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意識のレンズ:今、ここ、私/内と外/個人とコミュニティ

はじめに

これまでに、私たちが現実をどのように認識しているか、個人の中とコミュニティにおいてどのように現実が共有されているか、私の考え方を書いてきました(参照記事1, 参照記事2)。

また、世界をどのように認識するか、人生をどのように認識するかについての考察や、遠い学習というものを行うための法則の構築についての考察もしてきました(参照記事3, 参照記事4)。

この記事ではこれらを統合的に整理します。

現実と法則、身体と世界、自己と人生

まず、時間軸から考えます。

想起された現実と、構築された法則について考えると、どちらも時間軸上の未来の予測に使われています。想起された現実は、とても近い未来であり、かつ、過去の経験から暗黙知的な非形式的なものではあるものの確度の高い予測をします。一方で構築された法則は、確度は法則によりけりですが、形式知的な形で遠い未来に対する予測の手がかりを与えてくれる役割を持っています。

次に、身体性について考えます。

想起された現実の中で、私たちは自己の身体とその周辺を観照しています。そして、認識される世界観に基づいて、自己の外界を把握します。これによりある種の空間認識をします。これは、物理的な世界の中の物理的な身体という空間認識が代表的なものですが、例えば組織構造の中での自分のポジションの認識であるとか、学問において自分の専門領域と学問全体の認識であるとか、そういった抽象的な自己と世界の位置づけの観照と認識を含みます。

最後に、自他という観点を考えます。

想起された現実の中で、私たちは少し未来の予測と、空間の中での自分自身の位置づけを把握し、ほぼ自動的に意思決定を行っています。また、長い目で見ると、認識された人生観の中で、岐路に立つ度に選択的な意思決定を行っています。こうして行ってきた過去の意思決定と人生観から、自分自身がどういった性格と考え方をしているのかを把握し、それが次の意思決定にも影響を与えていく、という自己強化的なループ構造があります。こうして、意思決定を重ねるたびに、自分の中での自己の特徴が浮き彫りになっていきます。

このような形で、私たちは「今、ここ、私」というものを中心に認識します。これが「意識」なのではないかと私は考えています。

内と外

時間軸上の近い過去や未来を内側、遠い過去や未来を外側、と考えてみます。空間上でも自分の身体や周辺は内側、それを取り巻いている世界が外側です。自他という関係においては自分が内側、他者が外側です。

先ほど見たように、この内と外は、私たちの想起、観照、認識、構築という知的な作用を通して、はっきりとした境界でわかれず、緩やかにつながる形で認識されます。

ただし、境界は持ちませんが、内側は解像度が高く情報量が多く、かつ、確実性が高くなっています。外側に行くほどぼんやりとして手がかりが少なく、不確実なものになっていきます。

これは、レンズのような形をしているとイメージすることができます。内側は膨らんでいて外側に行くにつれて薄くなる。けれどもそこに明確な境界はありません。

先ほどのようにこの作用が「今、ここ、私」という意識を形成しているのであれば、これは「意識のレンズ」と呼べそうです。

私たちは、それぞれが持つ意識のレンズを通して時間と空間と自他を把握しており、そのレンズを通して見えているものが意識である、そういう風に考える事が出来そうです。

個人とコミュニティ

参照記事2でも触れましたが、想起される現実は個人の中で状況によって異なる人格を統合するために、想起される共有現実を作る作用があります。加えて、コミュニティにおける参加者の間の統合にも想起される共有現実という作用が働きます。

この考え方をこの記事での意識のレンズにも適用する事ができます。想起される現実と構築される法則、観照される身体と自己、認識される世界観と人生観、これらは個人の中でも共有されつつ、コミュニティにおいてもやはり共有されます。レンズの重なりの中に、統合された個人が映し出されたり、統合されたコミュニティが映し出されたりします。そして多数のレンズによって複雑な重なりをもって、社会の全体像が映し出されています。

レンズの形や特性には人によって違いがあります。緩やかなレンズを持っている人は、利他的であったり感受性が強く、コミュニティにおける統合は得意ですが、反対に個人としての統合は苦手かもしれません。内側のふくらみが強いレンズを持っている人はその逆で、個人としては芯を持って統合されていますが、その分、コミュニティでの統合には困難があるかもしれません。

自己についての補足

自己については、少なくとも3つの側面があると考えています。理性、感情、感性です。理性は損と得、感情は快と不快、感性は好きと嫌い、という観点で物事を捉えることです。

レンズの緩やかな人は、理性では利他的、感情では共感的、感性では感受性が高い、という傾向です。強いレンズを持っている人は、比較すると利己的、ドライ、独創的という事になるでしょうか。

さいごに

私たちがどのように現在と未来、身体と世界、自己と他者を捉えているか、そしてそれが個人とコミュニティの中でどのように関係し、社会の構造を作っているか、について意識のレンズという考え方を使って見てきました。

このnoteの記事で、私が今まで考えてきた人間と社会の構造と、意識の構造については、これで概ね整理ができてきたかなという感触を持っています。

参照記事一覧

参照記事1

参照記事2

参照記事3

参照記事4


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