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読書記録「ある小さなスズメの記録」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、クレア・キップス 梨木香歩 訳「ある小さなスズメの記録」文藝春秋 (2015) です!

クレア・キップス「ある小さなスズメの記録」文藝春秋

・あらすじ
1940年7月1日 第二次世界大戦中のイギリス。防空対策本部の任務から帰ってきたクレア・キップスは、玄関先で生まれたばかりのスズメを拾った。

彼は生まれつき片翼に障害を抱えていたため、親から見放されたのだろう。たとえ戦時下でなくても、彼は自然淘汰される可能性があった。

そんなスズメを「クラレンス」と名付け、キップス夫人はそれはそれは愛情込めて育てた。

クラレンスは非常に芸達者であった。ある時期は「俳優」として戦争で憔悴した人々の心を癒やし、ある時期は「音楽家」として人々の心を励ました。

そんなクラレンスが好きなものは、キップス夫人のヘアピンである。野生のスズメが自然から小枝を集めるように、キップス夫人の頭からヘアピンを集めた。

まるでキップス夫人こそが、クラレンスにとって母なる自然であるかのように。

この小さなスズメが、「ただ、生まれて在ること」の歓びを、全身で伝えてくれる、その事実に打たれる。

同著 167頁 訳者あとがき より抜粋

12年と7週と4日、最後まで勇敢に生き抜いた、ある小さなスズメの物語。

以前、東京読書倶楽部の読書会にて紹介された本。翻訳が「西の魔女が死んだ」で有名な梨木香歩さん、解説は小川洋子さん、イラストが酒井駒子さんと私が好きな女性作家が勢揃いの作品。

装丁が綺麗なハードカバーにしようか迷っていたが、古本屋さんで文庫本版を見かけてしまい、まずは読もうと紐解いた次第。

先日読書会で紹介した際に、このスズメはペットとして飼われたから、(外界の危機に晒されず安全に)長生きしたのですか?と聞かれた。

私は鳥を飼ったことがないため、詳しくは存じ上げないけれども、「クラレンスだから長生きした」と思っている。

晩年、障害のため変形していた腕を使って食事を取り、脳卒中の後遺症でひっくり返っても、自分のジャンプで元の位置に戻る術も編み出したという。

まるで、自らまだまだ生きるんだと、選択しているように。

スズメ一羽ですら、主の許しなしでは、地に落ちることもかなわないではないか(マタイ伝十章二十九説)

同著 139頁より抜粋

同時に、クラレンスのパートナーがクレア・キップスだったから、ここまで長生きしたとも思われる。

序章にて、この記録は単なる愛玩動物の物語ではなく、人間と鳥との親密な友情物語であると述べている。途中でも人間の余興のために芸を仕込ませることは、本来するべきではないというスタンスではある。

物語を読めば、キップス夫人がいかにクラレンスに対してペットではなく、パートナーとして愛情深く接していたことがひしひしと感じられる。

その目はまるで、「僕にはあなたこそが必要なのです。なんだかんだ言っても、結局、男の子の一番の親友は、お母さんなんですよ」と言っているかのようだった。

同著 105頁より抜粋

思えば子どもの頃から、動物が一生懸命生きる物語が好きだった。

小学生の頃に買ってもらった竹田津実さんの「子ぎつねヘレンがのこしたもの」偕成社は、実家の本棚の最古参である。

でも正直、私は動物を飼うことに対して、ある種の恐怖を覚える。

なぜなら、ほとんどの場合、人間のほうがペットよりも長生きするからだ。いずれ別れがやってくる恐れが、耐えられない。

子どもの頃、実家で「ラッキー」という名前の犬を飼っていた。

そもそも私は動物があまり得意でないから、玄関に居座る姿にビクビクしていた。けっこう大きかったし。

いつだったか、学校から下校したら、突然ラッキーがいなくなっていた。「どこに行ったの?」と聞くと、「もう帰ってこない」と祖父母が語っていた。

それが直接の原因かは分からない。だけど、これが喪失なんだって気づいたんだと思う。

飼う前からそんなことを考えてしまうのはどうかと思うが、それを考えてしまうと、どうしても、動物を飼おうという気持ちが湧かない。

話が逸れたけれども、つまり言いたいことは、どんな動物にも命があって、生きようとする意思があるということ。

たとえ小さな、小さなスズメだとしても。

「しかし怖るるな! 汝らは多くのスズメにもまして価値があるものである」(訳註 マタイ伝十章三十一説)

同著 140頁より抜粋

本当に優しさに溢れる、素敵な物語でした。それではまた次回!

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