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理系式の読了

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

仕事終わりは会社の図書スペースに入り浸る。職場と違って雰囲気が全く異なるから、会社にいるという感覚がなくNoteを書いたり、本を読んだりできる。

先日、いつものように本を読んでいたら、おそらく会社で人を束ねることに携わっている方が話しているのが聞こえた。

「俺にとって通勤時間はノイズでしかない」

通勤時間という時間や体力を無駄にすることを排除することで、仕事により集中できるということだろう。

私は通勤時間も読書に充てるため、少なくとも時間を無駄にしてはいない…と思う。

それはともかく、無駄を排除するという意味で、本は最初から最後まで読まなくてもいいという考え方がある。

私はどうもその考え方が苦手で、ビジネス書でも自己啓発本でも、最初から最後まで読みたくなってしまう。

だが、それではどうしても読む本に限りが生じてしまう。人によっては1日1冊ペースで本が読めるというが、一体どうやってそんな事ができるんだろうと甚だ疑問であった。

そこで手に取ったのが、犬塚壮志さんの「理系読書」ダイヤモンド社 (2020)。前から気になっていたため、会社の図書館で借りて読んだ次第。

理系出身の方は、データや理論だらけの難しい本をいかにして読んでいるか、文系とは違う視点で読書法を記す。

犬塚さんも、本は最初から最後まで読む必要はないという。なぜなら本は課題を解決するための資料という位置づけだからだ。

「問題解決に必要な情報を得られた瞬間」を読了と定義しています。

同著 27頁より抜粋

自分が今必要としている情報が入手できれば、その本を読んだ価値は既に果たしたと言える。だとすれば、わざわざ最初から最後まで読まずとも、それこそ15分程度で読了することは可能である。

たしかに、大学生の頃に書いた卒業論文、資料や文献をわざわざ頭から読まず、必要な情報や数式だけをメモっては次の本に移っていった。それでもこの文献を読んだと、引用元に並んでいる。

なるほど、今まで1日1冊読むことに対して、全ページを1日で読み切ると想定していたが、自分の持っている課題を解決すれば、その本は読了した(役目を果たした)と言っても過言ではないのだ。

つまり、本を読むためには課題意識が必要ということだ。自分に何が足りていないかを考えた上で、その穴を埋めるような本を読む。土を盛るよりも、穴を埋めるほうが容易いように。

そうなると、私の課題はなんだろう。もっと自分の考えていることを言語化したいし、ライターとして良い記事を書けるようになりたい。

でも、それぐらい広い悩みだと、すべての情報が自分にとって良いものだと思ってしまう。それ故に、悩みをもっと細分化したほうが良さそうだ。

問題提起から仮説を立てて、実験する。検証後は評価する。実験のコツは、小さく、早く、試し打つことだという。

つまるところ、本を読んだら実践しなければならないのだ。その本が自分の価値を高めたか、成果や売上などの数字に落とし込むことが大事だという。

どうせなら、会社で貸し出している本すべて「読了」してやろうか。その暁には、もう自称読書家ではなくなってしまっているかもしれない。それではまた次回!

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