紙媒体書籍はなぜタテ書きのまま座して死を選ぶのか?
ウェブが爛熟してヨコ書きがスタンダードになっている。
ブログ、SNS、ウェブニュースなどなど、およそ活字という活字がどんどんヨコ書きになっており、このヨコ書き増加トレンドは衰える素振りすらない。
タテ書き →→ ヨコ書き
紙媒体 ウェブの進展 デジタル媒体
だがこのデジタル花盛りのご時世にあっても、1つだけタテ書きを堅守している媒体がある。
それが紙媒体の書籍だ。
この旧態依然とした紙媒体のタテ書き主義こそが、紙媒体そのものを殺すことになる。
本日はそのメカニズム云々を述べていこう。
タテ書きは読みやすいのか?
紙媒体書籍だけは、かたくなタテ書きを遵守している。
ところでタテ書きは、ヨコ書きよりも読み書きしやすいのだろうか?
ここでは、「読み書きのしやすさ」より、「慣れの問題」をこそ問題にすべきだ。
まず、
タテ書きが多かった時代には、タテ書きに慣れた人々が多くなり、タテ書きの使い勝手が良かった。
だから昭和においては、タテ書きがスタンダードだった。
他方、
ヨコ書きが多くなった現在では、ヨコ書きに慣れた人々が多くなり、ヨコ書きの使い勝手が良くなっている。
だから令和においては、ヨコ書きがスタンダードになっている。
要は、
利用者によるタテとヨコの多数決だ。
よって、ヨコ書きが圧倒的多数をしめる現代デジタル社会では、多数派が慣れて親しんだヨコ書きが重宝されている。
タテ書きは文化だからよいのか?
確かに、日本におけるタテ書きは文化と云える存在である。
それだけ長いスパンにおいて、タテ書き派が政権を握っていた。
しかし、タテ書き党がかつての与党だからといって、現在の文化にドヤ顔で文句をつけるのはスジが可笑しい。
現在の与党は、まぎれもなくヨコ書き党だからだ。
ヨコ書き党が世の中を決める
令和となり、完全にヨコ書き党が絶対的多数を掌握している。
だから、ヨコ書きの文章に慣れ親しみ、かつ使い勝手の良さを感じる人がドンドン多くなり、さらにさらにヨコ書きが増えていく。
だから、現下ニホンでは、ヨコ書きの文章が世の中を規定しているのだ。
紙媒体党・タテ書き派という現代の平家
平家を滅ぼすは平家といったものだ。
平家のおごりこそが平家を滅ぼした、という戒めである。
翻って、
紙媒体に巣食うタテ書き主義はどうだろか?
“”紙媒体のタテ書き主義、これこそがニホンの文化だ。“”
ここまでなら間違いとは云いきれない。
“”紙媒体のタテ書き主義、これこそがニホンの文化だから、
タテ書き主義がニホンの世の中を規定しなければならない。“”
ここまで来ると完全に間違い、逆は必ずしも真ならずである。
この間違いを犯しているのが、紙媒体タテ書き主義派閥だ。
紙媒体はタテ書きという主義をまもるために、紙媒体という母体を殺すことになる。
紙媒体はタテ書きこそが正義、という驕りのために滅ぶのだ。
そしてタテ書きという文化、これが紙媒体のつまらない意地のために滅んでしまう。
この一事だって大きな問題だ。
文字離れの正体
紙媒体がタテ書き主義とともに心中する、といえば聞こえはよいが、
一緒に殺されるタテ書きにとっては傍迷惑なハナシだ。
つまるところそれは、ただの怠惰である。
環境に適応する努力を怠ったものの、怠惰である。
本来、
タテ書きという文化を守りたいならば、一旦はヨコ書きになり、タテ書きの素晴らしさを広く世間に説いて回るべきだ。
ところが、現在のタテ書き主義は、多数派に見向きもされないタテ書きのまま念仏を唱えている。
つまり紙媒体がナニを言っているのかよく解らない。
だから人々は紙媒体を読まなくなっている。
これが「文字離れの正体」だ。
文字離れではなく、タテ書き離れである
若い人々が離れていったのは、文字ではなく、書籍でもなく、
タテ書きという馴染みのないコトである。
ヨコ書きであったならば、若い人々は紙媒体でも書籍を読む。
実際に、ヨコ書きのデジタル媒体は相応に読まれているではないか。
若い人々にとって読みづらいタテ書きであるから、紙媒体の書籍は廃れている。
ただ単にそういうコトに過ぎない。
若者の文字離れではなく、若者のタテ書き離れである。
むしろブログ、SNS、ウェブニュースなどに幼いころから親しんでいる若者は、文字と触れ合う機会がすこぶる増えている。
つまり、「文字離れ」など空想や妄想のたぐいに過ぎない。
環境に適応する若者と、環境に適応しない紙媒体
若者はヨコ書きという環境に適応し、デジタル媒体で文字を読み、知見をぶあつくし進歩していく。
他方で、
紙媒体はヨコ書きという環境に適応せず、発信力と求心力その他モロモロを失った。
結果、若者と紙媒体の齟齬はどんどん拡大していく。
世間に明るい若者と、世間に暗い紙媒体の格差は拡大していく。
かくして紙媒体はタテ書きを道連れに滅ぶ。
「もう紙媒体に先はない」
出版社の諦観という真犯人
いみじくも、まだ時間はわずかにだが確実に残されている。
タテ書きのフォーマットを、ヨコ書きに変えるだけでいい。
それだけで紙媒体書籍は、デジタル世代を惹き付ける魅力的なコンテンツになりえる。
きわめて簡単なハナシだ。
やらない方が可笑しい、といった類いのハナシだ。
「もう紙媒体に先はない」
という出版社の諦観が、タテ書きからヨコ書きへのフォーマット変更投資を妨げてきた。
なんのコトはない。
出版社の、「もう紙媒体に先はない」という諦観こそが、
紙媒体とタテ書きをまとめて殺そうとしているのだ。
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