見出し画像

政治はなぜ変わらない?

どうも、現実はクソゲーだと信じてやまない渡邉坊です。セーブ機能とかロード機能とか欲しいところですね!

と戯言を言っても、何も問題は解決しません。
この日本には多くの社会問題が存在しており、それが結果として、
我が国に暮らす人々の精神を蝕んでいるのですから!

上がらない給料、少子高齢化、貰えるかも分からない年金、児童虐待やら殺人やら、我が国を取り巻く現状は、非常にシビアであります。

私としては、こんな国に子供を産むような真似はしたくないと思います、
(相手もいませんけどね)

というわけで、それを解決する方法を考えてみた次第です。

「供託金」こそが諸悪の根源

何か特定の要素だけを取り上げて、それさえ解決すれば日本が良くなるとは思いませんが、あらゆる社会問題の根幹には、「高すぎる供託金」の存在があると思います。

供託金とは何か?

そもそも供託金とは、選挙に出る際のペナルティのようなものです。国政選挙、地方選挙、知事選挙などによって、その額は異なってきますが、選挙に立候補したい場合には、まずは供託金というものを納める必要があります。

「そんなあなたも救いたい」で知られる山本太郎氏(れいわ新選組)
「NHKをぶっ壊す」で知られる立花孝志氏(NHK党)
「コロナは風邪」で知られる平塚正幸氏(国民主権党)

売名目的であったりとか、選挙を広告として利用したいであるとか、政治家としての資質が無いとされる、いわゆる「泡沫候補」を足切りするための制度とされています。

供託金の必要性

供託金の問題点を語る前に、その必要性について述べたいと思います。
先ほど書いたように、供託金には売名目的の泡沫候補の乱立を抑えるという効果があります。

政治家の仕事は利害調整、すなわちコミュニケーションです。供託金程度を集められない候補には、選挙に出るために最低限の能力がないとも考えることができると思います。

コミュニケーション能力があるならば、自ら金を持たずとも、金を集めることができるはずですし、金が集まらない程度の候補には、政治家としての最低限の資質がないとも考えることができると思います。私は、この考えには一理くらいはあると思います。

供託金制度が作られた背景

しかし、供託金制度には欠点もあると考えます。
その欠点を考えるためには、供託金制度が作られた歴史的な背景を追わねば
ばなりません。

そもそも、供託金制度ができたのは、1925年のことです。
この時期には、我が国初の普通選挙(男子限定)が成立しており、
そのセットの一つとして供託金が制度が作られました。

それまで、我が国には供託金制度が存在しませんでした。
というのも、それまでの我が国には、供託金制度などなくとも、
売名目的での立候補というのが現実的ではなかったからです。

この供託金は、基本的に緩和されることはなく、そして現在に至るというわけです。

最初は、供託金など必要なかった

そもそも我が国には、最初は選挙制度が存在しませんでした。
まあ、これはどこの先進国もそうだとは思いますが。

しかし、江戸幕府を倒した明治政府が、我が国で初めて本格的な選挙制度を導入しました。
ただ、この選挙は現在の選挙制度とは似て非なるものであり、いわゆる「制限選挙」でした。

我が国最初の選挙には、以下の条件を満たした人しか立候補や投票をできませんでした。

・男子にして年齢満25歳以上
・直接国税15円以上の納付

より厳密には、条件はこれ以外にも存在していますが、主たる条件はこの二つであると思います。これらの条件を満たす日本国民は、全人口の1%しか存在しませんでした。今では到底考えられませんが、選挙に参加することすら、当時は当たり前ではなかったのです。

我が国当初の制限選挙に対する風刺画

こういった状況であれば、供託金などなくとも、売名目的での立候補などをできる人などいませんでしたから、当初我が国では供託金制度が必要なかったのです。

男子普通選挙の実現

ところが、我が国にも徐々に民主主義の空気が強くなってきました。
この背景には、いわゆる超然内閣(一部の人たちによって独占される特権的な政府)に対しての反感などがあります。

そういった空気の中で、政治参加のために必要な納税額は、緩やかですが緩和されていきました。しかし、納税額による制約自体の完全な撤廃がなされるのは、1925年になります。
これは、明治維新から実に57年のことでした。

この当時は大正時代、いわゆる「大正デモクラシー」の時代でありまして、超然内閣である「清浦内閣」が打倒され、政党勢力である「護憲三派内閣」が成立した時期であります。

「護憲三派内閣」こと加藤高明内閣(改造前)

この「護憲三派内閣」とは、敵対関係にもあった政党同士が、「普通選挙実現」を名目にして、一時的に連携して作られた内閣であります。

この内閣の首相は「加藤高明」。私が最も尊敬する歴史上の人物です。

我が国の「男子普通選挙」の父、加藤高明元首相

この加藤高明首相の下、我が国初の男子普通選挙は実現しました。しかし、それを引き換えとして、「供託金制度」も成立したのです。

共産主義の存在

男子普通選挙が成立した時期辺り、現在のロシアでは「ソビエト連邦」が成立し、共産主義の機運が高まっていました。共産主義とは、国民の資産はみんなで平等に保有すべきだという考え方でありまして、その実現のためには武力革命をよしとするような思想です。

「共産主義国家」ソ連の父、ウラジミール・レーニン

この思想は、ソ連(ソビエト連邦)以外の国からすれば、実に脅威でした。共産主義が自国内で流行してしまえば、その時の政府が打倒(いわゆる共産化)する危険性もあり、国家としての秩序(存続)を保つためには、この共産主義に対しての抑制がなによりも必要でした。

