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2040年の未来予測

既にベストセラーランキング入りして話題のビジョナリー本、「2040年の未来予測」成毛 眞 著 日経BP発行。
どんなビジネスや職種に携わっていようが、今後の僕たちの仕事の取り組みやそのやり方にとても重要な影響を与える、これから30年の外部環境の激変について、様々なカテゴリに渡って身近なことに絞ってまとめられている。この本だけでなく『シン・ニホン』他、未来を予測する書籍は優れた方々の知見に富んだ内容で多数出ているが、いずれも高い関心を持って読まれていると思う。
僕の関連するということで言えばもちろん自分たち消費者・生活者の暮らしや経済、そして商品やサービス全般、ということになるのだけれど、より直接的に関心を持って読んだのは僕の所属する業界であるモビリティ・自動車・環境・エネルギーといった分野についての未来予測だ。その領域についての考察は後にするとして、書籍全体を通して「全方位にアンテナを張り巡らせる」こと、「何が起こっているかと起こりうる(そう)か」、そして「その結果どんな準備とアクションが必要か」の基礎動作について、改めてリマインドしてもらった感じがある。
筆者が最後のまとめに書かれているが、環境への適応、というのがここから読み取れる知見ではないだろうか。外部環境はもちろん自分で変えることは(基本的には)出来ない。ただしその環境を理解しそしてそこに対して自分がどう変化するかを考えて行動を変えることはできる。この、環境への適応、ということをいち早くかつしっかりと見抜いた上でフレキシブルに対応していく力を養っておけるか、そのことの大切さを教えてくれる本だと思う。

・「データ」〜「情報」〜「知識」そして「アクション」

この書籍で筆者が包括的に届けてくれるコンテンツは様々あるのだけれど、思考プロセスや考え方というフレームワークでも重要な観点がある。
本の中ではいずれも特定市場のシェアや利用率などに代表される数値データ(一次情報や他資料からの転載)などが必ず掲載されている。データから見えてくる数値の周辺で起きている事象を情報としてまとめ、その上でそれをどう読み解くことができるか、知識として自分としてどう考えれば良いかのヒントの提供、さらにはそれを活かしてどんな次なる準備ができそうか、というアクションの示唆まで踏み込んで書かれている。
これは僕が広告代理店で修行していたころに上長からも言われたことがあったのだけれど、raw dataとしての一次情報はそれだけではただのデータで意味を持たない。そこからそのデータを読み解いて情報に加工し、さらにそこから活用することにつなげる知識、に昇華することでアクションを起こすことができる。この流れが書籍の構成や思考の流れとしても通底されているように感じた。
本論のコンテンツの部分とは関連ないが、改めてso what? why so?、という基本に通じる情報の処理方法について気付かされるのと、未来の予測や方向性の把握という事ではこの「データ」〜「情報」〜「知識」の流れの重要性も再確認できたのは収穫だった。

・6G, IoT, 低遅延, 衛星インターネット, 自動運転

書籍で取り上げられたテーマ全ての要約ではなく、ここからはあくまで僕の関心事であるモビリティ関連に関連する事柄についてのみまとめてみたい。まずは通信環境とデータ処理。イーロン・マスクが行おうとしている宇宙軌道上の衛星によるネットなども含めて、6Gもしくはより高次のネットワークが実現するとき、モビリティの環境ではどんなデータを何のために利用しているだろう。もちろんレベル5の完全自動運転、という走行自体の為には完全同期のリアルタイムデータ処理が必須だ。それだけでなく移動体(とりあえず「車」、という概念として)の中での環境やそこで過ごす時間や体験は大きく変化しているはずだ。

