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いつだって冷静な莉子さん

 定職につかない若者と、マツコ・デラックスが直接対話をする番組を見たことがある。

「働く意味が分からない」と発言する若者の一人から、

「(働くことで)マツコさんはどう人の役に立っているのか」と聞かれ、彼女がこう答える。

「役に立ちたいと思ってる。こういう仕事をしていたら、間接的に誰かの救いになっているかもしれない」

 間接的と誰かの役に立つ。それは誰かの気持ちを楽にしたり、時として勇気を与えることなのだろう。この言葉を聞いた時点で、すでにもう私の人生の役に立っている。そう思った時に、もう一人思い出した人がいた。会社で、私の隣に座っている莉子さんだ。

「話しかけられる度にな、辞表でも持って来られたらホンマどないしよとドキドキやわ」と社長が冗談で口にする莉子さんは、飛びぬけて優秀なオフィスマネージャーである。

 システムの開発・管理をしている彼女に、取引先のお客様から電話が来たことがある。しばらくすると、莉子さんが丁重にお断りをしているので不思議に思っていたら、

「フリーで契約してるのかって聞かれて、うちに来ないかって聞かれた」とのことだった。大口案件を次々と受注していることも、お客様の満足度も高いことは知っていた。けれど、目の前で引き抜きの声がかかる場面に遭遇したのは、人生初だった。

 一度、私が所属するマーケティング部で使用している顧客管理システムに不具合が起き、何度正確に設定しても顧客の情報に抜け漏れが出てきてしまったことがある。

 莉子さんの行動は迅速だった。一回一回条件を変えてシステムのデータを出し、どの条件なら不具合が起きるのかを一つ一つ確認。最終的に、どの条件で顧客情報を出力しても不具合が出ることを立証し、即座に管理システムを作り上げたのだった。それ以降はそのシートを使って顧客管理するようになっている。

 普段から理路整然と話す莉子さんは、想像通り数学が得意だったそうだ。同時に、年間50冊本を読む読書家であるということも、その後知ることとなる。

 そう、彼女は同時に語彙が豊富な読書家だった。そして、稀有な言葉の使い手だった。

 マーケティング部に新規のお問い合わせが来た時のこと。弊社のウェブサイトに広告を掲載したとのことだったが、即掲載ではなく半年後の掲載を希望していた。すぐに広告掲載したらすぐ売上げになるのに・・・と私が言ったら、

「光の速さで広告出しませんかってお客様に提案したいところですね」と返しが来た。

 取引先から「書類の印鑑が斜めになってない」というクレームが来た、という記事をネットで見つけた。踊り判子とは、目上の立場の人に斜めに傾けて捺印することだそうだ。

「まだそんなことを求める会社が実在するのか」と皆で話していると、

「日本って文明国家じゃないんですか?」と莉子さんが言ったので皆で笑った。

「諸行無常感・・・!」という言葉は、3か月ごとに飲食店が入れ替わる百貨店について話していた時に聞いた。平家物語以外のこんな文脈で使われるとは、いとおかしだ。

 ある時、会社に日本語が流暢な外国人がインターンすることに決まった。同僚が「私より日本語上手かったらどうしよう」と冗談で言ったことがある。莉子さんの返しは簡潔で、かつ気の利いたものだった。

「それは、ぜひともプライドを保持していただきたいですね」

プライドを持っていただきたい、と表現するとまた違った意味になるけれど、保持していただきたいという温度感が実に絶妙だ。

 社内全ての部署で使用する、メールの署名を会社で統一することが決まった日も、忘れられない。マーケティング、編集、総務、ウェブ開発、人事部宛てに、同じフォーマットの署名を使うよう社長から全員一斉にお達しが来たが、社長がなんとマーケティング部にそのメールを送るのを忘れたことが判明した。むしろ、一番お客様とのやり取りが多い部署なのに・・・そう同僚が言ったら、莉子さんは笑いながらはっきりとこう言ったのだった。

「それが、社長の持ち味です」

 私は莉子さんの言葉の選択が大好きだった。簡潔で、気持ちがふと軽くなるような表現ばかりで、つい笑ってしまう。皮肉をしっかり込める時も、決して人を傷つける単語は使わない。そもそも人を傷つけて笑いを取るという行為は、誰よりも繊細な彼女の美意識に反するようにも見えた。

 そして彼女の周りの人への接し方は、それ以上に素晴らしかった。

 彼女はマネージャーとして、文字通り部下全員を同等に扱っていた。マネージャーという立場上、注意・叱責する場面はある。ただ、場所とタイミングを選び絶対に個別に伝える。一人一人の人権がしっかり守られている、絶対的な安心感がそこにあった。

 昨年2泊3日で関西出張に行った時のことだった。その時は取引先の訪問予約が思うように取れず、当日も取引先から1件ドタキャンされ、せっかく出張したのに時間ができてしまった。出張先で自己嫌悪に陥り、泣きたくなるような気持ち同じになったその時だった。同僚からマーケティング部のグループにLINEが来たのは。

