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奴隷は自分から解放されたいと望まないかぎり自由にはなれない。



これは奴隷解放の物語であり、父と息子の関係にスポットを当てた物語です。

『銀河市民』はハインラインのジュヴナイル作品のひとつです。
物語は主人公ソービー少年が奴隷として競売にかけられるところから始まります。
彼を競り落としたのは、片足で隻眼の老乞食バスリムでした。

【おことわり】

「乞食」という言葉は差別用語とされているので、本来は「職業的な托鉢業」とでも言い変える必要があるのですが、物語の雰囲気やイメージが大幅に損なわれるのでそのまま使用しています。


『銀河市民』は、小説好きの小中学生が夢中になって読んでしまうたぐいの物語です。
わたしもこの本をはじめて手にした時には、睡眠時間をけずって一気に読んでしまったのを覚えています。

またこの作品は、主人公に感情移入するだけでなく、父親目線で読んでしまうという意見も聞かれるようです。
子どもは子どもなりに、おとなもおとなでおもしろく読めるのが、ハインライン作品の真骨頂なんですよね。

この作品の冒頭のシーンは、わたしはアニメあたりから仕入れた知識から想像しつつ読みました。
だって奴隷の競売なんて、そんなものマンガかアニメでしか見たことないですから。

でも、黒人差別や白人による奴隷使役の長い歴史がある欧米では、少し事情が異なると思うのです。
おそらく欧米の子供たちは、奴隷や人身売買などについても、学校の授業で、その年齢やレベルに合わせて、段階をふんで実際に学んでいると思われます。

わたしは欧米の小中学生だったことはないので想像ですが、こうしたテーマで、討論会やスピーチを授業の一環としておこなったりしているようだと小耳にはさんだことがあります。
日本だと大学生か、最低でも高校生が対象の重いテーマですが、そのくらい身近な問題なのでしょう。
それ以外にも、祖父母の実体験や民族レベルでの記憶の伝承、現在進行形の大人たちの偏見や差別的意見などにさらされながら、自分なりの考えを持つようになる子供たちもいるはずです。

アメリカの作家であるハインラインは、おそらくそんな子供たちに向けてこの物語を書いたのかもしれませんね。


学校の授業では教わらず、マンガやアニメによって重いテーマと向き合うことの多い日本人だって、成長すればそれなりにおとなの視点をもつようになります。
つまり、子供ならワーッと勢いのまま難解な部分は読みとばしてしまうような場面でも、おとなは逆にそこが気になったりするし、「そもそもなんで乞食が奴隷を買ったりするんだろう?」と、疑問に思ったりもするわけです。

主人公の活躍や運命はそれとして楽しみながら、バスリムのことも「この乞食は何者なんだ?」と正体を推測しながら読むことになります。

そうすると、バスリムがただの乞食どころか、ごく一般的な普通の人間ですらないことに大人はたちまち気づきます。
子供の読者が主人公と一緒にバスリムの秘密を知る頃には、大人は、彼の目的や役割などをあれこれ推測するようになっているわけです。

そのあたりまできて、ようやくこの言葉が意味を持ってくるのです。


「ソービー、あなたの養父ーー最初の養父〈賢者のバスリム〉ーーはあなたを奴隷として買いとり、あなたを養子にして自分と同じような自由な身分にしました。今、あなたの二人目の養父は最良の手段だと考えてあなたを養子にして、そしてあなたを奴隷にしてしまったのです」

ロバート・A・ハインライン『銀河市民』より引用


※作中でマーガレット・メーダー博士【人類学者】が主人公に言った言葉です。


バスリムのもとで奴隷から自由な乞食となっていたソービーは、二番目の養父クラウサのもとでは、星間貿易で稼ぐ自由商人というリッチで貴族的なファミリーの一員となりました。
そこでの生活に満足していた主人公は、そこで思いがけず博士にそんな指摘をされることになるのです。


宇宙船のなかにいても、自由商人の子供たちは学校へ行っているのと大差ないほどの勉強をさせられていました。
船内での仕事を割り当てられる年齢になれば、カリキュラムに沿った指導や教育で熟練者となるよう育てられます。
ほかにも言葉遣いからテーブルマナー、礼儀作法まで徹底的に教えこまれるのです。
競争し、互いに高め合い、認め合うことで、ファミリーの仲間たちとの結束は深まります。
はたして、その生活のどこが奴隷なのか、ソービーにはわかりませんでした。
そのくらい彼は以前の生活よりも、ファミリーの一員としての今の生活にすっかり満足していたからです。
それゆえに、彼はそこから出て行かなければならない時がきても、みんなのそばから離れがたくて迷いに迷うのです。

が、それでも彼は最後には「父ちゃん」と呼んでいたバスリムの言葉を、彼との約束を思いだします。
そして自分で考えて考えて…最後にはバスリムとの約束を果たさなければならないという結論に至るのです。
これは奴隷の考え方ではありません。
なぜなら奴隷には、本当の意味での選択権はないからです。

では、いったい奴隷とは何か?
どのような状態にある者をそう呼ぶのか?
ごく幼いうちから当たり前に奴隷として育った無知な少年に、人間はどうあるべきか、そして、自由なひとりの人間として生きるために必要な知識を教えこんだバスリムという人物の目的とは何だったのか?
夢中で読んでいるうちに(えっ?こんな終わり方なの?)という予想を裏切るラストが待っているんですよね。

単なる父と息子の物語ならこれもアリですが、それにしてはテーマが重すぎるし、もっとバスリムについても語ってほしかったのですが、作者が故意にこういうまとめ方を選んだのか、その辺りは作品を読んで各自で判断してみてください。
個人的にはもうちょい先まで書いてほしかったです。


余談ですが、自由商人たちの【父系制家族による女族長制】というシステムが少々難解で、大抵の子供はそこはすっ飛ばす気がします(わたしも最初に読んだ時はそうでした)
が、おとなになってその部分を読みかえすと、よくここまで考えるものだと逆に感心させられるんですよね。

この本については、書きたいことがありすぎてあまりに長くなってしまうので、それを削って削って…物語の説明ぐらいにとどめたら、やっとこの文字数におさまりました。

長さは文庫本の厚みからみてもそこそこあるので、長編の部類に入ります。
物語の背景を説明しつつ、自分の考えまで入れるとなると、ほとんど何かの論文か、とんでもない大長編作品ができあがってしまうのです。

なのでこの作品については、いつかまた機会があれば、ここでは書けなかった部分をメインにした完全版を仕上げられたらいいなと考えています。
5000字〜7,000字ぐらいで?……誰も読まないだろうけど(笑)

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