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テレビが悪いわけではないが

お父さんはテレビばかり見ています。いつも、本当に、ずっとテレビを見ています。うちは新聞もとっています。昔からずっととっています。お父さんは新聞も読みます。でも少しだけ読んで、あとはずっとテレビを見ています。本も読みません。インターネットも見ません。だからお父さんはほとんどだいたいは、テレビしか見ていません。食事の時間はお父さんとお母さんと僕と三人でご飯を食べます。僕はおいしいおいしいと言ってご飯を食べます。だってそれは本当においしいご飯なのです。お父さんはご飯を食べながらテレビを見ています。お父さんはご飯を食べても何も言いません。お父さんはご飯を食べているのでしょうか。たぶんお父さんはご飯を食べているのではなくて、ただテレビを見ているのだと思います。だからお父さんはほとんどだいたいは、テレビしか見ていません。

お父さんはテレビを見て笑ったりしません。ニュースについて何かを話したりもしません。映画を見て感動したりもしません。お父さんはテレビが楽しいからとか、ためになるからとかといった理由で見ているのではないのかもしれません。見たいものがあって見ているのでもないのです。ただテレビを見ているだけなのです。僕はお父さんに、そんなふうにテレビばかり見ていたら痴呆症になってしまうよと何度も言いました。お母さんも同じように何度も言いました。お父さんはめんどくさそうに、大丈夫だとしか言いません。またその話かというように、そんな話は聞きたくないというように。そしてそんなことは知っているよとでもいうようにです。

僕は今は違うところで暮らしています。僕の家にはテレビがありません。何も不自由はありませんし、それに今はテレビを見ない人も珍しくないということです。僕は今は違うところで暮らしていますが、それでも行こうと思えば行けるくらいのところで暮らしています。だからたまに、何ヶ月かに一度くらいはお父さんとお母さんの顔を見に行きます。もうずいぶん歳をとったように見えます。だって僕も若くないのですから、それは当たり前のことなのです。僕は心のどこかで自分はまだ若いと思っているふしもありますが、たまにお父さんとお母さんを見ると、自分はもう若くはないのだなと思うのです。

たまに家に帰ってもお父さんは相変わらずテレビばかり見ています。お父さんは仕事が定年で終わってからもう何年たつでしょうか。今や本格的にテレビしか見ていません。僕もお母さんももうお父さんに、そんなふうにテレビばかり見ていたら痴呆症になってしまうよとは言いません。これまでになんの甲斐もなく、何度言ったかわからないことを言い続けるということは実はすごく辛いことなのです。最近お父さんは言葉がうまく出なくなってきたようです。滑舌も悪くなって、ああそうか、やっぱりそうだよねと僕は思いました。だからなおさら、そんな提言を口にすることは胸をえぐられるような気持ちになってしまうのです。

お父さんは今日もテレビを見ています。今日僕は実家には行っていませんが、そんなことは関係なくそうなのです。なんの番組かとか、ドラマか報道かとか、バラエティーかとか、そんなことも関係なくお父さんはテレビを見ています。花鳥風月、流れる雲を眺めるように、赤ん坊が動く虫を目で追うように、お父さんはテレビを見ます。僕はきっともっと本当に若い時に、テレビをバットでぶっ壊しておくべきだったのです。

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