「今、何してるんですか」

「○○会社の○○様に挨拶してました」 

「それは○時まででしょ その後は」

 マーケティング部チームは、私を入れて3人。そして私以外のJさんとYさんは特に仲が良かった。私とJさんは入社時期がほぼ同じだったが、Yさんは私の出張の半年前に入社したばかり。そしてこのチームのLINEは、2対1の構図で出張先で訪問予約が埋められなかった私が批判される構図となった。出張先で、携帯の画面にこのラインが来た瞬間は忘れられない。一番堪えたのは、新たに今後の策が立てられるわけでも無く、例えるなら自分の気持ちだけを一方的に書くこむ無数のネットの書き込みページのようになっていたことだった。そもそも、この会話に意味があるのかも疑問だった。

 その日は、出張先でなかなか寝付けなかった。誠意無しのコミュニケーションが、少しずつ自分の気持ちを蝕んでいくようだった。自分にできることは何だろう、いやない・・・と堂々巡りしてしまう。これまで仕事だからと割り切っていた。けれど、この2対1で攻める構図(しかも生産性の無い会話で)は、そもそもチームとしてはあるべきでは無いはずだ。

 悩み抜いた末、出張後の週末に私は莉子さんに連絡した。お休みのところ大変申し訳ないが、月曜日に一度直接相談できないかと。彼女が翌日の火曜日から海外出張を控えており、その準備で多忙を極めていたことは知っていたが、それでも相談せずにはいられなかった。

 翌週の月曜日、早速莉子さんが時間を取ってくれた。来客用の部屋に通され、私は実際に携帯の画面を見せながら一通り説明をする。確かに私は準備不足だったこと。だけどこうやって2対1で非難することも、この会話自体も建設的とは思えないことも。ちなみに当時出張があったのは私だけ。莉子さんの意見は、そもそもマーケティング部で出張先のアポイントを決めるべきで、そういう意味ではみんな責任あるのでは、とのことだった。

「分かりました、Jさんには私からお伝えしますね。念のため、そのLINEのスクショももらえますか。明日から海外出張でオフィスを離れますが、何かあれば連絡くださいね」

そう彼女は言い、その日は終わった。

 火曜日の夜、海外出張先から莉子さんがメールをくれた。

「昨日Jさんと話しました。Uさん(私)と話した内容を伝えた訳ではないですが、Jさん自身も、自分の言い方が悪かったと認めていました。最近また2対1の構図になってることも自覚し、直したいと思ってくれてるそうです。 私からは、どういう状況だろうとリスペクトを欠くコミュニケーションはうちの会社ではNGということも伝えました。 すぐにその態度が改善するのは難しいと思いますが、まずはマーケティング部3人のLINEで指摘するのはやめ、(Yさんのためにも)、今後何かお互いに指摘があれば、私とマーケティング部の別のグループでやりとりしましょう。そうすればJさんの感情的な言い方にブレーキがかけられるし、どちらかに改善すべき点があれば私からも指摘できるので」※当時はマーケティング部3人と莉子さんの4人で使うLINEグループもあった。

 実に、莉子さんらしい文章だった。Jさんに対しても、このように過度に感情的な言い方で責めることはせず、言葉を選んで冷静に伝えたに違いない。海外から迅速に連絡をくれたことにも、今後は4人のグループでやりとりしようと提案してくれたことにも感謝の気持ちでいっぱいになり、同時に安堵のため息をついた。

 以前テレビで、東大に子ども4人を入学させた家族のインタビューを見たことがある。特に印象に残ったのは、母親が「(勉強中に)間違いがあった時は冷静に直す」と話していたことだった。特に「注意」の場面では、どれほど感情的になりやすいか、時として言い方そのものに腹が立って素直に聞けないことも、私はよく知っている。

 元来マイペースな私は、よくもまあこんなレベルの低い仕事をできたものだ、と今となっては思い出して恥ずかしさのあまり卒倒してしまうような、実に低レベルな注意・お叱りを受けてきた。何度マネージャーである莉子さんを悩ませ、仕事を増やしてしまったことだろう。毎回、低レベルな内容に対し、問題点・改善方法の提案が最高レベルに練られ、記されたメールが私のメールボックスに届いた。※文書として残すため、注意・叱責は基本的にはメール経由だった。

 もちろん、注意・叱責メールをもらうこと自体は恥ずかしく、嫌でしかない。でも莉子さんの言葉は理路整然で説得力があり、また嫌味の一つが出てもおかしくないような内容でも、そういったものは彼女から一切無かった。何がどう問題だったのか、どう改善すべきか、それだけが文章にフォーカスされていた。

