギリギリ“”、まで達している。

なんでか?

古代ローマ文明は、その根幹技術を後世に書き残さなかった。
だから後発の文明が、古代ローマに及ばなかったんだ。

それは文明じゃあない、とも思うし、古代ローマ帝国なんて実在したのかなあとも想う。
でも、まあ真実は時の娘だというから、後世の歴史家風情の解釈に委ねよう。


旧4 新2

旧才能と新才能の対比にて、旧才能の勝ち越しが決まったところで本能寺にいってみよう。




羽生善治と藤井聡太

 負けるための十字架

これはね、現時点では羽生善治は藤井聡太にタイトル戦で勝てない。

何故か?

負けるための理由を自分自身でつくっているからだ。
昨年、羽生さんは会長職に就任したが、それは藤井聡太八冠に負けた時の言い訳として必要にして十分だ。
激務だからねえ、と他人はもとより自分すらも納得させられる。

人は易きに流れる。
どうしても負けるもっともな理由があると、負けという易きに流されしまうんだ。
だから、現時点では羽生善治は藤井聡太に勝てない。
 

 世代の矜持

一方で、ここからむこう5年という期間において、
藤井聡太に勝てる棋士といわれれば、やはり羽生善治をおいて他にはいない。

まずもって藤井聡太の牙城は崩せない。
強い、とにかく強い。
ありゃあ既存の思考パターンの中では、行き着くとこまでいきかけてるだろうね。
だが、羽生善治ならばという期待はある。
いや期待なんてもんじゃあないさ、ワタシの世代ならば、幾度となく羽生善治の凄みを目の当たりにしてきたからね。
期待ではなく自信、自信を越えた確信がある。
藤井聡太に勝てる奴がいるとするならば、羽生善治だという確信風情がね。


 勝利への青写真

そこでだ。
やはり、羽生善治には負けるための理由を取り去って、もう一勝負して欲しいワケだ。
今年、2024年は連盟の設立100年だから、「顔」として羽生善治が外せないのはギリギリわかる。
だが来年になったらば、もういいでしょうに。

勝負付けをして欲しい。
勝つにしても負けるにしても、負ける理由を最小化して戦って欲しい。

それでも、
羽生善治では藤井聡太に勝てない、そう想っている人が多いでしょう。

勝てるよ。
羽生善治ならば勝てるよ。

負ける理由をとっぱらった時の羽生善治は強いよ。

まあ見てなさいって、面白いもんみれるから。



新旧の十字路

ペレとマラドーナしかり、落合博満と大谷翔平しかり、古代ローマ帝国と神聖ローマ帝国しかり、中原誠と羽生善治しかり、リクルートとアップルしかり………
なかなか旧才能と新才能は、勝負付けの機会にすらありつけない。

おしなべて「歴史のif」で語られることになりがちだ。
だが、だから、
勝負付けの機会がある新旧才能対決は、実現させなければならない。

「歴史のif」だらけの世の中というのは、どうにも言い訳がましくて好きになれない。
だから、羽生善治と藤井聡太のタイトル戦を再度みてみたいと想うんだ。

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