共産化の危険性

普通選挙は一見素晴らしいもののようにも思えますが、資産に関係なく政治参加が可能であるという状況は、共産主義にとっては付け入るスキになります。

共産主義は、まさに無産者(資産を持たない人々)の思想でありまして、資産関係なく政治参加ができるという普通選挙は、この無産者たちの影響力を強め、ひいては、共産主義の蔓延、そして国家転覆につながる可能性すらありました。

制限選挙の代わりとしての供託金制度

時代の流れとして、普通選挙は実現するとしても、共産化に対してのなんらかの備えが必要でした。そのアプローチの一つがまさに「供託金制度」でありました。

それまでは、制限選挙によって共産化の危険性を抑制できていましたが、それを撤廃する以上は、なんらかの代替策を講じなければ、日本は瞬く間に共産主義に吞まれていた可能性があります。

そのため、この時代における供託金制度の制定は、一定の必要性があったように思います。これ以後も、東西冷戦など、依然として共産化の危険性は少なからず存在しており、日本の共産化を抑制する手段として、供託金制度がもたらしてきた果実もあったように思います。

立候補することが当たり前ではない国「日本」

しかし、これは現在において、我が国の民主化の枷にもなっている部分はあるように思います。供託金の額は非常に高額、主たるところを以下に記載しました。

・衆院選選挙(小選挙区):300万円
・参院選選挙(選挙区) :300万円

近く、参院選挙がありますが、あなたは立候補のご予定があるでしょうか?

いや、ご予定がある方のほうが少ないとも思います。
受かるかも分からない選挙に300万円も払うなんて、とんでもないギャンブルです。仮にどうにかお金を集めたとしても、受かる保証がない以上は、金を集めたら済むという話でもありません。

あなたの身の回りにだって、参院選に立候補する方なんていないとも思います。要すれば我が国は、「立候補することが当たり前ではない」国であるということです。

我が国の民主主義は発展途上である

男子普通選挙のみならず、戦後には女性参政権も成立して、日本は民主主義国家として一等国であると考える方は少なくないと思いますが、私はそうは考えません。

確かに、納税額が少なくても、選挙には立候補できます。
性別も関係なく、立候補は可能です。
しかしそれは、形骸に過ぎないと考えます。

体裁としては制限選挙ではなくとも、供託金制度は実質的に、
国民の政治参加を抑制します。これでは制限選挙と何ら変わりません。
「政治は変わらない」と叫ばれる昨今ですが、そんなものは当たり前です。

だって我が国の民主主義は現在においてもなお、「1925年」の水準であるからです。もうすぐ、男子普通選挙から100年が経過することになりますが、我が国の民主主義は、1925年から一切動いてはいないのです。

「政治が変わらない」のは当たり前

これでは、生活が苦しい人の民意が反映される政治になる道理がありませんし、政治が変わるということもあり得ません。

最近ではあらゆる新興勢力として、参政党だとか、れいわ新選組だとか、NHKだとか、新党くにもりだとか、ないしは国民民主党や日本維新の会だとかが注目を浴びておりますが、これらの勢力は本当に、新興勢力と呼ぶに値するのでしょうか?

我が国の構造上の欠陥、生活苦にある人の民意の反映がしにくい構造自体にメスを入れることを声高に主張する政治勢力は、新興勢力といえども、なかなか現れることはありません。

私に言わせれば、今名を挙げている新興勢力の多くは、決して新興勢力ではなく、従来の日本政治の構造を結果としては追認している「既存勢力」でしかないのです。

豪族と労働貴族と、先鋭化する似非新興勢力

現在、我が国の政党政治を構成するのは、豪族、労働貴族、先鋭化する似非新興勢力のいずれかです。このいずれも、一般の生活者の意思の代弁者たり得ることなく、我が国の政治は混とんを極めています。

豪族とは自民党、労働貴族とは、連合を支持母体とする民主系の政党や日本共産党、先鋭化する似非新興勢力とは、反ワクチンや反緊縮、ないしは排外主義などで煮詰まる新興政党のことを指します。

供託金制度の撤廃で、風穴を開ける

生活者が当たり前に政治参加することができない以上は、生活者の意思を政治に反映させることができる可能性は極めて低いです。

どれだけ崇高な志ある生活者も、供託金の前に政治参加を阻害されてしまうからです。結局は、今力を持っている人ばかりが選挙に当選し、見飽きた構図の選挙速報を毎回眺めるだけです。

一部の限られた者以外は、容易に意思表示をすることができない政治なんて、最初からクソゲーなんですよ。
ならばまずは、構造自体を変えねばなりません。ゲームのルール自体を、壊す他ありません。その一つのアプローチがまさしく、「供託金制度の撤廃」であります。

とは言え、少しずつが良い

しかし、物事とは一気に変えてしまえば、反動も多いのです。供託金制度にしても、果たしてきた役割があるのです。
ゆくゆくは、供託金撤廃が望ましいと考えますが、即時撤廃などは現実的ではなく、戦前、制限選挙が緩やかに撤廃されたように、徐々に段階を経て、供託金の引き下げがなされていくことが望ましいと考えます。

淀みない、供託金引き下げという理想と、一歩一歩それを実現していくという現実的なアプローチを持って、漸進的に、供託金の緩和がなされていくことを私は望みます。

最後に

以下、関連記事となります。自民党一強の現状の政治を変革するための、野党連携の必要性を説いています。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?