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本質の構築と生命のリドル:客観的な相対思考の視点

一つ前の記事で、人生観や価値観のような主観的なものは、ひとりひとりが自分に合ったものを選べば良いという相対思考の考え方を提案しました(参照記事1)。それは、好みの服を選ぶようなものです。

一方で、科学や学問のように客観的なものもあります。物理法則のように自然現象に見られる法則は個人の考え方によって変わるものではありませんし、1+1の答えが人によって違ったら経済活動は困難です。

このような客観的な知識や観念は、確かに存在しますが、一方で、そこにも相対性があります。それは主観的な価値観のように、個人との相対性ではなく、文脈との相対性です。あらゆる知識は、その文脈の上において客観的に正しく、意味があるものとなります。

この記事では、この客観的な相対思考という考え方を提示します。その視点から見ると、知識だけでなく、物理現象や化学現象、そして生命現象や社会現象にも共通する「構築」という概念が浮かび上がってきます。

そして、以前の記事で書いた生命のリドルの話へと、この「構築」の概念を結び付けていきます(参照記事2)。

■本質の探求における文脈の必要性

「○○とは何か」が話題になる事があります。人間とは何か、美とは何か、といったことの本質の探求です。ある種の哲学のような議論です。

この時、対象の本質を1つの定義で表そうと試みるのは、無理があります。ではいくつの定義が必要かというと、無限です。なぜなら、物事の背景には文脈があり、文脈は多くの場合、無限だからです。

無限の文脈を持ち得る対象を、1つの定義、あるいは有限の定義で表しきることが、できるはずはありません。このため、それを承知でいくつもの側面を定義していくというアプローチを取るか、文脈を明確にして、その文脈の範囲で定義を考える必要があります。

例えば、「人間とは何か」という問いに対しては、チンパンジーとの外見上の比較、DNAでの比較、身体能力での比較、知的能力での比較、社会性の比較、などの文脈があり得ます。

また、チンパンジーとの比較だけでなく、別のもの、例えば機械やロボットとの比較、などの文脈もあります。さらに、人間の感情、知性、欲求などの内面的な性質に視点を当てるという文脈もあるでしょう。

それぞれの文脈によって、答えは異なるでしょう。そして、文脈は他にも多数設定することができますので、実質的に無限のパターンがあり得ます。つまり、答えや本質も、無限にあり得るという事です。

■本質の探求とは構築である

そのように考えると、本質の探求は、単に対象をじっと観察していれば何かが分かってくるというような受動的な行為ではないことが分かります。

こちらから文脈を投げかけて本質を抽出する、という能動的な作業です。そして、取り出した本質だけを、ただ並べるのではなく、取り出すときに投げかけた文脈とのセットで整理しなければなりません。

このように、探求とは、向こうから自然と浮かび上がってくるものを掬い取るのではなく、自分から仕掛けて、文脈と本質の組合せを構築していく積極的な行為です。

もし、そこから文脈を取り除いてしまうと、またその本質が見えなくなってしまいます。

このため、探求の結果得られた本質を表現する時、文脈も併せて記述しなければ、本人以外にはその価値が分からなくなります。

例えば、人間は感情を持っている、という事だけを述べられても、それが本質かどうかは何とも言えません。チンパンジーと人間を比較する文脈の場合、そこに本質があると思えません。一方で、現在の人工知能との比較をしている文脈であれば、重要なポイントとなるでしょう。

つまり、「現在の人工知能との本質的な違いの一つとして、人間は感情を持っている」という整理であれば、価値のある探求ができたと言えるでしょう。こうした知識の構築が、本質の探求のあり方だと思うのです。

■構築の対象分野

ここでいう「構築」は、対象に文脈を適用し、本質を浮かび上がらせるという作業です。これは、知識の世界のみの話ではありません。

位置や状態が不確定な状態にある量子に、観測のために他のものを当てると、位置や状態が確定するという現象が知られています、観測をやめると、再び状態が不確定に戻ります。この量子の状態を観察によって確定させることは、「構築」の概念に当てはまります。

量子の世界における「構築」では、観測のために量子に当てた光や別の量子が「文脈」です。そして、観測によって確定した状態が「本質」です。

有機物の化学反応系にも、当てはまる現象があります。特に生命現象を司っている化学反応の連鎖は、二つないしはそれ以上の化学反応が組み合わされる事で機能します。そして、こうした機能が止まってしまうと、死滅してしまう可能性があります。この点から、有機物の化学反応系にも、「構築」の概念が当てはまります。

有機物の化学反応系における「構築」では、有機物に与えたエネルギーや別の有機物が「文脈」です。それによって発生した化学反応が「本質」です。特に、発生した化学反応が生命の要因となる場合、これは生命の「構築」ということになります。

