見出し画像

読書記録「人間失格」

川口出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、太宰治の「人間失格」角川文庫 (1989)です!

太宰治「人間失格」角川文庫

・あらすじ
太宰が京橋にあるバーのマダムから受け取った書記は、ひどく興味深いものであった。主人公 大庭葉蔵の生い立ちから、道化を演じ続けた半生。酒とタバコと女をしり、だが誰一人として「親友」と呼べるものはおらず、最愛の妻もいるわけでもなく、自分にはその資格すらないのだと嘆く。女と入水自殺しようとして一人死にきれず、未亡人のアパートに転がり込み、金の切れ目が縁の切れ目と別れ、酒を止めるためにモルヒネ注射の中毒者となり、精神病院に収容される始末。
人間不信に陥った男の、太宰治の遺書とも言える作品。

この本を書店で購入したのは、もう十年以上前のことである。2010年 若き生田斗真さんが主役を演じる「人間失格」の映画が公開される前で、私がまだ中学2回生の頃である。その頃妙に近現代文学を読みたくなった私は、夏目漱石や宮沢賢治などのメジャーどころを読んでいたが、この「人間失格」においては、はてさて全く文章が理解できない有様であった。

あれから有難いことにまともに成長した私は、ようやくこの本を味わうことができるようになった(あまりの面白さに2日で読み終えてしまったほどだ)。

恥の多い生涯を送ってきました。

同著 10頁より抜粋

といえば、誰もがピンとくるフレーズであろう。

主人公 葉蔵は自らを生まれた頃から日陰者だと思い込み、他人の気持ちや悩み、考えなどがどうしてもわからないという。他人は私を馬鹿にしているのではないか、普段はどんなことを考えて生きているのか、わからない。

だから道化を演じることによって、”世間”との繋がりを保ってきた。道化を演じていれば、清く明るく朗らかに生きていられた。別に不思議なことではない、誰だって他人に対してペルソナや分人を持っているものであり、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」よろしく、普通の人間として生きられないのであるならば、他人を真似して道化を演じるのも過酷な社会を生きる上では必要であろう。

だが葉蔵は自らが世渡りに長けているとは露程ともおもっていない。道化を演じることであたかも居心地の良い場を提供することができたとしても、心の底から人とのつながりを持つことはなかった。

それゆえに、一夜を共にした喫茶の女と自殺しようとしたり、未亡人の子供にすら怯え、妻が寝とれてたにも関わらず小言一つ言わず、ただただ酒に溺れる始末。
酒をやめようと打ったモルヒネ注射がやめられなくなり、いよいよ精神病院に入れられる。

人間、失格。もはや、自分は、   完全に、人間で無くなりました。

同著 142頁より抜粋

その男は当時二十七歳、白髪混じりの見た目から、四〇歳以上に見られる。

ここで書記は終わる。彼は精神病院に入れられて、自分のことをこう評価する。確かに傍目から見ても、恥の多い生涯であったと言えるが、少なくとも病院に収容されるまでは人間であった。

太宰の言わんとしている事はわからなくもない。果たして自分に人を愛する能力があるのだろうか、人のことを心の底から信頼することがあっただろうか。誰もが少なからず、他人に対して抱く不信感。偏りがありすぎると、人間不信に陥る。

少なくとも我々は人並みには相手を忖度できる心持ちがあるだろう。反面教師ではないが、少なからず現代の我々にもえるべきところがある。日本の近現代文学として、是非とも読むべき一冊である。それではまた次回!

この記事が参加している募集

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。