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読書記録「努力論」⑨

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回も、幸田露伴先生の「努力論」岩波書店 (1940)の要約を進めます。

努力の堆積

世の中には、絵を描く画家や小説家など、側から見たら好きなことを仕事にしている人が少なからずいる。脱サラしてカフェを開いたり、趣味が高じてインフルエンサーとして有名になったりたり、事業を起こして成功した人たちを見ると、華やかで楽しそうだと思う。

私にもできるかもしれない!そうやって目指す分には素晴らしいことである。だが、到底好きなことで食べていこうとするならば、生半可な気持ちではならない。好きなことを仕事をするためには、その裏にある努力を見落としてはならない。

好きならば続けられる、それは間違えではない。仕事も趣味も好きだと続けられる。好きでもない仕事を無理して続ける必要はないと私は考える。だが、成功したいのならば、好きなことでお金をもらおうとするならば、生半可な努力では足りない。

私自身、読書会を毎週開催しているが、毎週違う本を持ってくる様にしている。そのためにも毎週宿題のように本を読んでいる。川口さん毎回同じ本の話しかしないんですよね、川口さんの読書会いつも同じ話ばっかりでつまらない、なんて言われたくない。皆さん参加費を払っていただいている以上、皆さんを楽しませる責務がある。

もちろん、本が好きだから読んでいる。好きだから期日までに本を読もうと頑張れる。好きだから様々な本を読もうと未開拓のジャンルに挑戦する。好きだから、沢山の本を語れるように努力する。

たかだか読書会ごときで、なんて言われても構わない。ただ、それだけ頑張っている。その結果としてリピーターが来ているのだと信じたい。

努力とは、露伴先生によると下記のような例を示す。

敵の有無に関わらず、自己の最大を尽くして勉励すること
途中に嫌なことや苦しいことがあっても耐え忍び、継続すること
感情がどうであろうと、意志の炎を燃え続けること

ただ、「努力論」①において、露伴先生は少なからず才能や天性は存在すると述べている。努力が万能であるとは断定していない。

ならば、才能も運もないならば、努力が唯一の味方となる。

どれだけ才能がある者だとしても、順風満帆に行くわけではない。幸運に恵まれたとしても、それを継続する努力を怠れば、幸福も失ってしまうことは前回の記事で書かせていただいた。

大成したいのならば、不断の努力が欠かせない。仕事でもスポーツでもその原理原則は変わらない。あとは努力の方向性を間違えないことである。知り合いの言葉を借りれば、満員電車に揺られるのも、余暇時間に勉強するのも、どちらも「頑張っている」のである。自分にとって何が効果的なのか、それを見定めた努力が必要といえよう。それではまた次回!

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