見出し画像

#14 台湾人も絶賛した太魯閣(タロコ)渓谷は、やっぱりすごかった

前回の記事



花蓮に行くことを決めた時でさえ、太魯閣(タロコ)渓谷が有名なのは知りつつも「景勝地の山歩きか~。あんまり興味ないかな~。」くらいにしか思わなかった。

それなのに、台湾で会う人会う人、口をそろえて「花蓮に行くなら絶対太魯閣に行くべき!」と激推ししてくるもんだから、さすがに気になる。

とはいえ、調べてみると花蓮最大の観光地といわれる割にアクセスが悪い。
タクシーで回るには結構な距離があるし、バスは本数が少ないし、いまいち見どころがわからない私にはなおさら予定が組みにくい。

どうやら観光地ではあるものの、ツアーで訪れる人が大半なので、それ以外の交通網があまり充実していないっぽい。

そこで急遽ツアーを探してみたけれど、直前過ぎてほとんど予約が締め切られていた。

唯一ギリギリで予約できそうだったのが中国語のみのツアー。

中国語しか通じないし、ガイドは超最低限。
名所に立ち寄って、バスを降りたら時間に合わせて各自で楽しむといった内容。
その分、めちゃくちゃ安い。

まあでも路線バスで行くことを思えば、自分でコースやスケジュールを考えなくていいだけだいぶラクだと思い、申し込むことに。

当日の朝、宿でピックアップしてもらい無事に出発。

参加者は老若男女バラバラに10名程度。日本人はいない。
曲がりくねった山道を進みながら、7ヵ所ほどある観光スポットを巡っていく。

目的地に着くたびに運転手さんが集合時刻をアナウンスしてくれるのだけど、集合時間も中国語でわからないので、私は運転手さんに数字で時刻を書いてもらっていた。
面倒だろうに、毎回親切に教えてくれて感謝しかない。

そして、バスを降りて最初に見た光景がコレである。

何を隠そう、人生のバイブルがドラゴンボールの私。
まさに孫悟空幼少期の世界観そのままのような光景に、初手で胸が熱くなる。

縦にしても横にしてもカメラにおさめることのできないスケールの大きさに、語彙力を失い、あわあわしながら歩き回る。

悟空がいるのではなかろうか。なんならじっちゃんでもいい。
恐竜みたいな生き物はいないだろうか。
尻尾で魚釣りしている少年はいませんかっ!!!!?!(大興奮)

ここですでに「太魯閣すごいかも…」と思っていたけど、今となってはここはまだまだ山の入口にすぎなかった。

バスはさらに山道を進む。
本当に曲がりくねった道が続くし、運転は丁寧とは言えないので、酔いやすい人は酔い止め必須。

山が高すぎて、車窓からは岩の壁しか見えませんタイムも度々あり、「切り立った」というのはまさにこういうものなのかと妙に感心した。

山中の遊歩道は整備されているとはいえ、水が垂れる洞窟やたまに落石のある道、崖っぷちのような道もある。

この粗さの残る感じもいいじゃないか!

ちなみに洞窟内にも祠のようなものがあり、仏像や石碑のようなものが所々にあった。

悟空の生家のような祠にも歩いて行くことができる。
どこかに四星球が供えられていやしないかとソワソワしそうなロケーションだ。

山からは水がゴアゴアと音をたてて溢れていて、自然の雄大さ、たくましさのようなものを嫌でも感じてしまう。

お昼は、山中にある開けたエリアで。

ここには大量の猿がいて、人間の食べ物を信じられないくらいの執念で奪っていくので気を付けなければならない。
実際、おじさんがコンビニから出てすぐにパンを強奪されていた。めっちゃキレてた。猿に語り掛けていた。

ツアーでは予約をすればレストランで食べられたけど、私は予約をしなかったので、セブンイレブンで台湾おにぎりを購入。

以前も同じツアーに参加したことがあるという親子は、「前に食事をつけたことあるけど高いし美味しくないしセブンイレブンの方がよっぽど美味しい!あなた正解!」と言ってくれた。
どうやら私は正解だったらしい。

むっちゃくちゃ美味しかった。

セブンとはいえ、商品は日本のものとだいぶ異なるので、ぜひ機会があったらこんな山奥じゃなくていいからコンビニ飯にも挑戦してほしい。

台湾メニューでもたぶんクセ弱めなものが多いので、日本人の口にも合いやすいと思う。
お店探しに疲れたらコンビニをエンジョイするのもポジティブに選択肢としてアリ!

