メモ:認識される世界観および人生観

想起される現実は動的な存在です。

一方で、記憶の深いところに、長期的に固着していく人格の形成の素になるようなものがあります。人格形成そのものだけでなく、その人格を形成している環境があると私は考えています。

それを、認識される世界観および人生観、と呼ぶことにします。

認識される世界観および人生観

物事をどのように考えるかというのは人それぞれ異なります。どのようにそれが決まっているかについての私の仮説が、認識される世界観および人生観、です。

私の経験では、何らかの考え方や思考方法について人と話をすると、多様な考え方や思考方法があるけれども、そのバランスを取ることが大切だという意見を持っている人が多いと感じています。むしろ、バランスを崩してどこかに偏る方が良いと考えている人には会ったことがないかもしれません。

ではどうして、人は考え方や思想が異なってしまうのでしょうか。

そこで考えたのが、認識される世界観および人生観です。簡単に言えば、世界観や人生観について、どれだけの幅の考え方があり、多くの人はどのように考えているのか、ということです。それを全員の意見を集めるわけではなく、個人がどう認識しているか、という事です。

インターネットやSNSはエコーチェンバー現象を生みやすいという話があります。人はネットやSNSで情報を仕入れるときに、自分の考えにあった意見を多く読んでしまいがちで、異なる意見や反対の意見を意識的あるいは無意識に見ようとしないという性質があるようです。この性質により、自分が考えている方向性に沿った意見ばかりを目にするうちに、その方向で物事を考える傾向が強まってしまい、バランスを欠いた状態になりやすいという現象です。

これは、似たような考え方をしている人の意見ばかりを見聞きしているうちに、世の中の多くの人が自分と同じ方向で考えている、あるいは正しく考えることができる人たちの多くは自分と同じような考え方をしている、と思い込んでしまうという言い方ができるでしょう。世の中の多くの人、あるいは正しく考えることのできる多くの人が、どのような思考の分布をしていると認識しているか、それが認識される世界観・人生観です。

人それぞれ、自身の認識される世界観および人生観を持っています。そして多くの人は、その認識に基づいて、自然に自分をバランス良く中心位置に配置しようとしているのではないか、というのが私の仮説です。このため、考え方に癖があったり、偏りがある人に、もっとバランスを取るべきだと言っても仕方ありません。その人の認識される世界観および人生観の中では、既に中心にいるのですから。

もちろん、様々な本を読んだり、人にあったり、旅をしたり、新しいことにチャレンジすることで、認識される世界観および人生観を広げることはできるでしょう。しかし、経験や体験を増やしたとしても、エコーチェンバー現象のように、自分がすでに獲得している中心位置の周辺の意見しか取り入れなくなってしまうような作用も働きます。これはその人に取って幸福なことかどうかは別の話として、社会全体としては多様性を保つ働きをします。体験や経験をすれば、容易に認識される世界観および人生観が拡張されて中心位置でバランスを取るのであれば、多くの人は同じ世界観および人生観を共有して、その中心位置にほぼ集まってしまいます。世界観および人生観を容易には広げられないのは、この均質化を避ける働きをしていると考えられそうです。

共通の認識された世界観および人生観を持ち、その中心位置の近くでバランスを取っている人同士は、出会ったときにシンパシーを感じます。このシンパシーを土台にして時間を過ごすと、想起された共有現実をスムースに構築することもできるでしょう。

このようにして認識された共通の世界観および人生観を持ち、想起された共有現実の構築もできた関係であれば、違和感なく共同作業を行ったり会話を行うことが可能になります。そこには、とても居心地の良い時間が流れるでしょう。


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