出かけるまで見ていたニュースをそのままResumeで見ながら、またVirtualな空間やメタバース的な世界の中にVR的に存在しながら、同僚やチームとの会議を行い、資料づくりをヴァーチャルディスプレイのシェア環境上で一緒に書き込んだり仕上げたりしながら(の移動)・・・。
既に誰もが話して言い尽くされていることではあるけれど、自動車という空間自体がそこでは直前まで過ごしていた部屋の連続、パーソナルな空間をポータブルに持ち運んで空間ごと移動しているような、そんな連続性がもたらさられるはずだ。または現在でも既にこのリモート環境で事足りることがたくさん分かっているのだから、「移動」する、環境を持ち運ぶ、という必要すらなくなっているかもしれない。人と物理的に会ったりどこかリアルな場所へ移動する、というのは全く違う目的のためになっている可能性も十分ある。今後、生活・居住・作業空間としての物理的なモビリティ、ということ以外での自動運転の活用はどんなものになるのか、とてもワクワクするのと同時にどう市場を作っていけるのかが興味深い。

ちなみに忘備録として関連データもメモしておこう。全世界でネット接続している機器端末の数は2020年には500億、2040年には10兆台。一人あたりの機器としたら1,000台の端末機器が常時接続していることになる。自動運転関連では、2040年にレベル3のシステム車が4000万台超、世界の新車の約30%を占め、この頃にはレベル5もようやく実用化していると予測されている。

・周りを取り巻く社会環境と国の財政、暮らしのあり方

このテーマについてはまずデータから頭に入れておく必要があるだろう。
日本の総人口は2019年時点で1億2600万人。既に9年連続で減少し続け、2040年には1億1000万人程度と予測されている。生産年齢人口も減少し、2040年には約6000万。65歳以上の高齢者は約4000万人となり、3人に1人以上が老人となる。

日本の財政状況の健全度を示す政府の債務残高(対GDP比)は2018年時点で237%(!)、IMF調査国188カ国中最下位。支出の多くは医療や介護・年金などの社会保障費で2040年には約200兆円にまで膨れ上がる。出生率はそれほど改善しないという前提で考えると、2040年の現役世代はおよそ1.5人で65歳以上の老人1人を支えるという構図となる。また、その頃の年にはこれら65歳以上の4人に1人は認知症になっているとも言われている。総人口は減少する中、未婚率は上昇し、2045年の75歳以上の未婚者は約250万人になりこれらの介護もままならない。

人口減少は地下の下落と不動産の資産価値低下を招き、特に都市部での空き家の増加につながる。価格が下がる事で不動産を逆に買いやすくまたは借りやすくもなる可能性もあり、定住化ではなく働くスタイルや家族のあり方、季節ごとのライフスタイルなどに合わせて住むエリアや家を変えるなど住み方、暮らし方自体にもっとフレキシビリティがもたらされている可能性も考えられる。

シェアリングエコノミーはどうなっているだろう。そもそも所得が伸びない中での節約需要、消費することやモノを持つという消費行動そのものの価値観への疑問や変化の基本的な流れは止まらないと考えられる。感染症による、公衆衛生に対して与える懸念や不安などの影響、不確定な未来や天災などの自然災害などのインパクトも当然大きいと思われる一方、地球レベルでの環境問題や消費社会や資本主義経済への疑問なども加速し、購買という消費行動が今後大きく伸長するとは考えにくい。日本のシェアリングエコノミー市場規模は2018年時点での1兆9千億程度から2030年には10倍程度の11兆に広がる予測もある。

・購入や申し込みから始まる中長期的なリカーリング(Recurring)ビジネス

これらの環境下で消費財というフィールドにおいてビジネスをどう伸ばしていけるか、という事で個人的にずっと感じている事として既存顧客とのリカーリングビジネスがある。一般的に指摘されている事ではあるが売って終わりではない継続的なサービスとしての提供だ。
例えば自動車産業は定期的な新車販売による飽きさせない繰り返しの需要創造と、販売した後のメンテナンスで収益を上げるというモデルをずっと継続してきている。モビリティのフィールドでも様々な暮らしの変化を考えるとこのようなモデルは残る部分もありつつ、如何にして商品自体をプラットフォームサービス化し、その上で、継続的に提供される付加価値サービスで収益を上げていくプロダクトやサービスへ変化していけるかが必要と思われる。
既にテスラで実施している、定期的なプロダクトパフォーマンスや追加サービスのクロスセルやアップセルによる収益追加は当たり前になっているだろう。モビリティという移動の手段や体験、時間の提供(時間を削減する場合も逆に増やすことも)、というモノではない、空間や時間ということがサービスになった場合、ブランドが成り立っている提供価値はコンテンツ化しているかもしれず、2022年の今からは全く予測もつかないものに変質しているかもしれない。
都市部などでは車両規制があったり速度規制などが一般化し、全ての車両は政府や都市の管制システムで一括管理されてレベル5の自動運転だけの車両が街を走行できる、ということも考えられる。クルマは個人の持ち物ではなく半ば公共財としてシェアされるモノとなっているような場合、そこで競合となっているいくつかのサービスブランドとしてどんなビジネスモデルが考えられうるのかに考えを巡らせることはとても興味深い(現時点では予測できないが)。