 彼女の言葉は、書き言葉も話し言葉もため息がもれるほど的確で、無駄が無い。「良い文章を書くには、書きたい文章の量の2倍書いて蛇足を削ること」と私の大学教授が言っていたのを思い出す。自分が実際に注意されている内容より、その言葉の選び方、注意の仕方・表現に目が行ってしまうことも少なくなかった。ここまで的確に表現できる人は私の人生で「空前」だったし、当分「絶後」だろうと思っている。

 より良いフォーマンスができるよう応援する、そんな真っ直ぐなエネルギーがあふれ出てるのも莉子さんだった。実際、これまで惜しみなく情報と機会をくれたのだった。

 海外の取引先に英語のメールを送らなくてはいけない時、英語ネイティブの方が職場にいて添削してくれたら良いのに・・・と独り言を言ったところ、英文自動校正アプリのリンクを30秒後に送ってくれた。

 顧客とのやりとりが多い私に、「色々勉強になるから」と自分の担当顧客からもらったメールも転送してくれた。それは海外出張先で、莉子さんがそれまでメールだけでやりとりしていたお取引先の方と初めて会食した際に、先方からもらったメールだった。会食が終わり1時間以内に届いていたそうで、さらに莉子さんが先方にお渡ししたお土産のバウムクーヘンについて、また莉子さんの実際の印象なども言及されていた。莉子さんがそのままはりつけ、送ってくれた先方のメールには、このメールのどこがポイントなのかも箇条書きで書かれていた。

 現在プライベートで使用している家計簿も、彼女からもらったものだ。貯金するために家計簿をつけようと思った時、莉子さんにどの家計簿を使っているのか聞いたら、5分後に実際に莉子さんが作った家計簿としているグーグルシートのフォーマットを送ってくれたのだった。

 機械全般が大の苦手で、特にパソコンスキルが壊滅的な私が、莉子さんにパソコンに関して超初歩的な質問をしてしまったことがある。

「偏差値30にも満たない質問をしてしまい、申し訳ございませんでした」と謝ると、

「ヤンキーばっかじゃないですか」

と言われた。そして、瞬く間に覚えるべきエクセルの関数リストを作成してくれた。

「ご自身でもお気づきかと思いますが、そもそも何を分かっていないのか自覚し、その情報を検索して身につける力、また、覚えた事柄を他に応用する力がまだ足りないと思うので、ぜひこの機会にカバーして欲しいです。」

というコメントを添えて。さながら小学校の先生である。

 1か月後、実際にエクセルの実技試験もしてくれた。結果は9/14点。本当はもっと点を取りたかったけど、1つミスしてしまい、また莉子さんお手製のひっかけ問題にも見事ひっかかたのが何より悔しかった。

 世界には、色々な種類の優しさがある。困った時手を差しのべる優しさ。あえて何も言わない優しさ。私は莉子さんを通じて、また一つ優しさの種類を知った。それは、爆発させたくなるような感情をぐっと堪え、それを理路整然と伝える優しさだ。あふれ出るような想像力と、忍耐力、そして冷静な判断力から初めて生まれるものだ。

 いつだったか、悲しい思いをした何かのエピソードを話した時に、「心の中で大粒の涙をこぼした」と表現したことがある。その時莉子さんに「たまに、面白い表現使いますよね」と言われ、嬉しくて嬉しくて思わず日記にそのことを書いた。きっと彼女はもうその会話を覚えていないに違いない。それくらい些細な出来事だったけれど、私の中で大変名誉な出来事だった。本当はツイッターで偶然見つけた表現で、ぜひとも私が作った表現というイメージを保持していただきたいから、秘密にしているけれど、また名誉な出来事を書く機会が今後もありますように、と密かに祈っている。

 莉子さんの話を家族や友達にする度に、彼女の言葉を紹介する度に、職場でそんなマネージャーが隣にいるなんて、めちゃくちゃうらやましい、と心から言われる。私も話す度に、莉子さんがいる環境で働いていることの幸運を実感する。

「光の速さで広告出しませんか」という表現を親友に紹介した時は、後日そのことばを思い出して仕事を頑張ってるとのメールが届いた。光の速さで・・・という表現で背中を押されたらしく、「聞いてから、よっし!って思って頑張れた」とのことで、その知らせを聞いた私も嬉しくなったのだった。

 私たちはたった一言に救われたり、大笑いすることもある。

 自分の発想には無かったコミュニケーションの取り方を知ることで、自分の普段の行動のヒントをもらうこともある。

 細やかな配慮の形を知ることで、周りの人への接し方だって変わるかもしれない。

 だから私は、莉子さんの言葉と周りの人への接し方をこれからも話していく。

半ば自分の備忘録として書き始めたこの文章のリンクも、どんどん送っていく。

 核爆弾よりも威力のある言葉が、SNSにひしめきあう今だからこそ。

 言葉のナイフがひらめくような時代に生きるからこそ。

 まるで、幸運をおすそ分けするように。

 自分の知らない、誰かの救いとなるように。




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