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意見の対立を受け入れる:論理的な背景と解決ステップ

意見が対立し、そこに起因した問題が生じると、解決は難しくなります。しかし、そうした問題の解決ができないと、その関係者の間にとってマイナスです。意見の対立により解決しない問題が増えてくれば、社会全体にとっても暗い要素になります。

こうした意見の対立を含む問題を、少しでも良い方向に向けるためには、どうすれば良いでしょうか。

私は、意見の対立が起きる原因を理解することと、意見が対立した場合の問題解決の技術および心構えを身に着けることが大切だと考えています。

この記事では、意見の対立が起きる原因の理解のために、お互いの意見をどうしても変更できないケースに着目します。そして、その背後にある論理を掘り下げます。

論理と心理や感情を複合して、意見の対立の全体像を捉えることも重要です。一方で、これらを混ぜ合わせて議論すると、整理と理解が難しくなります。このため、この記事では、心理面や感情面については触れず、あくまで意見の対立の背後にある論理について整理します。

また、意見の変更を伴わずに問題を解決するステップについても概説します。そして、意見の対立を含む問題に対応する能力が、個人と社会にとって重要だと私が考える理由について説明していきます。

では、まずは架空の話を題材として示すところから始めて、意見の対立の論理、解決ステップの説明、社会への影響の順に、説明していきます。

■意見の衝突の例:花とアリとバクテリア

暑い夏の日、アリスとボブは公園の中で、売店を見つけます。ちょうど喉が渇いていたところです。

ボブは売店に一直線に向かおうとしますが、そこには野花が咲いています。アリスは花を踏まないように遠回りすべきだと言って、ボブを静止します。ボブは、遠回りした道にアリやバクテリアがいるかもしれない。花を踏むのとアリやバクテリアを踏むことは同じだ、と反論します。

アリスは怒りがこみ上げてきそうになるのを我慢して、次のようにボブに言います。

「例えアリやバクテリアを踏む可能性があっても、私自身は花は踏みたくないし、ボブにも踏んでほしくない。確かにアリやバクテリアも生きているのは認める。でも、ボブとの議論で、私はアリやバクテリアより、花の方を優先するという価値観を持っていることに気がついた。すこし考えてみたけれど、この価値観は変えられそうにない。」

アリスは続けます。

「ボブは私と違って、花を踏むことと、アリやバクテリアを踏むことの、どちらも同じように感じる人だということは分かった。でも、どうだろう。花のためではなくて、私のために、遠回りすることはできないだろうか。そうしてくれれば、私はボブのその寛大さに感謝するだろう。」

ボブは頭をかきます。「わかったよ。その代わり、ジュースを1本おごってくれ。」

■未観測の純粋命題

ある観念Aが、存在しているか存在していないか、という形式の命題があります。あるいは、正しいか、正しくないかという命題に置き換えても良いでしょう。命題は「問い」や「質問」のことです。

観念は、物、行為、事象、状態、性質、法則、信念などを含んでいます。頭に浮かぶ概念、と言っても良いでしょう。

例えば、花、アリ、バクテリアなどの生き物や売店やジュースといった物、踏むとか遠回りするといった行為、踏まれた花が傷つくという事象、等です。また、花を踏むべきでない、生き物は大切にすべき、何かを譲ってもらうなら見返りを与えるべきだ、といったことは信念に相当します。

その命題が、既知の命題から論理的に導出が可能な命題であれば、それは派生命題と呼ぶことにします。

派生命題の場合、既知の命題と論理の組合せで、存在しているかどうか、あるいは正しいかどうかが客観的に確定します。客観的とは、関係者が論理的に考えると、同じ結論に至ることができるという事です。

例えば、物を持ち上げて手を離せば下に落ちることは経験的に誰もが知っています。これは既知の命題にあたります。では、ペンを持ち上げて手を離したら、落ちるでしょうか。ペンも物の一種ですから、落ちることは分かります。これが派生命題です。

一方で、派生命題ではない命題を、ここでは純粋命題と呼ぶことにします。

純粋命題の場合、実世界を観測したり、それを派生命題にするための調査を行う事で、客観的に確定させることができる場合があります。先ほどの、物を持ち上げて手を離せば落ちる、といったことは現実を観察することで確かだということが確認できます。

