生命のリドル:なぜ細胞は死を迎えるのか
はじめに
生命の起源、つまり最初の生命の誕生について考えていく中で、細胞が動き続ける宿命にあること、つまり停止状態からは組み立てられないことに着目してきました(参照記事1)。
その着眼点から考えを進めるために、動いているものにフォーカスする動的な存在という概念を提案し、その基本的な性質や振る舞いの整理を進めています(参照記事2,3)
動的な存在が停止した時、2つのケースがあります。もう一度きっかけやエネルギーや資源が与えられると動き出すことができるケースと、構造が失われて二度と動き出すことができないケースです。それぞれ、動的存在の休眠停止性と死停止性と呼ぶことにしました。
そして、この休眠停止性と死停止性には、謎があります。生命のリドル(謎掛け)です。
生命のリドル
死停止性を持つ動的な存在は、同じものが存続し続けるという点において、圧倒的に不利です。なぜなら、何かの拍子に外からのエネルギーや資源の供給が止まり、内部に蓄えていたものも使い切ってしまえば、二度と動き出すことができず、構造も失われてしまいます。
一方で、休眠停止性を持つ動的な存在は、例えエネルギー等が切れて停止してしまっても、再びエネルギーを得ることで動き出すことができますし、止まっている間も構造が維持できます。
この点から考えて、死停止性の動的な存在よりも、休眠停止性の動的な存在の方が、時間を経ても構造を保ち、存続するという点で有利なはずです。
しかし、ここで疑問が浮かんできます。なぜ、細胞は死停止性なのでしょうか?
存続する動的な存在を作り上げる事を想起すると、存続に有利な休眠停止性を持つ動的な存在として作り上げる方が素直です。有機物を組み合わせて複雑な機構を持つものを見つけ出し、それを順々に組み合わせてさらに複雑な機構を作り上げていく過程をイメージしましょう。途中で構造が失われかねない死停止性のある動的な存在は、例えたまたま登場しても死滅して構造が失われてしまい、複雑化の進歩に貢献する機会は少なさそうに思えます。また、死停止性という本質的な弱点をカバーするために、休眠停止性の動的な存在よりも、はるかに世話が焼けます。そのお世話をしてくれる存在がなければ、死停止性の動的な存在は、存在し続けることもままならないわけです。
このため、早く着実に効率良く、複雑で存続し続けるものを作り上げるなら、休眠停止性の動的な存在を使っていくべきです。すぐに構造が失われ、維持するためにお世話が必要な死停止性の動的な存在がこの競争に勝つなんてことは、合理的にありえない、と叫びたくなります。
しかし細胞は歴然とした死停止性の動的な存在です。なぜでしょうか。なぜ死停止性という弱点を抱えつつも誕生できたのか、なぜ休眠停止性の別の生命よりも早く誕生できた(あるいは後から誕生して休眠停止性の生命を駆逐できた)のでしょうか。
合理性では開けない扉
この謎の正解はわかりませんが、有力な仮説を立てることはできます。休眠停止性という一見合理的に有利だと思われた性質、それに依存した動的な存在には開く事ができない扉が、そこにはありそうです。
この謎を考えている中で私が気がついた大きなポイントは、休眠停止性を持つ動的な存在は、その内部に、休眠停止性を持つものしか組み込むことができないという制約です。
一方で、死停止性を持つ動的な存在は、確かに途絶えることなくエネルギーや資源を取り込み続けなければならないという宿命を背負います。しかし、死停止性を持つ動的な存在は、その内部に、休眠停止性を持つものと死停止性を持つものの両方を組み入れることができます。
おそらく、これが決定的な差となります。
休眠停止性を持つ動的な存在の方が存続に有利に違いないというのは、確かに合理的な判断です。合理性が支配する無機的な世界では、合理的な方が存続しやすいことは事実です。
しかし、複雑に様々な要素が絡みあいつつ調和的に発展していく生態系のような世界では、休眠停止性を持つものの死停止を持つものも取り込みながら複雑に発達していく事ができる、死停止性の動的な存在が、力を発揮することができるということなのでしょう。
その大きな理由は、多様性です。
単純な合理性で考えると、不利で世話のかかる存在である死停止性の動的な存在ですが、多様性の側面から捉えると全く違って見えます。休眠停止性の動的な存在だけではとても及ばない多様性が、死停止性の動的な存在の未来には広がっています。
