見出し画像

IからWeモードに。自分事から自分たち事に。当時、人生二毛作目の9歳。

2019年度のNEC未来創造会議のキーワードの一つがドミニク・チェン氏による「Weモード」でした。神奈川県川崎市の武蔵小杉で企画運営する「こすぎの大学」。こすぎの大学を開校して1年が経った時、街との向き合い方が自分事(I)から自分たち事(We)に変化していることに気づき、「自分たち事」という言葉を積極的に使うようになりました。

(※)2015年2月にハフィントンポストに寄稿した記事を編集して再掲しています

こすぎの大学

僕が住まう街、神奈川県川崎市。その川崎市で急速に再開発が進む街、武蔵小杉。僕は、武蔵小杉で2013年9月から「こすぎの大学」というソーシャル系大学を仲間と企画・運営しています。

こすぎの大学」は、毎月第2金曜日の夜、武蔵小杉に住んでいる・勤めている・関心のある方々が集う"学び舎"です。毎回、武蔵小杉に関わりのある方が"先生役"として登壇し、武蔵小杉での活動事例や想いを語っていただき、その後、"生徒役"である参加者同士が対話を通じて武蔵小杉の魅力を再発見すると同時に価値創出につながるアイデアを共創します。小学校のように4時限の授業形式でワークショップを進めることで、オトナがコドモのような純粋なキモチで街づくりを楽しむ、それが「こすぎの大学」です。

こすぎの大学、1周年記念イベント

2014年9月には「こすぎの大学」の1歳の誕生日を祝して、「ソーシャル系大学による人づくり・街づくりの可能性」をテーマにし、ソーシャル系大学の先駆けでもある「シブヤ大学」の学長 左京泰明さんに"先生役"として登壇していただきました。

画像1

"先生役"である左京泰明さんからのメッセージの後には、"生徒役"である参加者約40名の方々と共に、この1年間の「こすぎの大学」を通じての変化、そして、今後、武蔵小杉の人づくり・街づくりに向けて「こすぎの大学」で学び合いたいテーマをダイアログし、発表し合いました。発表の幾つかをご紹介。

1000人先生
多様な方々が集う街。多様性を活かすべく、誰もが先生であり、誰もが生徒である「こすぎの大学」を継続。

私たちのコスギを知る (1)「街」を知る! (2)「ヒト」を知る!! (3)「自分の限界」を知る!!!
自分が住まう街を知る。そのためには、まずは「街」を知る。そして、街を形成する「人」を知る。街と人を知ることで、自分が貢献できることを知ることができる。

コスギの街づくり・人づくり「気づき・新しい自分」「アイデアをカタチに」「仲間・応援団」
「こすぎの大学」に参加することで、新しい自分に気づいた。そして、それをカタチにしようとした時に、応援してくれる仲間を見つけられるうれしさと心強さ。自分探しと自分づくりができる「こすぎの大学」。

画像2

自分事(I)から自分たち事(We)への変化

「こすぎの大学」を通じて、僕自身もそうですが、武蔵小杉の「人」を知ることで「街」を知るようになりました。いや、"知る"ではないですね、"知りたい"と思うようになりました。そして、街が好きになって"地域事"が"自分事"に、そして、街で知り合った仲間との"自分たち事"になりました。好きな街のために何か行動をおこしたいと思った時に一人では心細かったりしますが、"自分たち事"として応援してくれる仲間ができたからこそ、新しい活動やコミュニティを企画できるようになり、前回紹介した「こすぎトラベラーズサロン」以外にもコミュニティが立ち上がり始めている最近の武蔵小杉です。

これまで"生徒役"として参加してくださっていた方々が"先生役"として登壇するケースも増えてきて、今回の発表にあった「1000人先生」も夢ではないと感じた第13回「こすぎの大学~ソーシャル系大学による人づくり・街づくりの可能性~」でした。第13回なので1000人の先生役に登壇していただくには、残りは987回ですね(笑)。

武蔵小杉を表現する漢字の変化

こんな「こすぎの大学」ですが、2014年12月には「武蔵小杉を記録する」をテーマに、武蔵小杉での今年一年間の生活を振り返っての漢字をグループ発表しました。実は、2013年9月の第1回でも武蔵小杉を表現する漢字をグループ発表したのですが、2013年9月と2014年12月の僅か1年3か月で発表された漢字が大きく違いました。

写真は第1回の時に導いた漢字の一つ「心が交わる」と書いて「ネットワーク」と読む新語。人が行き交うだけでなく、心が交わる、心温まる街。

この漢字から1年3か月後、2014年12月に導いた漢字は次回のブログで紹介します。

交+心

IからWeモードに。自分事から自分たち事に、を通じて学んだこと

こすぎの大学を開校するまで武蔵小杉という街との接点がほとんどなく、僕にとって武蔵小杉という存在は誰か(others)の街でした。こすぎの大学を通じて知人や友人ができたことで自分(I)の街、自分たち(We)の街と意識が変化しました。

(補足)
今回のnoteはハフィントンポストに寄稿した記事を一部編集して掲載しました。


この記事が参加している募集

よろしければサポートをお願いいたします。各種活動でありがたく使用させていただき、noteの充実を通じてお礼していきます。