一方で、観測や調査で客観的に確定させることができない命題もあります。先ほどの例では、アリやバクテリアよりも花を大切にすべき、というのは個人の信念であり、それが正しいかどうかは客観的に確定させることはできません。また、遠回りをするとアリを踏む、ということも未来のことですので二人の議論の場では未確定ですし、通常、そこまでの調査は行わないでしょうから基本的には未知のままでしょう。

いずれにしても、そのような形で客観的な確定がなされていない場合、ここではその命題を、未観測の純粋命題と呼ぶことにします。

■未観測の純粋命題に対する主観的な扱い

未観測の純粋命題は、客観的に確定させることができません。

このため、各自が主観的に取り扱いを決めるしかありません。その取り扱い方には、以下の5種類の立場があります。

立場1:信じます。つまり、「観念Aは存在する/正しい」という前提に立つ立場。

立場2:信じません。つまり、「観念Aは存在しない/正しくない」という前提に立つ立場。

立場3:知り得ないと考えます。つまり、「観念Aは存在しているかどうかについては、何も言えない」という前提に立つ立場。

立場4:両方があり得ると考えます。つまり、「観念Aは存在している可能性と、存在していない可能性がある」という前提に立つ立場。

立場5:立場1~立場4の全てを肯定します。つまり、「観念Aを信じることも、否定することも、知り得ないことも、確率的にどちらもありうるということも、全てあり得る」という前提に立つ立場。

ある未観測の純粋命題が与えられた場合、各主体は、この枠組みのいずれかの前提に立つことになります。中間の状態はありません。

立場3と立場4が、立場1と立場2を内包しています。また、立場5が全てを内包しています。このため、1人の人が複数の立場を取る事はありません。もし、包括的視点を取るのであれば、方法5の立場を取っていることになります。

立場5について補足すると、これは通常、実用主義的な考え方になります。つまり、心の中では立場1~立場4のどれでも構わないと思いつつ、実際に役に立つものを選択するという立場です。

最初の例に出てきた、アリやバクテリアより花を大切にすべき、という命題について考えてみましょう。アリスは立場1である事を明言しています。

ボブは、立場2かもしれませんし、立場4のようにも見えます。もしかすると、本心は立場5であるけれども、アリスからジュースをおごってもらいたいという下心で、わざと立場2のフリをしたのかもしれません。

■未観測の純粋命題に対するコミュニケーション

未観測の純粋命題は、このように主観的に立場が変わってしまいます。未観測の純粋命題が含まれていると、客観的な議論で話を進める事はできません。

このため、他者とのコミュニケーションにおいては、未観測の純粋命題に注意を払う必要があります。特に、文化的な背景が異なる場合には、この点を抑えているかどうかでコミュニケーションの質が大きく変わるでしょう。

まず、少なくとも両者が、その対象の命題が、未観測の純粋命題であることを認めるかどうかで、話が変わってきます。このため、その大前提についての認識合わせをするところから、議論は始まるべきです。あるいは、議論がかみ合わないことに気がついたら、この大前提に立ち返って認識を合わせることが必要です。

未観測の純粋命題であることをお互いが承知していることを確認出来たら、後はお互いの立場の開示です。立場1から立場5のいずれの立場なのかを、明確にします。

両者の立場が一致している場合は、話が早いです。こうした場合は、そもそも、この命題について議論する必要がないことは多いのですが、複雑な問題の場合は、未観測の純粋命題は複数存在し得ますので、議論の確実な整理のために、一つずつ確認していくことが賢明でしょう。

片方、あるいは両方が、立場5の場合、一見すると立場が一致している時と同様と考えてしまうかもしれませんが、そうとは限りません。立場5は実用主義的な考えと強い結びつきがありますので、議論している問題に取って最も役に立つものを選択することになります。その選択肢が、両者で異なるケースでは、対立が発生することになります。

両者の立場が異なった場合、お互いの立場を変えるというアプローチは、ほとんど意味をなさないでしょう。未観測の純粋命題は、客観性を持たないため、各自が自分自身の意志で立場を変えない限り、他者がそれを変える事はできません。説得や圧力を掛けたりして、意見を変える事が出来たように見えても、それは表面的な表明の変更だけであり、本心が変わる事は稀でしょう。

