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フリアコを始めたきっかけ~くりす就活辞めるってよ~#13

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ストーリーの初回はこちら↓


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「フリアコ=フリーアコモデーション」
~主にゲストハウスで掃除などをする代わりに滞在費が無料になるやつ(雑説明)~

⚠️前回何を書いたのかも忘れているので、連載にしては飛んでしまっているかもしれません。

「アドレスホッパー」になってから7ヶ月が経った。

正確には去年の3月から数えて
東京→北海道(実家)→東京→北海道(一人暮らし)→住み込み農業→住み込みホテル→千葉→北海道(一人暮らし)→アドレスホッパー

だから、1年になる。

「旅をしている感」があったのは農業~10月くらいまでで、

最近は慣れと「諸々の関係上、最低1週間は滞在する」というルールによって特別感は薄れてしまった。

さらに、現在はフリアコスタッフとして働いており、1ヶ月「も」拠点を移していない。

慣れって恐ろしいなあ、と思いつつ、

フリアコを始めてもう1ヶ月か、と感慨深く思う。


「21卒では就職せず、フリーランスで頑張ってみよう」
そう決意した、年始の京都。

1ヶ月後にはフリアコをしているとは全く想像もつかなかった。


きっかけは、あるゲストハウスのスタッフさんとの会話だった。


ズケズケくるのに、土足では踏み込んでこない不思議な人。

聞き上手な彼女に引き出されるかのように、珍しく割と本音に近いことを
ときに自慢げに、
ときに絞り出すように。

ポロポロとこぼしていった。


時折うっていた
「すごい」「なるほど!」「○○ってこと?
」という相槌が合唱団を率いる指揮者のように、話を引っ張っていた。


話していてわかったことは「自分は思ったよりも自分の性質や活かし方を分かっているし、行動している」ということ。

オフラインの提案が苦手だから事前にテキストでアポをとるし、
ボドゲフリーランスと相性が良いのはゲストハウスだと思ったから、ゲストハウスの発信を始めたし、
人間関係が苦手だからこそ、そそくさと拠点を移していた。


だけど、それは正解ではないのかもしれない。

そう思ったのもまた、彼女の純粋な相槌だった。

「じゃあ、しんどいまま生きていくんだね」
「逃げるのも良いけど、逃げ続ける覚悟が必要だよねー」


きっと深い意味はなかったのだと思う。

だけど、自分のあり方を見つめ直すには十分すぎる言葉だった。


「自分の幸せってなんだっけ?」


ずっと、一人が好きだと思っていた。

だけど本当は、「みんなと仲良くしたかった」んじゃないのか?

果たして、
密かに憧れていた幸せを諦めて、脇目も振らず逃げ続ける覚悟が自分にはあるのか?


正直分からなかった。



「フリアコやってみたら?」

彼女と話した後の3日間、この言葉が頭から離れなかった。

「私も人見知りだったけど、色んな人の行動を見て盗んで、今じゃ沢山の仮面を持っている」
「私という本体が俯瞰しているような、マリオネットをしているような感じ」

「フリアコを始めて色んな人と話すようになって、仮面を取り入れ放題」


そのときの僕は
「自分が自分じゃないって楽しいんですか?」


そう聞こうとして、やめた。

どう考えても愚問だと思った。

仮面を変える楽しさは分からないけど、
「なかなか取れない鉄仮面」を被っているつまらなさは誰よりも自分が知っているからだ。


「仮面をつけ替える」か。


その1か月前には「仮面ひとつ」で、自分を通している人にも会っていた。

不幸そうで幸せそうで。
明るいようで暗くて。
自分に似ているような似ていないような。
本当に不思議な人。
だけど、間違いなくとても魅力的なひと。


自分はどっちを目指して生きたいのだろう。


どうせ、この先行くところもないのだ。

ならば、確かめてみよう。

ひとつのゲストハウスのフリアコ募集を見つけて、採用前にそのゲストハウスがある関西へと飛び立つのだった。

(2021年1月~2月中旬)

続き↓



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