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犯罪者も、「一ミリ」は正しい

どうも、不真面目な異常者こと、渡邉坊です。
今回は、犯罪を抑える方法について考えていきたいと思います。
無論、私は犯罪心理学者でもなければ、殆ど知識もない素人ですが、
私なりに、犯罪はどうすれば減らせるのかという部分を考えていきたいと思います。

昨今、安倍元首相の暗殺など、きな臭い事件が頻発していますが、
私としてもこういった状況は甚だ遺憾であり、いかにすれば犯罪を減らせるのかを考えることが多い最近です。

犯罪は、犯人が99.9パーセント悪い

来年の大河ドラマの主人公は松潤ですね

当然の前提として、犯罪は、犯罪を起こした方が99.9パーセント悪いです。
いかなる背景や事情があったとしても、手を出した以上は粛々と裁かれるのが、まさに法治主義というもの。

これについて、疑いを持つ方はいないと思います。
いや、99.9パーセントではなく、犯罪は100パーセント、犯人が悪いとも言っても良いのかもしれませんが、冷静に考えてみましょう。それって少し危なくないですか?

一ミリの理

念押ししますが、犯罪は犯人が99.9パーセント悪いです。
これは疑いようもなく、ここが崩れてしまえば社会が成り立たなくなります。どんな事情があっても、許すべきではないし、情で裁きを甘くするということもあってはならないと考えます。

しかしここで、99.9パーセント悪いと考えるのか、100パーセント悪いと考えるのかが大きな違いです。

はい、もちろん悪ふざけです

99.9パーセント悪いという話であれば、1ミリくらいは、その背景や事情に思いめぐらせ、同様の犯罪を抑止するということもできますが、100パーセント悪いと断定しては、その余地は消え去ります。

すべては犯罪者の責任、犯罪を起こすような奴が全てが悪いとして、その社会的背景などを検証することもなく、また次の日常が始まります。
これは実質的に、なにも変わっていないのと同じです。

いつものように、一部の異常者が身勝手を起こし、怪しからん奴が多いということで、簡単に流されてしまいます。こういう空気感において、犯罪の芽を摘むことができるのでしょうか?

「真面目」な普通の人とは、つまり……

また、こうも考えられます。
犯罪は完ぺきに、100パーセント犯罪者が悪いという淀みがない考え方自体が、「真面目」な異常者の思考形態とさして大差がないということです。

昨今、社会状況の悪化によって、リストラであるとか、ハラスメントであるとか、「普通」のレールから外れてしまうことは稀有ではありません。
いまは無事に、安全に「普通」の人生を送っている人も、そのレールから外れて、「異常」な人生になるということは、決して夢物語ではないのです。

こういう人がレールから外れる前に、犯罪は犯人が100パーセント悪いというような、「真面目」な普通の人であった場合、どうでしょうか。望むと望まざると、この人は「普通の人」ではなくなり、「異常な人」になるわけですが、異常サイドに落ちた途端に、「不真面目」な生き方ができるようになるでしょうか?

「真面目」な普通の人は、ある日突然、異常サイドに落ちた時、「真面目」な犯罪者になる可能性もあるのではないでしょうか?

「不真面目」な異常者

かく言う私自身、普通の人生なるものに縁もなく、いわば異常な人生を送ってきています。

しかしそこで、私が真面目になってしまえばどうでしょう、「真面目な異常者」になってしまいます。
真面目な異常者となってしまえば、社会に対して一ミリの理を見出すこともないでしょう、社会の一ミリも見出さないということは、冷徹な犯罪者になりうるということでもあります。
ですから私は常に考えています。「不真面目な異常者」であらねばならないと。

犯罪者に一ミリも理を見出さないということは。社会に対して一ミリも理を見出さないことと、差異がないのです。

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