■対立を前提に問題を解決する

そうなると、両者の立場が異なった場合でも、その立場を維持しておくしかありません。多くの場合、そうした根本的な立場の違いを持つ人同士でコミュニケーションを継続しなければならないケースは、両者の間に解決すべき問題がある時です。

もし、解決すべき問題がないなら、お互いにこの話題にはもう踏み込まず、別の話をするか、解散してしまえば済みます。問題がある時は、コミュニケーションを続けるより他ありません。

その問題領域に関連する未観測の純粋命題の対立を前提に、解決方法を考えていく必要があります。

例え、未観測の純粋命題に対立があっても、両者が納得する解決策が存在しないわけではありません。このため、対立を前提として、両者が納得する解決策を考える事が、最優先になるでしょう。

それがどうしても見いだせない場合は、妥協や取引のフェーズに移行します。一方が多少の損失を妥協することで問題を解消させたり、損失を別の枠組みで補填するような取引をすることで、対象の問題自体は解決させるというやり方です。

妥協や取引も成立しない場合は、後はルールや第三者調停に基づいて、落としどころを決めることになります。

■対立を含む問題の解決に失敗した際の社会的な影響

それでも納得がいかない場合が真の問題です。話し合いやルールに基づいた解決が失敗に終わると、社会にはネガティブなものが生み出されます。

一部の個人や集団が、不満や恨みを持ったままになります。つまり社会に負の感情が残ります。あるいは、もっと過激な状況では、脅迫や報復により結論を変えようとしたり、直接的に力に訴えて強制的に主張を通そうとしたりします。

このため、対立を含む問題の解決は単に紛争当事者だけの問題だけではありません。本来解決できるはずだった問題解決が、数多く失敗するような社会には、ネガティブな感情や具体的な事件が蓄積されていきます。

時間が、ネガティブな感情や事件を忘れさせる効果は確かにあります。しかし、その忘却の速度よりも、ネガティブなものが生み出される速度の方が早ければ、その総量は増え続けます。

この観点から考えると、なるべく多くの人が、対立を含む問題を解決するための技術を身に着けている社会の方が、ネガティブが溜まりにくいという意味で、望ましい社会と言えます。

■対立を含む問題を解決するための技術と心構えの重要性

このため、対立を含む問題に対する知識の学習や、解決のためのスキルやノウハウのトレーニングが必要になります。

また、納得性の高いルールや第三者調停の仕組みを整備することも大切です。

そして何より、当事者が納得しない形で決着してしまい、ネガティブなものが残ってしまわないようにするという心構えが必要です。従って、問題にきちんと責任をもってコミットする風潮や文化を育てることが重要です。

こうした技術や姿勢は、社会全体の話だけでなく、例えばカップルの持続的な円満や、職場のメンバーのモチベーション維持など、現代社会の具体的な人間関係の問題にも共通します。

つまり、対立を含む問題を解決するための技術と心構えを身に着けることは、社会と個人にとって、Win-Winです。

■さいごに:ジュースと友情

ジュースを1本をおごってほしいと言われたアリスは、仕方ないな、と言いかけて、その言葉を飲み込みます。そして、少し考えてから、ボブに次のように言います。

「確かに、ボブが遠回りをしてくれるのは嬉しいし、私は感謝する。けれど、もしジュースをおごってしまうと、私にはわだかまりが残るかもしれない。もしかしたら、ボブは私から見返りを受けるために、わざとアリやバクテリアの話をしたのではないか、と。私はボブの本心を直接のぞき込むことはできないから、一度そう思ってしまったら、ボブが何を言っても完全に消えることは無いかもしれない」

驚いた様子のボブに、アリスは続けます。

「だから、私からボブに2つの選択肢を提示する。1つ目の選択肢は、ボブが私からジュースを受け取る事。そうすると、私にわだかまりが生まれるかもしれない。2つ目は、ジュースを受け取らずに、遠回りをする事。そうすれば、私たちの友情は変わらない。さあ、どうする?」

ボブは肩をすくめます。「決まってるだろ。ジュースは自分で買うよ」

アリスは微笑みます。「ありがとう、じゃあ、感謝の印に、ジュースをおごるよ」

おわり

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