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人間の利己心が人類を進化させる原動力になったのかもしれない。


ハインラインの『メトセラの子ら』は、4000年を生きるとされる長命族“ハワード・ファミリー”の地球脱出と、その後を描いた物語です。
主人公は、のちに最長老と呼ばれることになる「ラザルス・ロング」ことウッドロウ・ウィルソン・スミス。
これは、まだ若かりし頃(213歳だけど)のラザルスの活躍をとおして、ハインラインが人間の利己心と、それが人類にもたらしただろう影響について真正面から向き合った初期の作品です。


“メトセラ”こと“ハワード・ファミリー”の人々は、長命族の存在と秘密を明かすリスクを軽視した結果、かれらが「独占している長生きの秘密」を切望する大多数の短命種族によって狩られることになってしまいます。
しかし、かれらの長生きの理由は秘密でも何でもなく、ひとことで言えば遺伝にありました。
長い年月をかけて、ピックアップした長生きの家系の子孫同士による婚姻をくり返すことで、その遺伝子を強化してきただけなのです。

「かつて、肌の色がちがうという理由で、黒人にあたえられない特権を白人が享受していたあいだ、黒人は白人を憎み、ねたみつづけました。これは自然で正常な反応でした。差別がとりはらわれたとき、問題はおのずから解決し、文明の同化が始まりました。
短命人種が長命人種をねたむのは、それと似ています。
だから、われわれの特性は、われわれの遺伝子に負っている‥‥われわれの罪でも徳でもなく、ただ祖先の運がよかったからだということが、いったん明らかにされてしまえば、さきほどいった予想されうる反応も、大多数の人々にあっては、なんら社会的な重要性を持つことにはならないだろう、とわれわれは思っていたのです。
この考えは、単に、希望的観測にしかすぎませんでした」

©️R・A・ハインライン著『メトセラの子ら』より引用

大多数の人々はかれらの主張を信用しようとせず、ハワードの人々が自分たちだけで不老不死の秘密を独占しているかのごとく思いこみ、許せなく感じていました。
とらわれた長命種族は、ありもしない秘密を白状するか、かれらを妬む短命種族に殺されるか、いっそ全員で地球から出てゆくかという絶望的な選択を迫られることになります。

その時点で齢200歳を超える長命だったラザルスは、誰もがお互いの家系を通じて知り合いであるはずの長命種族のなかにあっても、誰にも素性を知られていませんでした。
長く地球を離れていたため、じつはこの時代のどんなリストにも彼の名前は載っていないのです。
それに加えて用心ぷかい性質の彼は、「シェフィールド船長」という商売用の別名を使って地球にもどっていたため、その名前から彼の正体を突きとめることも不可能でした。
そんなラザルスだったからこそ、単身でとらわれた十万人もの仲間たちの救出に成功してのけ、皆を率いて宇宙へと旅立ち、後のハワード・ファミリーが進むべき道筋をつくることが可能だったのです。

ハワードの地球脱出計画には、短命種族である行政のトップと、長命種族の実質的なトップによる内密の協力関係も寄与しましたが、実行役としての役割を引き受けたラザルスの才覚がなければ、計画は途中で破綻していた可能性のほうがはるかに高かったのです。
のちにラザルスが最長老と呼ばれることになるいちばんの理由は、彼がただ長生きしているだけではなく、ありとあらゆる困難な事態からも無事に逃げのびる才覚があり、誰よりも長く生き残っていることでそれを証明していたからでした。
彼の長生きの秘訣は、長命種族かどうかとは無関係に、彼自身の用心深さや用意周到さも多大に関係していることは間違いなさそうです。


スマホの使用履歴とマイナンバーで、ありとあらゆる個人情報を否応なく収集され、企業や政府に管理されることをわたしが警戒するいちばんの理由は、こういう物語をたくさん読んできた影響だと思います。
何をするにも身分証が必要となるような社会にあっては、至るところで自動的にデータを収集されて分類され、リストアップされることはほぼ回避不能です。
利便性と引き換えに、無自覚なまま第三者による個人情報の取得や管理を許してしまうと、もし誰かがそれを悪用したらどうなるか、想像してみたことはありますか?
きちんと税金を納めて、それまで何の問題も起こしていない良き市民であっても、もしも情報を握った誰かが利己心から「そうすべきだ」と決定すれば、問答無用ですべてを取り上げられて拘束されるような事態に陥ることだってあるのです。
この物語でも実際そうなりました。