・エネルギーと資源、そして電気自動車

モビリティの世界の中だけではなく、カーボンニュートラル政策や地球規模での環境問題への(ようやく、と言ったところではあるにしても)アテンションの高まり、SDGsや社会全体の資源への取り組みなど、現在徐々に始まったこれらのムーブメントはこれから更に未来へ向けて加速し、科学技術や基礎研究の発展による刈取りなどで抜本的な変化が見込まれる。
その中で素人の僕が眺めていても一体どうやってその調達を賄っていけるのだろう、と疑問に感じるのが電気(電源、電池、その資源)の問題だ。

化石燃料依存からの離脱と脱炭素化、太陽光や風力などの再生可能グリーンエナジーによる取り組みなど、ここで生半可な知識による一般的な情報を羅列することに意味はないのだが、2050年にカーボンニュートラルへ持っていく(ガソリン車やHVは一部残るにしても)ために電気自動車の占める比率は非常に高くなっている必要があり、単にモビリティ以外、を考慮してもビルや家庭、IoT(もちろんこのような端末こそ電池だが)その他様々な消費やコンピュータ利用・通信の場でも、今とは比べ物にならないくらいの大量の電気が必要となるのは明らかだ。昨年、トヨタの社長も述べた、一体どうやって電気の供給を確保するのか、という観点についての解決策にはまだまだ多くの疑問符がつく(個人的にはテクノロジー礼讃とまではいかないもののオプティミスティックな観点で技術が必ず解決すると信じているが)。もちろん、電気自動車自体を必要としない違う「モビリティ」が誕生している可能性だってある。

書籍の中ではリチウム電池からの全固体電池の紹介があり、その中でも特に僕が興味を持っているのは電気自動車を蓄電媒体としてインフラ活用するVehicle to Grid(V2G)の考え方だ。基本的には電気自動車の大容量電池を電力の貯蔵に利用し、電力を使わない時や家庭他での発電量が足りない時にはクルマから電力を融通するという方法である。
EVが汎用化し、CASE(Connected, Autonomous, Shared&Service, Electric)、そしてMaaS(Mobility as a Service)などモビリティの世界がどんどん変質していく中で、自動車という移動体サービスの「機能面」での価値はどうなっているだろう。V2Gの世界においてクルマは移動体というよりも畜電池であり、環境全体のエネルギーを効率よく補完し合ったり融通しあったりする、むしろ住居や街になくてはならないエネルギープラットフォームである、と考えるとまた新たな提供価値としてのあり方が考えられてくる。
あなたの家庭や社会に必要な電池を手に入れましょう。電池は長い期間繰り返し使え、お風呂を沸かしたり料理のために利用出来、またその電池に乗って(たとえはおかしいが)移動することも出来ます。行った先でも様々な端末につないで使え、置いておけば勝手に太陽光(や他のやり方で)また充電出来ます・・・。

エネルギーの話や機能価値についてはほんの一端に過ぎないが、マーケティングコミュニケーションの立場から電気自動車のもたらす価値とは、という根本的な問いを考える際にこれらの新たな使途は無視できない要素であることは間違いない。

今後のビジネスやマーケティングに於いて様々な未来予測が可能であるしまたその予測を絶えず行っていくことが必要だが、冒頭に記したようにその情報をしっかり自分なりに読み解き、環境へ適応して自らを変質させていくという姿勢を常に忘れないようにしたいものだ。

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