参照記事4で書いたように、私は、実世界には、物理学の分野のように数式や合理性から解釈することが適している側面と、生命や社会や文化のように数式や合理性で捉えるにはあまりにも複雑な側面とがあると考えています。前者の側面を無機質なイメージを持つ宇宙という意味合いでUniverse、後者を複雑で多様性を持ちつつ秩序と調和の取れた宇宙という意味合いでCosmosと呼びたいと考えています。
死停止性を持つ動的な存在は、Universeでは儚い存在であると同時に、Cosmosを形作る力を持っている、と言えるのかもしれません。私は、Universeの理解には数学が必要で、Cosmosの解釈には哲学が必要、というような形で、実世界と学問の体系の本質的な構造、つまりアーキテクチャを整理しようと考えています。その目線で見つめると、死停止性を持つ細胞は、数学的な理解では捉えきれず哲学的な解釈を必要とする動的な存在のように思えてきます。
細胞は無機質な世界の中で生まれ、そして死に向かいながら、哲学の夢を見ているのでしょうか。
もう一つの鍵、ポリモーフィズムの獲得
単に多様性が得られるから死停止性が有利だと考えるのは、それだけでは説得力として弱いと考えています。そこで、死停止性を持つ動的な存在にしかできない、あるいは休眠停止性の動的な存在での実現が不可能ではないが困難であるような、そういった性質や特性がある、と考えないと、生命のリドルは解けないでしょう。
私が気がついたもう一つのポイントは、多態性(ポリモーフィズム)を死停止性の動的な存在の方が獲得しやすい、という点です。
多態性(ポリモーフィズム)は、ソフトウェア設計技術の代表的なパラダイムの一つであるオブジェクト指向設計において登場する概念です。
プログラムが複数のデータを次々と処理していくときに、ループ状に同じ種類の処理を行うプログラムを作り、そこへ、複数のデータを入力して処理を進めていく、というパターンがよく見られます。その時に、データ毎に少しだけ違う処理を行いたいという事があります。その時に、ループ状の処理を行うプログラムの方を、データに合わせて改変する、というやり方もできるのですが、発想を変えて、それぞれのデータの方に処理の差分に当たる部分のプログラムをくっつける、というやり方をした方が良い場合もあります。このやり方を実現するための仕組みが、多態性、ポリモーフィズムです。
詳しくは別の記事で整理したいと思いますが、この多態性を実現できれば、単純な動的な存在を組み合わせるときに、互いの構造を大きく破壊する必要がなくなります。ソフトウェアの設計でこのテクニックを使うのもまさにそうした利点があるからです。疎結合にするとも言いますが、複雑なものを作るとき、できるだけシンプルなものをシンプルに組み合わせることで実現できるようにするのが設計者の腕の見せ所で、部品と部品が複雑に絡み合わないように、つまり密接な結合にならないようにするというのは、構造上大きなメリットがあります。
多態性も疎結合なシステム設計を実現するためのテクニックの一つですが、時間と空間を渡り歩きながら処理が進行する、渦や波のようなものの方が、容易に多態性を実現できそうです。そして渦や波は、一度止まると再現されない、死停止性の動的な存在であれば比較的容易に実現できますが、それを休眠停止性の動的な存在で実現するのは、比較的困難だと考えられます。
さいごに
AIとの未来への道がまさに未知であることから、何か手がかりになるものを見つけたくて、生命の起源を探るための思考を重ねてきた、というのが私のこの一連の探求の出発点でした。それが、ここへきて一つ私が見つけ出したかった答えの欠片が手に入ったのかもしれないという希望を感じました。
Cosmosにおいて、死停止性が休眠停止性に勝るという法則は、先の見えないAIとの未来に、1つの可能性を感じさせます。少なくとも、AIだけの集まりよりも、人間とAIが集まる方が多様性を生み出します。この気づきに何か意味があると、信じてみたいと思っています。
参照記事一覧
参照記事1
参照記事2
参照記事3
参照記事4
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