読書記録「また、同じ夢を見ていた」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、住野よるさんの「また、同じ夢を見ていた」双葉社 (2016) です!
・あらすじ
人生とは素晴らしい映画みたいなものよ。お菓子があれば、一人でも楽しめるのだから。
私(小柳奈ノ花)は頭が良いものだから、馬鹿なクラスメイトとは一線を置いている。小学校に友達なんかいなくても、私にはちゃんと友達がいるのだから。
学校から帰ると、尻尾のちぎれた小さなお友達に出会う。雨の日に助けてあげた彼女は、前に見たアメリカの映画の言葉を借りれば「悪女ってのはたいていいい女」なのだ。よくわからないけれども。
そんな黒い友達と一緒に、お友達の家を訪れる。みんな私よりも大人で、素敵で、私にないものを持っていた。
クリーム色のアパートに住んでいる「アバズレさん」は、オセロが強くて頭の回転が早い。私が寝ている間に季節を売るという、素敵な仕事をしているらしいの。
丘の上に立つ木の家で、一人暮らしをしている「おばあちゃん」は、いつも魔法のようにお菓子を作ってくれる。たくさん本を読んでいて、私の読書仲間でもあるわ。
そして、廃墟のような建物の屋上で出会った高校生「南さん」。始めて出会った頃は、手首にカッターナイフを押し付けていたけれども、とっても素敵な物語を書くの。
ある日学校で、「幸せとは何か?」について考えて、発表しましょうという授業があった。
困った私は、3人のお友達にアドバイスを貰うことにしたの。だって人生とは冒険小説のようなもの。困難に立ち向かうには仲間が必要なのだから。
先日知り合いの家にお邪魔した際のこと。床に平積みしている本は古本屋に持っていく予定だから、欲しければあげるよという言葉を真に受け、住野よるさんの作品を4冊頂いた次第。
ちょうど最近、東京読書倶楽部の読書会でも紹介されたこともあって、学生時代に読んで以来、改めて紐解いた次第。
学生時代に1回読んでいたにも関わらず、内容はうろ覚えだったし、何より最初に読んだ時よりも、ハッとすることが多い。
幸せと何か。なかなか「これこそが幸せです」とはっきり言えるものではない。
もっとも、深く考えなければ、いくつか思いつかないことはない。
珈琲を飲みながら本を読むこと(ミルクレープやオールドファッションがあれば申し分ない)。
美味しいご飯を食べること(自分で作った時はもっと良い)。一緒に美味しいお酒があるとなお良き。
読書会で好きな本の話をすること、聞くこと。コミュニケーションは煩わしいこともあるけれども、やっぱり人と話す、つながりが持てるってのは幸せかもね。
ライターとして働いていること。曲がりなりにも好きなことを仕事にしていること。
とは言え、仕事をしている時間が幸せかと言われたら、ちょっと首を傾げる。振り返って考えてみれば、幸せなことなんだけれども、何か違うかもと、思ってしまうことはないだろうか。
もっと良いものができないか、もっと良い仮説が立てられるのではと、うんうん唸りながら仕事をしているのをしていると思うと、傍から見ても迷走しているなと思わなくもない。
仕事や趣味に幸せを見出すってのは、いわゆる枝葉末節。
辛いことも含めて、広く捉えれば、それもまた幸せではなるけれども、それだけで心が満たされるわけではない。
例えば、ライターとして書く記事にせよ、このようなnoteの読書記録にせよ、誰かに読まれるからこそ幸せを感じる。
書くこと自体も楽しいけれども、その記事や言葉が誰かに届いて、つまり誰かに認められることに幸せを見出すのだ。
そう言うと、承認欲求丸出しのように思えるけれども、何か書かずにはいられない人って、少なからずそういう気持ちがあるものじゃないかな。
行動自体に幸せや楽しみを見出だせるのは、その動機というか、心の中に幸せの源泉があるような。
幸せの源泉は人によって異なるからこそ、自分で選ぶこともできる。
今の私にとって、幸せとは何だろう。
この本を読みながら思ったことで言うと、悲しいときにも嬉しいときにも、「涙を流せること」かな。
ただの自己満足かもしれないし、語弊があるかもしれないけれども、人のために涙を流せるならば、まだ心を失っていないのだなって思うから。
きっと人生を重ねていったら、「幸せとは何か」に対する答えも変わる。
だから時折振り返ってみる。「自分は今幸せだろうか?」ってね。それではまた次回!
この記事が参加している募集
今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。