1990年8月 研修の名のもとにソ連・モスクワと各地 09(終)
【まとめ】帰国直前のハバロフスクでの一部始終と帰路。観光と食べ歩き?
(ここについてはメモや写真が殆ど残ってなかったのだが、帰って間もなく旅行記の公募用に原稿を書いていて、元原稿と案外明瞭な記憶が残っていたので、それを元に辿った。※前回の記録に記憶違いがあったので日付も重複します)
8月26日(日) ハバロフスク
14:00 到着後昼食。
見た目よろしくスモークサーモンの並ぶ大皿があってテンション上がるが、一口食べて、あまりのしょっぱさに血圧上がる。
食後、市内観光で自由市場に寄ると聞いて歓声が上がる。
ルーブルは(建て前上)国外持ち出し禁止とのことで、ここで使い切るしかなるめえ、もう、贅沢の限りを尽くそう、と皆で誓い合う。
ガイドのИくんГくんに案内されて戦勝記念碑、街の中心部など見て歩く。
その後バスで自由市場に移動。
大きな体育館のような建物と、その周りに無数の出店が軒を連ね、祭りのごとくにぎわっている。
添乗員さんお勧めのアイスクリームをさがす。特に人気のある店には行列ができている。
アイスクリーム屋といっても、しぼり出しの機械と大バケツと人が一人か二人だけの、店とも呼びかねる代物だが、そのほとんどに十人前後の列ができている。
その中でも、少しでも短そうなのを選んだが、あとひとり、と言う時突然、機械がガラガラと大きな音を立ててアイスが終わってしまった。
アイス屋のおばちゃんたちは、威勢よく撤収をはじめ、後ろの人たちもすぐに他のアイス屋探しに散っていく。みな潔し。
前方に、ツアー仲間の一人がアイスを食べているのをみつけた。
どこで買ったか訊くため駆け寄ってみたら、コーンに乗ったくすんだオレンジ色のかたまりを見せてくれた。シャーベットだとのこと。でもやっぱり売り切れたって。ちゃっかり一口味見をさせてもらった。かすかな香り、あんずシャーベットらしい。
出口に近いあたりに、東洋人らしいおばちゃんたちがかたまっている。近づくと、驚いたことにちょっぴり東北なまりの日本語で
「ほらほら、これおいしいから買っていってねー。どれもおいしいよ、手作り。1袋2ルーブルだよー」
と声を掛けてきた。
台の上には、色んな種類の美味そうなキムチがぎっしりと並んでいて、ただよう匂いが胃袋を刺激する。
かすかななまりのおばちゃんたちと話をしたら、なんと
「アタシたち、朝鮮から来てここに住んでんのよ。戦争の時ね、ニッポンの国だったからね、朝鮮は。それで日本語話せるのよ」と。
ツアーメンバーでロシア語とハングル語ができる人が混ざり、何かと話に花が咲いた。
そんな国際交流?のさなか、meはと言えば横目でキムチの品定め。どれ美味しいんだろ、日本持ち帰りは無理か? でも試したい……
財布を出した時、目の前のおばちゃんのひとりが「アンタに、あげるよ」とニンジンのキムチ漬けが入った小さなプラ袋を下さった。それを手元にある古びたロシア語の本を一ページ破り、器用に袋を包んでくれる。お代はいいよ、って。あまりに申し訳なし、と思ったところに、おばちゃんは下を向いて、少し考えてからおずおずと「ガム持ってるかね」と訊ねて来た。孫が喜ぶんで……と。ごめーん封開けたのしかないけど、と差し出すと、押し頂いて喜んでくださった。
後で他で聞いたら、移住させられた後、敗戦で置き去りにされた、と。
おばちゃんのひとりは、お孫さんがウラジオストックで、日本人観光客のガイドと通訳をやってるんだ、と言ってた。
自由市場の裏手にラーメン屋ありとの情報が入り、数名で急行する。
建物の裏の広場に、小さなプレハブ形式の小屋がたっており、屋根には
「サッポロラーメン」と、よれよれのカタカナで看板が出ている。
ここでも行列。バスの時間が迫るので残念ながら諦める。
お客は大半が地元の人たちらしい。と、店の中から満足げな顔の日本人が二人出てきた。やはりツアーメンバーの女子大生EちゃんТちゃん組だった。メニューはみそ、しお、しょうゆのみ。メンは多少のび気味で、スープはインスタントくさい。ハシも置いてあるが、大半の人はフォークでスパゲティみたいに食べている。との報告を聴いて、とりあえず満足する。
値段は記憶なし、ロシア人からすればぜいたくな食事の部類に入るくらいだったか。
