【読書感想文】沢木耕太郎『銀の森へ』
少年たちは卓球台の上で愛を語る
「ピンポン」
『これは、愛の物語だと言ってもよい。
だが、そこに介在するのは「性」ではなく、
「ゲーム」であり、小さな白い「ボール」である。
つまり、彼らは「ピンポン」を言語に
体育館で語り合いつづけるのだ。』
地上に舞い降りた天女
「ローマの休日」
『それにしても、もしこれが現実の出来事
だとしたら、記者はこの「スクープ」を死ぬまで
書くことはなかっただろうか。』
余白が生み出す豊かさ
「かもめ食堂」
『もしかしたら、「なぜ」という問いが
世の中を複雑で難しくさせているもの
なのかもしれない。
そんなことより、そこに広がっているのが
心地よい空間であり
そこにあるのが心地よいものであり
そこにいるのが心地よい人であれば
いいのではないか?』
「ベタ」な物語が生む不思議な輝き
「フラガール」
『「ベタ」なストーリーを、一癖も二癖も
ありそうな役者たちが「ベタ」に演じて
いくうちに、意外にも登場人物に命が
吹き込まれていくようになる。
そして、とりわけ重要な役を演じている
三人の女優たちが、鮮やかに「立つ」
ことのできる瞬間が訪れるのだ。』
沢木耕太郎の映画評が好きだ。
観た事のない映画だったとしても
その映画に漂う空気や匂いを感じられる。
特に「かもめ食堂」は個人的に思い入れが
強かったこともあって、わずか三ページの
映画評を何度も読んだ。
そしてタイトルにもなっている
「余白の豊かさ」について大いに考えてみた。
考えた結果、自分がやろうとしても無理だと
悟った。
それでもこの言葉を教えてくれただけでも、
沢木耕太郎はやはり心の師であるのだ。
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