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他者と自分それは他者であることを認識していない限り他者だとは認識されないということ

自分と他者の関係を他者が評価するのは他者の思い込みに過ぎないことが多い。

それは、僕によくあることだ。

他者の勝手な言い方で巻き込まれていくそんな僕の生活が6ヶ月間続いた。その日々は、途方もないようなストレスがあっただろう。

決して、他者であるAとBを友達とも思ってないただのモノとしか捉えることのできないくらいの感情が積もりに積もったからだ。

だがしかし、僕がちゃんと怒ることもなく、僕がキレられていることに対して、僕が対応をするくらいの簡単なこと。

けど、僕の周りの人間は僕のことを知らないから僕に論破される。
それは、AもBもCも一緒なのだ。

そんな僕を今も苦しめることがある・・・
それは何か、勝手な僕の噂をしている、僕が知らないような人達が繰り返すことになっているのだろう。

噂をしている僕の知らないような人を信じるのか今の僕を信じるのかそれは、その人の勝手であるが僕を信じるって言っている人の本音は違うことは態度でわかるのであった。

僕は、そのような態度をされているのであれば、僕はもう自分を自分で責めるしかないと考える。

それは、死の選択肢を視野に入れることにもなる。

死の選択肢を取るということは簡単なことではないかもしれないが死の選択肢を取れば誰もが悩まずに生活ができることになるということに僕は価値を感じる。

結論。
僕が必要と思っている人間はいないのであって、僕が生きている価値もないという現実に僕はちゃんと目覚めることができた日の出来事だった。

では。また、いつの日か

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