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ハインラインとシュレディンガーの猫


「猫」が登場するハインライン作品といえば、やはり『夏への扉』を挙げるひとが多いのではないでしょうか。
なかには“猫小説”として紹介しているブログ等もあるようですから。

見解の相違で、わたしは『夏への扉』を“猫小説”と呼ぶことには賛成しませんが、『夏への扉』という作品が、ハインラインの飼い猫にちなんで執筆されたのは事実であるようです。

猫が登場するハインライン作品は他にも複数あります。
『ウロボロス・サークル』原題『The Cat Who Walks Through Walls』には、『夏への扉』のピートに次いで印象的な猫が出てきます。
“シュレディンガーの猫”について断片的にでも知識があれば、このタイトルが意味するところについて「ん?」と思うと思うのですが、いかがでしょうか?

『ウロボロス・サークル』に登場する猫はピクセル。
ピクセルはオレンジ色の毛並みの仔猫で、閉めきった部屋の中へもどこからともなく現れるし、出口のない部屋からも、いつのまにかいなくなるという「壁抜けが出来てしまう」猫だったりします。
「箱を開ける開けない」が問題になるんじゃなくて、「勝手に箱を出入りする猫」なんですよね。
“シュレディンガーの猫”について書かれた小難しい説明のどこにも、そんな猫のことは載っていませんが、その件についてはわたしに突っ込まないでください。

『夏への扉』のピートが主人公の相棒的存在の猫だったのに対し、ピクセルは、飼い猫であって飼い猫でない感じ?
つまり、人間たちが可愛がって世話を焼いたり、ごはんをあげたりする場面では飼い猫あつかいなのですが、当のピクセルは完全に自由な猫なのです。
ピクセルは勝手に部屋からいなくなり、勝手気ままにどこへでも現れるのです。
そして、ピクセルがどうやって「そこ」に現れるのかは、誰にもわかりません。

おそらくここだけを読んだら、『ウロボロス・サークル』は“シュレディンガーの猫”が主人公の物語か、少なくとも猫がメインのおはなしだと思うかもしれませんが、まったくそんなことはありませんから(念のため)
わたし的には、最初から常人でないのが明らかなヒロインこそが、「扉や壁を通り抜けてしまう猫」っぽい人物として描かれているように思われます。
じつはこのヒロイン、別の名前で他の作品にも重要な人物として登場している女性なのです。

もちろん彼女の秘密の経歴や行動には、ちゃんと理由や目的があって、その部分は途中で解明されます。
が、そうした部分は主人公(と読者)には、なかなかわからない仕掛けになっているのです。
なので主人公(と読者)は、ヒロインの大胆不敵で普通でない言動に、そこかしこで驚き、頭を悩ませることになるのです。

ことさらミステリータッチというわけじゃないのですが、ヒロインがそんなふうなので、この作品からは、ミステリのテイストを少なからず感じます。
物語の冒頭も、主人公の目の前で見知らぬ男が何者かに射殺されるなど、かなりミステリっぽく始まります。
ヒロインも、最初からミステリアスな部分が多い人物として描かれ、主人公(と読者)は、何が何だかわからないうちに事件に巻き込まれてゆくことになるのですが、そういう場面でこそ彼女はとても頼りになる女性なのです。


『ウロボロス・サークル』は『夏への扉』ほど単純明快な物語ではないので、昨今の「とにかくわかりやすい」タイプの作品が好きなひとには、あまり向かないかもしれません。
長さも『夏への扉』の1.5倍くらいあるし、さらに言うと、『ウロボロス・サークル』は『月は無慈悲な夜の女王』の続編に位置する物語になります。
作品の系統もそうなら、単純なハッピーエンドでない終わり方も、そちら側に分類されるタイプの作品です。

といっても、『月は無慈悲な夜の女王』からは、ずいぶん後の世界が舞台なので、登場人物も設定もまったく異なります。
『ウロボロス・サークル』には『愛に時間を』や『獣の数字』のメンバーが登場して、途中からそちらの世界と融合することになります。
そこでようやくヒロインの数々の謎が明らかにされてくる仕掛けになっているのですが、これには理由があります。

矢野徹氏だったと思うのですが、氏は訳者あとがきで、晩年のハインライン長編には、「彼が死を予感していることが感じられる」と書いています。
また、ハインラインが影響を受けてきた愛着のある作品のすべてを、自分が生きてきた実際の世界としてまとめあげたものが〈未来史〉だとも。
こうした部分は、それを感じるところまで読みこまないとわからない部分もあれば、読み手の読解力や年齢などにも左右されるようです。

わたしは最近になってようやく、そうした部分まで感じられる境地か、その年齢になってきたように思うのです。

たとえるならば、それまで表面的にしか見ていなかった人物を、以前よりも親しく、よく知るようになって、言葉以外の部分でも真意がわかるようになるのとちょっと似た感じでしょうか?

ハインラインには〈未来史〉を完成させる目的もあったと思われますが、他の作品との融合は、彼の作品をここまで読んできたファンにとっては、「物語としての必然性」があって全てがつながり、そうあるべき歴史として刻まれてゆくようにも思えるのです。


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