この頃には、台中から来た母娘や、日本に留学していて日本語が堪能な台北っ子とそのお友達など、ツアー参加者と仲良くなっていた。

女の子たちはみんな20代前半で、コミュニケーションに十分な英語が話せたので、お昼時間にはお互いのことを話ししたり、一緒に歩いたりしてくれた。

お母さんは、まったく英語が話せないけれど中国語でガンガン話しかけてきて、「?」状態のまま、こちらが英語やカタコトの中国語で返してみるものの「え?全然わからないよ!ははは!」的なことを言いながら満面の笑みと豪快な笑い声で一蹴され、(いや、話しかけてきたのそっちやんけ)と思いながらもめちゃくちゃ面白くて、正直会話としてはまったく成立していないんだけど、なぜか言いたいことはわかり合えて、久しぶりのこの感覚が楽しすぎた。

最終的には、お母さんとがっちり肩組み合って楽しげな写真を撮っていた。

コミュニケーションってこういうことだよね。

昼食後もひたすら散策。
場所が変わっても、お腹いっぱいになっても、太魯閣の景色は見るたびに感動できた。

ほとんどが似たような山と岩と、前日までの悪天で濁り切った水が流れる川なのにね。
これは、本当に、行かなきゃわかんないってヤツだ。

ワイルドな遊歩道の中に、群を抜いて綺麗に舗装されている場所があった。

壁にありがたそうなお言葉(雰囲気)が書かれていたり、団体客が記念碑っぽいところで集合写真を撮っていたりしたので、太魯閣の中でもかなり気合の入ったメインスポット的な場所なのかもしれない。

でも、見える景色に関して言えばどこを切り取っても感動できたので、私にはこの場所の特別感がわからなかった。すまん。

山道を歩くルートもあり、そこの脇を流れる川は水底が見えるくらいとんでもなく透き通った水が流れていて、泳ぐ魚の姿もたくさん見られた。

かたや泥水のような濁った水が溢れ、かたや息をのむほど澄んだ水が流れているんだから、自然って本当にミステリアス。

途中、たくさんの観光客がせっせと歩く細くてゴツゴツした道を、かきわけるようにバギーに2人乗りでゴリゴリに下っていく人たちがいた。

(ここ、歩道じゃないの?てか運転技術すごいな!?)と戸惑っていると、「彼らは先住民なのだ」と、台湾の子が教えてくれた。

山奥の方には今も先住民が住むエリアがあり、彼らは遊歩道だろうとどこだろうと自由に行き来するのが許されているらしい。

ちなみに、遊歩道の突き当りには、先住民プロデュース茶屋的な場所があり、オリジナルドリンクやキーホルダーなどを売っていた。
こーゆーのも俗っぽくていい。

一通り、太魯閣を堪能した後は、もう一つの景勝地・七星潭へ。

とても綺麗に整備された海浜公園的な場所で、花蓮の人々にも人気の場所なのだとか。

飲み物や軽食を売る屋台もあり、多くの人でにぎわっていた。

海の方に降りてみると、砂ではなく石の浜だった。
この石、波にもまれてどれもなめらかに丸くなっていて可愛らしい。
これで水切りしたらめちゃくちゃ跳ねそう。

ちなみに石は持ち帰り禁止。

波打ち際では、寄せては返す波に合わせて石がぶつかり合い、チャラチャラチャラととても美しい音をたてる。

富山の海にもこういう浜があったよな~とぼんやり思い出す。

広々とした海岸。

しばらく石浜に座って、波と石の音を聞きながら海をぼんやりと眺めていた。
この海のすぐ先に日本があるんだよなあ。

花蓮から与那国島まで約150㎞らしいけど、これはだいたい東京から軽井沢と同じくらいらしい。
そう思うとちょっと不思議な感じ。

再びバスに揺られて宿に戻り、約8時間のバスツアーはかなりの満足感と共に終了した。

どこを見ても、どう頑張っても、目の前の景色が画面に入りきらなかった。

ネットやガイドブックで太魯閣の写真を見ても「ふーん、山かあ。大きそうだなあ。」くらいにしか思えなかったけど、このスケール感は確かに写真にも、なんなら視界にもおさまらない。

自分でも意味不明だよなとは思うけど、めちゃくちゃ大きいものを見て「デッケー!!!!」って全身で興奮?感動?することってあるんだね!
「大きい」というだけで、こんなに胸をつくような感情を抱くことがあるなんて思わなかった。

大発見ですよ。自分のなかに、新しい感動の形を見つけられるなんて。
そんな幸せなことが、まだあるんだねえ。

私は、言葉を扱う仕事をしている。
だから本当は、太魯閣で感じたことをより具体的に、わかりやすく、伝わるように表現しなくちゃいけないのかもしれない。

でもなんかもう、あの時も、いま思い出しても、パッと浮かぶのは一言しかないし、もうこれが限界って気がする。

「すげぇ。」

以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?