手放すことができない本
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
先日ようやく本棚を整理しました。やはり本棚を整理すべきという記事を書いた手前、まずは自分から本棚を整理した次第。
まずは読まなくなったビジネスや仕事術系の本を捨てた。
経済や未来予想関係の本とか、
健康や睡眠に関する本とか、
その時はすごく読みたいと思った本など
今読んでもワクワクしない本を捨てたら大分スッキリした。
それでも残っている本といえば、
大学時代の教授が書いた本であったり、
タイトルが自分の戒めになる本だったり、
前の職場で上司から頂いた本だとか、
少なからず思い入れのある本である。
昔はスペースを省略するために文庫本ばかり揃えていましたが、最近は四六判の単行本が並んでいるとなんか文豪っぽくて悦に入る。
特に新潮社のクレスト・ブックスの本が増えると、勝手に満足感を得る。誰に見せるわけでもないのに。
本棚はこれまで何度か整理しているが、何年経っても残る本がある。
読書のきっかけになった細田守さんの「サマーウォーズ」角川文庫しかり、高校時代に読み漁ったジュール・ヴェルヌの作品しかり、背表紙が焼けて色落ちした本が沢山ある。
そんな中、自分の本棚で最古参は、
小学校の頃に買ってもらった竹田津実さんの「子ぎつねヘレンがのこしたもの」偕成社 (2005) である。
今から約16年前、家族と一緒に観た映画「子ぎつねヘレン」で大号泣したうら若き川口少年は、夏休みの読書感想文の題材にするんだと買ってもらった。
(そして、ノンフィクションを読んだことがない川口少年は、内容を全く理解できず大した感想文を書けなかった)。
その時はまさか(自称)読書家になるとも、そもそもおとなになるなんて想像もつかなかった(今でも大人になった気はしない)。
きっと、本の価値は中に書かれた情報だけではないはずだ。
内容が良かったからではなく、思い出のものとして残っている。
表紙を見ただけでも、過去の思い出が思い起こされる本がある。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」のマドレーヌの喩えだと月並みになってしまうが、そんな昔を思い起こすような思い入れの本が本棚にあるのは、とても素敵なことだと思う。
多分、電子書籍の表紙では思い起こされないと思う。
当時買った、そのものがあるからこそ、記憶として思い起こされる気がする。
みんなにとって手放すことのできない本は何であろうか。それはきっと、素敵な記憶のある本なのかな。それではまた次回!
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