バスに乗る直前、赤い、指の先ほどの大きさの木の実を山と積んであるのが目に入った。なんとかベリーといった感じの柔らかそうな実で、いかにもおいしそうだった。おじさんが、紙を円すいに丸めたおおざっぱな容器の中に、大きな手で何杯も実をすくい入れてくれた。1.50ルーブル。
枯れ枝や葉っぱを払いながら、さっそく一つ、口に入れたが、ヘルシーとも言える酸味だった。いや、酸っぱすぎた。
ホテルに帰る道すがら、他のメンバーに言葉巧みに勧めつつ、なおかつ自身をも欺きながらどうやら山盛りの「謎のベリー」を無事、片付けることができた。
この後、多分アムール川クルーズ。同行したИくん、日本の作家好きです、と。誰が好き?と訊くと「赤川次郎と安部公房」と。
ホテルの夕食でキムチを開ける。幸運なことに、バターで味付けされたライスが出される。ぽそぽそして、ついでにモミガラも少々残っているが、キムチにはもってこい。ご飯に細かいニンジンキムチをまぶして、がばっと口に入れた。辛すぎた。
周りも水だの死ぬだの大騒ぎだったが、ひとりだけ朝鮮半島在住経験ありでハングル語通訳もしてくれたメンバーだけは、旨そうに片っ端から平らげていた。その人も、おばちゃんたちから山ほどキムチもらっていた。
8月27日(月) 晴れ
9:30 起床。寝過ごした!てあわてて荷物をまとめる。
昼まで3時間くらい自由時間あり、散策することに。
後ろから同室のАちゃんに呼び止められる。聞くと、魚介類を扱うでかい店が近くにあるのでカニ缶を買いに行くけど、どお?!とはりきっているので、よっしゃ!とついて行く。
大通りで魚介専門店を見つけた。弾む心で大きく重い扉を開け、中に入る。暗い、殺風景な店内だがモスクワとは比べものにならないくらい、品数も量も多い。店内は買い物客、特に主婦でごったがえしているが、行列にはなっていない。
魚があふれんばかりに並べられている。ロシア人の金銭感覚で換算してみると1ルーブル250円ほどの価値らしいが日本人には1ルーブル25円程度、1/10の価値しかなくなる。ここから住民目線の価格で表記。
イカの胴(冷凍)がキロ320円、足もおなじく。
タラがキロ220円、ヒラメが120円ほど。くんせいの魚はキロ250~300円くらい。
大きな魚のフライは一切れ300円くらい。
市場のくだものがキロ750~1000円の価値だったから、この町で、魚は大衆向きかも。
ゆでたカニ足も売っている。キロ3.50ルーブル、住民レートで換算して875円、他と比べてやはり高いけど心が動く。でも持って帰れないし、もう食べる時間もないのであきらめる。
カニ缶に目標を絞り、缶詰売場を探す。
缶詰もまた、品数が豊富だった。40~70カペイカ。
売り子さん後ろの棚の少し上の方にこんな絵のついた缶発見。
どうにか「КУКУMАРИА」?と文字が見えたので、急いでメモに名前を控え、個数を6と書いてレジに持って行った。
ここもロシア式販売店だったので、まずレジで名前と数を告げてお金を払いレシートを受け取る、それを今度は売場に渡してシナモノを受け取る、という方法だった。
缶詰1個68カペイカ。4ルーブルくらい。
時間が少しかかったが、でもなんとか買えた!
急いでホテルに戻らねば、時間が!とふたりで買物袋に缶詰め詰め込んで走って帰る。荷物重いけど満足まんぞく。
ようやく、ホテルの部屋にたどり着いて、「安かったねーカニ缶」と袋から出してみたカニ缶、よくよく見ると、絵はカニではなく、皿の上の茶色い丸いフライみたいなかたまりと、そこに添えられた4本のニンジンだった。
遠目からみて、ふたりで勘違いしていたのね。急に缶の押し付け合いになったが、最終的に仲良く半々で分け合う。
(帰国後開けたら、トマトスープの中に野菜の小切れと黒い欠片が浮かんでいた。ククマリアがナマコの一種と知ったのはそれからずいぶん経ってからじゃよ、お若いの)
14:00 出国審査
14:30 離陸 ロシアの地から飛び立つ。
日本の空港に降り立ってまず、うどんをすすった。
だし汁うまし。
最後まで、エキサイティングな旅だった。
(おしまい)
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