また、生態系にも構築の概念は当てはまります。明確な共生関係にある生物種同士や、食物連鎖のループのような共生関係があります。ここにも、構築の概念は適用できるでしょう。

生態系における「構築」では、ある生物種に与えられた環境や別の生物種が「文脈」です。それによってその生物種が生存と繁殖が可能になります。この観点から、その生物種の生命維持や生殖につながる一つ一つの活動が「本質」と言えます。環境や別の生物種との様々な相互作用が「構築」されることで、その生物種は存在していると解釈することができます。また、DNAの変異によって新しい相互作用が「構築」され、それが生存と繁殖にプラスに働けば、それが進化につながります。

■構築の原動力:ランダムと設計

同様に、社会における人間関係や組織体制なども「構築」されるものです。また、文化、経済活動、建物や機械、ソフトウェアなども、人間は「構築」していきます。

量子や有機物や生態系における構築の原動力は、ランダムな変化による多様性です。多様な組合せの中から状態の確定、反応の継続、生存に役に立つものが見つかることで「構築」が成功します。

知識や社会や機械など、人間が作るものの構築の原動力には、ランダムな変化による多様性に加えて、意識的な設計があります。人間は、知的な作業として設計を行い、単なるランダム性に頼るだけでは到達し得ない段階まで、「構築」を積み上げることができているのです。

■構築の本質

構築は、2つ以上のものを組み合わせて、新しいものを生み出します。

また、構築で生み出されたものは、やがて組み合わせが崩れてしまい、元に戻ってしまいます。

従って、構築は「結びつき」と「つなぎ止め」の組合せによって成立します。2つの物が組み合わせ出来る性質が「結びつき」で、結びつきを維持する作用が「つなぎ止め」です。

そして、外部からのエネルギー供給が途切れたり、力が加わったりして「つなぎ止め」が終わってしまうと、構築された「結びつき」が解けて失われてしまいます。

特に、この外部からのエネルギー供給が途切れるだけで「つなぎ止め」が終わってしまうようなものは、生命現象と同じ「死」を迎えるという性質をもった構築です。

これを私は「死停止性」と呼んでいます。なお、反対に停止しても再び動き出すことができるものについては、「休眠停止性」と呼んでいます。

生命現象は「死停止性」の構築の代表格です。この他にも、例えば一過性のブームで終わってしまうような流行現象も、この「死停止性」の性質を持っています。

■生命のリドル

「死停止性」の構築が、生命現象を担っていることは、当たり前のようですが、良く考えると奇妙です。

なぜなら「休眠停止性」の方が生存には有利だと直感的には思えるためです。生命のように複雑なものが生み出されるなら、エネルギーが途絶えても構築されたものが崩れない方が、有利です。なぜ、崩れてしまいやすい「死停止性」の構築によって、生命のような複雑なものが生み出せるのでしょうか。

私はこの謎を、生命のリドル(謎掛け)と表現しています。

生命のリドルに対する私の出した回答案は、「死停止性」は「休眠停止性」よりも圧倒的に多様性を確保できるという点です。

「死停止性」の方が「休眠停止性」より多様性を持ち得る理由は、「死停止性」はその中に「休眠停止性」を部品のように内包することができるためです。逆は成り立ちません。

多様性は、進化にとっては非常に重要です。なぜなら、生命の進化には設計者がいないため、ランダムに様々なパターンを試す必要があるためです。このため、多様性を持つ方が進化にとって有利です。数打てば当たる方式で多様なパターンを試すわけです。

なお、ロボットやコンピュータのように人が設計できるものは、休眠停止性を持つことができます。これは、ランダムな進化を伴わずに生み出すことができるためです。設計ができるため、死停止性の持つ多様性を必要とせず、きちんと機能するように構築することができます。

■おわりに

生命の起源の探求が、このブログの主題にあります。このため、当初は細胞が誕生するまでの過程に主眼を置いた記事を書いていました。

その中で、細胞の作りや化学的な現象を調べるよりも、知能や社会のメカニズムを紐解いていくアプローチが効果的だと気がつきました。それらの中にある、生命や細胞内の化学反応と共通のメカニズムを抽出することで、新しい知見や洞察が得られると分かったためです。

このため、知能や社会について、いろいろな角度から考えてきました。その流れで、主観的な価値観に対する相対思考について前回の記事では書きましたが、生命の起源の探求には直接影響しない話だと思っていました。

しかし、主観的相対思考から客観的相対思考に話題を遷移させたのが功を奏しました。生命の起源の探求の際に考えていた生命のリドルの話に回帰することができたのは、自分でもうれしい驚きです。

■参照記事一覧

参照記事1

参照記事2


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