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世界はSF(すこし・ふしぎ)だらけ

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日は澤口書店 神保町店にて、藤子不二雄さんの大長編ドラえもん「のび太の恐竜」と「のび太の宇宙開拓史」(小学館)を購入したり。

川口家にあったドラえもんの長編映画のビデオ(VHS)が、この2本だったのもあって、幼き川口少年は何度も見ていたことを思い出す。

この頃のドラえもんの映画は、武田鉄矢さんが作詞した曲が多くて、大人になった今だからこそ刺さるものがある。「心をゆらして」や「少年期」、「私のなかの銀河」とか、今聞くと泣いちゃう。

あと個人的には「のび太の銀河超特急」や「のび太の宇宙漂流記」も良き。大人になっても観ても、ドラえもんの映画って面白いのよね。

それはさておき、この世界には藤子不二雄さんの言葉を借りれば、SF(すこし・ふしぎ)で溢れている。

もともとSF(すこし・ふしぎ)という言葉を知ったのは、辻村深月さんの「凍りのくじら」(講談社)。どんな暗闇でも生きていけるような、「テキオー灯」を照らしてくれる人はいるんだなって。

ただ、すこしふしぎならまだしも、世の中にはまだまだ分からないことばかりである。

会社の図書スペースで借りたエドワード・ブルック=ヒッチングの「世界をまどわせた地図」日経ナショナル・ジオグラフィック社では、人間が作り出した虚構とも言える島や大地について言及している。

もっとも、今みたいにGPS機能が使われるようになったのが1993年、Googleマップがリリースされたのは2005年。

衛生写真どころかカメラ自体ない時代。世界を知る方法は、数少ない航海日誌などの記録のみ。その情報だけで地図を作ろうとしたのだから、重複や蜃気楼による見間違いもある。

それならまだ可愛いものであるが、時には大ホラ話や詐欺行為を働いた人物もいたらしい。資源が潤沢にある島の利権を破格の値段で売りさばき、実際に行ったらただのジャングルだったなど(ポヤイス国)。

それに、16世紀の船乗りたちは、大波を起こす「プリスター」や200フィート以上もある「オオウミヘビ」、アザラシを食べる「ゼフィアス」などの生物がいると信じられていた(カルタ・マリナの海の怪物たち)。

もちろん現在では、そんな尾田栄一郎さんの「ONE PIECE」の海王類のような巨大生物は存在しないと言われている。

しかし、世界にはまだまだ判明していないことも多い。

以前 上野は国立科学博物館の「大哺乳類展3」の影響で紐解いた、田島木綿子さんの「海獣学者、クジラを解剖する。」山と渓谷社を読んだ際のこと。

日本だと年間300体ほどのくじらのストランディング(座礁)しているにも関わらず、その根本的な原因は解明していないらしい。

哺乳類であるくじらは人間と同じく、老衰で亡くなることもあれば、病原体・ウイルスに犯される、糖尿病などの機能障害を患うことも。

けれども、海で暮らす巨大なくじらを、常に観察することはできず、座礁したタイミングでないと調査ができない。

だからこそデータを取る ≒ 解剖する必要があるのだが、作業自体も困難であり、なかなか全てに対応することは難しいそうで。

話が飛躍してしまったけれども、とにかく、この世界にはまだまだ知らないことで満ちている。そして、それこそが重要なのである。

好きな作家の一人であるジュール・ヴェルヌの「地底旅行」のセリフにもあったのだが、科学というものは誤りばかりなのである。

科学というものは誤りだらけなのだ。だが誤りを犯すことはよいことだ。そのおかげで少しずつ真実に近づくことができるのだからな。

「地底旅行」岩波文庫 (1864/1997)より

地図の話で言うのならば、最初は虚構だったかもしれない。

存在しない島を存在すると言い張り、それで名声などを得た人が実在したのは事実である。

でも、そのおかげでまた一歩、真実に近づいたのは事実。それを確かめようとする人が現れ、真偽が明らかになり、また正しいことが判明する。

巨大生物が存在しないのは、まだ見つかっていないからであり、人類未踏の地に行けば、実は存在するかもしれない。

ドラえもんのSF(すこし・ふしぎ)な物語には、そういう気持ちも湧かせてくれる。だから子どもから大人まで楽しめるのではなかろうか。それではまた次回!

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