読書記録「火花」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、又吉直樹さんの「火花」文藝春秋(2015)です!
・あらすじ
熱海 花火目当てに道行く人々は、舞台の上で必死にネタを披露する芸人など目もくれなかった。
売れない芸人"スパークス"の徳永は、他の事務所の芸人"あほんだら"の神谷と出会う。
お笑いに対して独特な感性を持つ神谷。自分が面白いと思うをも正直に貫き通す姿に徳永は憧れ、出会ったその日に師弟関係を結ぶ。
だが芸人というものは笑わせてなんぼの世界。自分にとって面白いと思うものが、必ずしもお客さんが面白いとは限らない。
お客さんに受け入れようと、自分を殺してでも"ウケる"ネタを作る徳永
裏表なく自分が面白いと思うネタを純粋に体現する神谷
二人の出会いから芸人としての成長、そして「人を笑わせる仕事をする者」の宿命を芸人 又吉直樹が記す。
この作品を読んでいてどうもしっくり来なかったことがある。
それは徳永が神谷に弟子入りしたにもかかわらず、全然師匠の真似をしないことにあった。
本来師弟関係と言えば、師匠の考え方や行動を真似して、弟子は師匠の型を守り続けることだと思う(芸人の師弟関係がどういうものかわからないが)。
だが読み終えて感じたのは、徳永は神谷の"在り方"自体に憧れたのではないかと思った。
そこには、"笑い"に対する価値観が全く異なっているのだと私は考える。
「笑わせる」と「笑われる」は、似て非なるものである。
芸人の方々は舞台で人前に立ち、好奇な目で見るお客さんに対して何時間も考え抜いたネタを披露する。
自分が意図したポイントで笑ってくれれば本望であろう。
だが一方で本人の意図とは全く関係のないところで笑われることもある。
営業の仕事術系の本とかに、理詰めや説明を並び立てるのではなく、時折笑いを入れるべきだと奨める。
私も読書会で一種の笑いどころを用意するのだが、自分にとって面白いと思うことと、聞いた相手が笑うことは全く別であり、難しい。
ならばいっそのこと笑われたほうがマシかも知れないか。けれども、ほとんどの人は笑われることを嫌う。
笑われることは、バカにされている、人とは異なるように見られているのではないかと思ってしまう。
だから芸人や我々は相手が面白いと思えるようなことをネタにする。
すると神谷さんの言う"偽りのない純粋な人間"ではないのかもしれない。
「笑わせる」ことは技術がいる。
ネタ作りや会話の間、漫才ならば二人の掛け合いなどであろう。
「笑われる」とは存在そのものだろうか。
人に変な目で見られても、後ろ指を指されても、ネットで批判されても、自分が面白いと思うことを必死に披露する。
それは勇気がいる。
だから"憧れる"存在なのかもしれない。
そこに徳永は憧れ、少しでも真似しようと弟子入りしたのではないか。行動ではなく、価値観を共有するために。
ぜひこの本を読んだ方の感想を伺いたい。それではまた次回!
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