誰もが等しく若いまま生きつづけられる秘密があるなら、ひと握りの人間たちが独占すべきではない。どんな手段を使っても白状させ、手に入れるべきだ。その秘密が大多数の人々の手には入らないものなら、そんな連中はいっそ殺してしまえ!
もしも為政者が利己心からそんなふうに考え、同じように考える人々を焚きつけていたなら、長命人種たちは、最初の失敗で全滅の憂き目をみていたかもしれないのです。


この作品が発表された1941年は、欧米でまだ大っぴらに人種差別がおこなわれていた時代です。
冒頭で引用したこの作品の登場人物の言葉から察するところ、ハインラインの予測では、「人種差別問題はいずれ解決する。しかし、それに代わるべつの差別が依然として存在しているだろう‥‥」おそらく彼はそのように考えていたと推測できます。
つまり、権力をもった為政者やひと握りの特権階級が、「長生きの秘密」をもつ人々の存在を知り、その秘密を手に入れたいと望んだらどんなことが起きるのか‥‥ハインラインはこの作品のなかでシミュレーションしてみせてくれたのです。

ハインライン作品の面白いところは、大多数の人類よりも長生きする「長命人種」を設定する際に、読者がちゃんと納得できるような理屈や仕組みまで用意してくれているところです。

SFとは予測の文学だ。この宇宙で、将来こういうことが可能であり、おこるのではなかろうかということを、単なる幻想としてでなく書くことだ。
SFがときに逃避文学といわれたのは、ファンタジーと混同されるからだ。SFとファンタジーは、カール・マルクスとグルーチョ・マルクスぐらい違う。ファンタジーは、現実の世界をある程度否定して、嘘の要素を認めている。だが、SFはその内容がいかに幻想的であっても、現実の世界についての人類全般の知識を、小説的な予測の骨組みとしている。

昭和32年12月、来日していたハインラインが江戸川乱歩や矢野徹(訳者)の前で語った言葉『メトセラの子ら』あとがきより引用。

〈補足〉カール・マルクスは『資本論』を書き、科学的社会主義を打ち立てた思想家で経済学者。グルーチョ・マルクスはアメリカの俳優でコメディアン。

『夏への扉』でも、ハインラインは彼自身の予測を活かして、彼にしかできないやり方でコールド・スリープを描写しています。
映画の小道具のような、いかにもSFらしい冷凍睡眠ポッドの形状やスリープの仕組みに、ハインラインは文字数を費やしたりはしません。
彼は「冷凍睡眠を扱うことになるのはおそらく保険会社だろう」という論理的な予測でもって物語を展開してゆくのです。
彼の考えでは、主人公が長期間の冷凍睡眠に置かれている間も資産は運用されておくべきで、そうしておかなければ、何十年後かに目覚めたときには家も財産も失ってしまっていることは確実だからです。
じっさい主人公は、別の人間の策略によって一度はすべてを失って目覚めることになるのですが、そこから逆襲に討ってでるのがハインラインお得意の展開であり、『夏への扉』の見どころになっています。

ファンタジー世界でなら、無一文で目覚めてもどうにかなるかもしれませんが、サイエンス・フィクションの世界では、そこをいい加減にしてしまうとすべてが嘘っぽく、リアリティも説得力も感じられなくなってしまいます。
ハインラインはフィクションの世界や主人公にさえ、途方もないリアリティと説得力を持たせるのがじつに巧みな、卓越したSF作家でした。
加えて、彼は人間の行動の原動力となる利己心の描き方も絶妙でした。

がしかし、仮に利己心が人類の進化の過程でおおいに役立ってきたのだとしても、それはあくまでも「人類という種族の進化」というレベルにおいての話です。
昨今よく見かけるような、自分たちの地位や権力に固執する政治家や企業のトップが、欲望のままむき出しにする利己心とはわけが違います。
おのれの立場や権力、影響力を維持するのが目的で行使される利己心の多くは、誰もが知っているとおり、百害あって一利なしです。
ハインライン作品を読むうちに、政治について、わたしが自分の考えを持つようになった理由は、どうやらこのあたりに答えがありそうです。


これはわたしの個人的な意見ですが、ラザルス・ロングというキャラクターは、ハインライン自身の性格や考え方を体現している部分が多いように感じられる、とても魅力的なキャラクターです。

ラザルスは『夏への扉』の主人公ほど子供っぽくはないし、ヒロインらしいヒロインは登場せず、ロマンティックな展開もありませんが、この作品には21世紀のいま読んでもおもしろいSF冒険活劇的な要素なら目一杯つまっています。
『メトセラの子ら』は、『夏への扉』ファンにもおすすめしたい作品です。

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